第312話 壁の向こう側2
「……何だこれは?」
「すげぇ、果てが見えない。本当に”壁”がずっと続いているとでも云うのか」
噂の数々を集めてきて。
「西の果てに”壁”があり、その先には我らの望む”理想郷”が広がっておるそうな……」
その言葉の通り、ひたすら愚直に。足を西へ西へと向け、歩みを続けてみれば。
恐らくは入道であっても。
決して跨ぎ越えることは出来ぬほどの巨大で、長大な文字通りの”壁”が其処に鎮座していたのだ。
「徒歩の俺たちならば。この壁を登り、越えるだけなら訳はない。だが……」
「この先への”行軍”は不可能だ。馬は? 物資をどう運ぶ? ”壁”を打ち壊さねば、どれひとつ適わぬわ」
……つまりは、そういう事だろう。
「此は、確実に。侵略への備えの壁だ。この先に在る”国”は、攻める訳でもない。防備、ただそれだけの為に、これほどの労力を割ける程の実力を備えている……」
”理想郷”の存在。その有無は、未だ確認はできてはおらぬが。
少なくとも。噂通り”壁”は存在したのだ。
それも、何の誇張も無く。果てなく南北へと伸びる、長大な”壁”が。
「この様な壁を築き上げるのに。一体どれほどの……」
石材を運ぶ為の、そしてそれらを高く積み上げる為の人足は? その期間は?
壁の近くに立ち、手で触れて。
「石垣の隙間が恐ろしいまでに狭い。どれだけ精密な仕事なのだっ!」
「此と比べてしまったら”八幡”の城の石垣なんか、本当にスカスカだぜ。もしかしなくとも、ちょっとの地震で崩れちまうかもな」
周辺の国を次々に呑み込み。急速に財を成し大きく、そして強くなった筈の”八神”は。
交易、それだけに特化し、貪欲に力を付けてきたが為。
自身を支える技術に乏しいという、明確な弱点を併せ持つ。
だが、”八神”を支える財それ自体が国の実力であり、凡そ金で買えるモノである限りは。
「言い値で買ってやる。全てよこせ」
この一言だけで、全てが解決するのだから。何の問題も障害も在りはしなかった。
……これまでは。
「もし、この先の国へ我らは立ち向かわねばならぬ。そうなってしまった場合……」
「俺なら絶対に逃げるね。こーんな壁を平然と建造っちまう様な奴らとなんか、戦ってられっかよ」
壁を作る多大な労力すらものともせぬ。その事実一つだけでも恐ろしいと云うのに。
この壁の眼に見える範囲に、雑な仕事が何処にも見当たらないときている。
最初から、後の修繕一切の維持管理も視野に入れ設計、建造するという念の入り様だ。考察すればする程、相手の気の長さと、思慮の深さには恐れ入るばかりだ。
「この一件、全て正直に報告したとして。法螺を吹きよって……などと、皆から笑われると思うか?」
「下手をしたら。下らぬ報告で軍に要らぬ混乱を招きおって、と。俺達ゃ逆に処刑されちまうかもな」
────いや。下手をしなくとも、そうなる気が俄然してきやがった。
少人数での”偵察行動”だからこそ。
口裏合わせも容易であり、また此度の一件それ自体が。余りにも現実離れし過ぎていたが為に。
『きっと、誰も信じてなぞくれぬだろう』
”偵察部隊”の皆の意見は、此処に来て初めて見事一致した。
「……なぁ? どうせ誰も信じちゃくれねぇ”法螺話”だ。いっその事よぉ……」
────”壁”を超えて。”理想郷”とやらを、一丁拝んではみねぇか?
「それもまた一興か」
「だな。このままじゃ、帰るに帰れねぇ。どうせ帰ったところで死ぬ可能性すらあるんじゃあ、賭けてみるのも悪くねぇのかも……」
「理想郷、ねぇ……? てかよ、”農民の理想”ってなぁ、一体なんだろうな?」
「そりゃお前ぇ、決まってら。”田んぼ”だろうよ。後は植えるだけの田んぼが貰えりゃ、奴らきっと喜んで……」
民が他所に移住するともなれば。
先ずは其処に棲まう魔物たちを駆逐し。
次に木を切り倒して、根を退かし、土地を切り拓き……と。地道に開墾をしていかねばならぬ。
そうして、何年も掛け汗水を流し、時には血も流して。
その末に、土を作り田畑を築き上げ、そこから漸く……の話なのだ。
”獣”を自称する”蛮族”による圧政に苦しみながら、それでも土地にしがみついて生きてきたのは。
文字通り、死ぬ目を見てきた先祖たちの苦労を、彼らは知っていたからだ。
……それなのに。
「彼らは其れすらをも捨て、新天地へと求めたのだ。”法螺話”に生命を賭けて」
「ならば。ひょっとしたら、我らも生命を賭ける価値があるやも知れぬ。この壁の向こうに」
壁を乗り越えて。
その先に待つのは、地獄か。真の理想郷かは。
”八神”の兵達にも、それは解らない。
だが。どうせ死んだのだと思えば。その程度の”博打”は、面白いかも知れない。
拡大の一途を辿る国の兵などは所詮、捨て駒に過ぎぬ。
であれば。その身分自体を捨ててしまうのもまた、選択のひとつだ。
「俺、そんなこと考えたこともなかったよ」
「ああ。お前は親が兵長だったもんな」
出が農村の次男、三男であれば。
兵役、それから逃れる為だけに、祖国を捨てるのも当たり前なのだが。
丁度この時代の辺りから、”職業軍人”が戦国の日本にも存在していた、らしい。
10名にも満たぬ、小さな武装集団のひとつの行動によって。
陽帝国は。
この日、”戦後”が終わった。
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