第304話 ドロ◯ン閻魔さん
「……夜摩よ。態々お前さんが出しゃばってくるってのぁ、流石に可笑しいだろが。此処は地獄の四丁目辺りなんだぜ?」
「ふん、その様な些末事なぞ気にするでない。そも、死の国とは我が領域なり。であらば、何処におろうと我の勝手であろ?」
死後、魂は閻魔の手に依って生前の行いを全て論われ、その沙汰を受けるとされているが。
基本、閻魔が座すは。”六道”のその入り口であり、地獄の中では決してない。
「いいや、絶対おかしいね! ……てゆか、お前さん。何をそんなに焦っていやがんのさ?」
「……ぬっ。貴様、人の分際で我を嬲るかっ?!」
地獄に”生き霊が”在る。
自然の摂理から外れたそれは。確かに異常事態だ。
だが、抑も此度の”地獄巡り”は。
欠片も霊感を持たぬ静が、退魔行を修める。その目的の為に、俊明たちは事前に準備を済ませている。
地獄を統べし閻魔大王が。そのことを承知していない筈は、絶対にないのだ。
「臨……無駄だ。ぶっちゃあいるが。お前さん、祈の”式”だろ? そんなのが本職に勝てるかよ」
「ぐ。ぬっ……ぬぬぬぬ……」
俊明が素早く両手を交差させた所までは。静の眼にも、何とか知覚はできたのだが。
瞬く間に、その10の指が。幾通りもの複雑な形を描き、更には虚空に静の知らぬ文字までをも書き連ねられては。
(あの人が、何を為ようとしたのか。何を為たのか……全然、解らなかった……)
如何にも胡散臭いおっさんが云った、”閻魔”とは。あの強大な”圧”を与えてくる存在のことで、恐らく間違い無いのだろう。
そして、”地獄の王”なのだと自称していたが。それもきっと間違い無いのだと思う。自身の存在を、簡単に押し潰せてしまえそうな、あの”圧”の前には。
────所詮、私なんか。ちっぽけな人の身でしかないのだ。
そう思わせるに足る、恐ろしいまでの”権能”を感じたのだから。
「……なのに。母さまの”式”って……?」
「そのままの意味さ……おい。此の世界で己が存在を完全に抹消されたくなきゃ、大人しく俺に従え。さもなくば……」
「……っ、やむを得ぬ。従おう」
あの恐ろしい圧を放っていた存在が。
見窄らしい見た目をした、如何にも草臥れたおっさんの前に。まるで借りてきた猫の様に、小さく背を丸めたのを目の当たりにして。
(駄目だ。この技術、やっぱりわたしには付いていけない……)
静は、自身の心が愈々折れる音を。今はっきりと耳にした。
◇ ◆ ◇
「……っかー! 下手に強い存在を支配下に置いちまうと、ホント面倒臭ぇなぁ、もうっ!!」
愛しき我が子を、護る為……だったとはいえ。
あの時、祈は。
必要以上の。それも、かなりの霊力を式紙に込め"夜摩”を喚び出したらしい。
「で? やる事やったンなら、そこで大人しく還ってりゃ良かったってぇのに。態々こうして、静可愛さに”地獄巡り”から追い出そうと出張ってきたってか……」
「然り。まさか、貴方様が我が主の”師”であったとは……」
余った霊力を持て余し。それならば、現界できる自由を満喫していた……などと。
まさかまさかの”夜摩”の物言いに。
呆れ果てた俊明は、と云うと。
毛根への深刻過ぎるダメージを忘れ、ガリガリと派手に薄い頭髪を両手で掻きむしった。
「……やっぱ抹消しちまうか。もうこの世界で”夜摩”は使えなくなっちまうが、こんなのが存在ても、絶対碌な事になりゃしねぇ。祈にゃ、俺の方からちゃんと説明しとくからよ」
「待て。いや、お待ち下さいっ! それだけはっ、それだけはどうか……っ!」
式神として、此の世界に在る。
ということは。”概念”、それ自体が、人々の中にも存在すると云う確かな証明でもある。
だが、呪術の道を極めた俊明は。
やろうと思えば、阿頼耶識への干渉もできる。
”概念”そのものに干渉されてしまっては。人より上の階位に在る上位存在であっても、文字通り”消されて”しまうのだ。
「つまり、わたしはまた母さまに甘えちゃってるってこと?」
「いいや。どっちかってーと、お前さんのカーチャンがどうしよもなく”子離れ”ができてねぇ……って方が正しい」
”式神”とは。
予め式紙に書き込められた命令構文だけでなく。召喚者が念に込めた”想い”を基本方針とし、それに添って動く存在だ。
鬼や竜に代表される幻想種や、上級妖精。または”神”にもなれば。
「変に自意識を持って現界しやがるモンだから、こんな風にややこしい事になる訳だ」
「申し訳ないが、我が主には黙っていて欲しい」
本来であれば、一仕事を終えた”夜摩”は。祈の手元に、式紙として戻っていなければならなかったのだから。
「駄目だ。今回の一件、俺は全部言うぞ。どれもこれも。あいつのやらかしが発端だからな」
怒りに任せ、込められるだけの霊力を式紙に込め。
人を呪えば、当然、自身に還ってくる。そんな因果の応報による結果だったとは云え、大量の死者を出し。
反転した呪詛による瘴気と、その結果に依って積もりし怨嗟は。帝都を瞬く間に汚染し。
その惨状に心を痛めた娘はと云うと。
正義感に燃えるのは、全然構わないのだが。
自身の持つ魔術の才と同等に、物事を軽く考え。無謀な修行をもやるのだと言い出し。
そんな両親の心配を他所に、修行を強行してみたら。
心配性の母の想いに応えるかの様に。
”契約違反”を当たり前の様にしてのけてきた”式神”が、恥を忘れこうして出しゃばってきたと。
「……なんか。完全にシラケちまったなぁ」
「わたしは、もう心が折れました……」
────退魔行、舐めてました。
瞳に薄らと涙を浮かべ、静は下を向いたままだ。
「で、どうする? まだ地獄界、餓鬼界、畜生界の一部を廻っただけだが。修羅界と、人界は……まあ、此処は良いにしても、流石に天界はなぁ……」
此の世界の天界と云えば、俊明の脳裏に浮かんだのは。
『やあ。ボクの管理する世界へ、ようこそ』
あの管理官の、趣味全開の部屋”Bar.ゴッド”だ。
(未成年に酒を呑ますにゃあ、倫理的にも流石に不味いよなぁ……)
「少しお待ちを、我が主の師よ。そこな娘御だが、我に預けては戴けぬだろうか?」
「……あん?」
◇ ◆ ◇
「確かに霊力の無い子が退魔行を修める為にゃあ、一度死を体験する必要があったのだが……」
「まさか、こんな裏技があったとは……ねぇ?」
"夜摩”が申し出たのは。
一度、静を裁くことだった。
「……”地獄の沙汰”そのものが、まさか生まれ変わるのと同等の意味を持つたぁなぁ……俺も知らなかったわ」
「とっしーが知らなかったんだったら、私なんか知りようもないじゃないか」
「……臨っ!」
そのお陰で。
静は、凡そ”人並み”の霊感を、その身に持つことができた様だ。
「……だが。未だ瘴気を完全にゃ祓えないのは、変わらない……ってか」
「此ばかりは……とっしーは、もう気付いているんでしょ? 原因」
『少しでも見た目を変えちまったら、負けを認めた様なモンだ』
そう言って憚らない守護霊その1はというと。
皮脂でテカる額を、掌でぺちぺちと叩きながら。
「まぁ、な。此はもうホントどうしようもねぇわ。あの邪竜がやったこと、全部正しかった訳だが。それでも」
「私たちには、何と云うことも無い、簡単な話。なのだけれど、ね……」
世の法則に従い、定められた動作を、繰り返し繰り返し行う娘の姿を。
ふたりの呪術師は、ただ遠くから見守ることしかできなかった。
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