第303話 退魔の行ー地獄極楽編ー
「そうだ。陰陽行ってな、自然法則に則った歴とした”学問”だ。その法則さえ確り頭に入れてりゃ、お前は世界を従える事もできるのさ」
一見、草臥れた見窄らしいだけのおっさんが云う”陰陽の術”それ自体を、胡散臭いものだと断じていた静であっても。
ここまで自身を護ってくれた、この権能を。
今では、
『もっと深く知りたいっ!』
……そう思う様になっていた。
マナの存在を求め、マナの意思を聞いて……悪い言い方になってしまうが、”一々マナのご機嫌を取らねばならぬ”魔術とは。その権能の在り方、根本から違っていたのだ。
「はっ! お前の母が云う”天才”であっても、まだその程度なのか。マナのご機嫌を伺ってる様じゃ、二流それ以下だな。マナの方から進んで服従する様に仕向けて、漸く一流の仲間入りだ」
上級魔術、それぞれの術に意思が存在する様に。
当然、マナにも”意思”が存在する。
命在るモノ、その全てに宿りし万物の生命の根源たるマナは。
使役され、必要とされることを第一の歓びと知る、善性の存在だ。
だからこそ、その権能の根源を彼らに求める魔導士には。何物にも決して揺るがぬ、強力な意思を求められる。
意思を持つのだとは云っても。”個”は持たぬマナは。決して曲がらぬ固い意思と、欲を示す強烈な”個性”に強く惹かれる性質を持っている。
マグナリアが、あの世界に於いて”最強の大魔導士”と周囲から恐れられたのは。自ら求めずとも、彼女の持つ強烈な”個”を前に、マナの方から一方的に彼女に服従していたからに他ならない。
その点、静はもとより。祈も、未だその領域には到達できていない。
そして。魔術、その扱いに関して云えば。
生前、結界術の一部しか使えぬ世界に拉致され、”勇者”として戦う事を強要された過去を持つ俊明は。
この世界一般に当て嵌めてみても、宮廷魔術士クラス以上の力量を持っている。
生前、俊明が”勇者”として戦場で生き残る為に階位上げを(本人のやる気が欠片も無かったのだとしても)続けてきたからこそ、その後の武蔵、マグナリアたちの、”その道の専門家”の魂への下地が形成されたのだ。
「本来、魔導士のお前は、ちゃんと体術の方も修めておかなきゃいけないんだがなぁ」
「ううっ。其処を云われちゃうと……」
基本的に魔術と云うモノは。
マナを圧縮する際、術に定められた詠唱を正確に行い、予め”世界”に対し、術の効果と範囲を宣言せねばならない。
無詠唱で在っても術の行使は可能であるし、良く熟れた魔導士であれば、暴発する危険性も皆無だ。
だが、世界に対し宣言もせずに。半ば”不意討ち”の様に行使する魔術は。
同等の技量を持つ魔導士であれば、簡単にその性質をねじ曲げる事ができる。
だからこそ、自身が無防備に成り得る危険性が其処に孕んでいても、確実に魔術に完成させる方を、魔導士は選ぶのだ。
そして、自身の身を護るのは。当然自身の技量こそが全てだ。
前衛がいる。それが前提で在るとしても。最悪の、その状況を想定して。指導者の仕事としては最低限だと云える。
「強固な結界を構成できる今ならば、其処まで重視する必要は、確かに無ぇだろうが……”保険”は多いに越したこたぁ無ぇ。引き出しの数こそが、お前の命を担保する。それを覚えておけ」
────無事、この行を終えたら、今度は体術も訓練をしていくからな?
「……はい」
一度この眼で見た魔術式を、無詠唱で再現ができていた静にとっては。
体術の基礎訓練なぞ、身体が疲れるだけの無駄なものでしかなかったのは事実だ。
……正確に云えば、「そう思い込むことで訓練から逃げていた」だけに過ぎぬのだが。
その為。”ドンクサ”の静にとって、俊明のこの言葉は。半ば死刑宣告にも等しき、過酷な重さを持っていた。
「一般剣士3人に囲まれても。これを無手の状態で、無傷のまま乗り切って初めて魔導士を名乗れる……だっけか? いやぁ、お前の母親にしては珍しく良いことを言ったモンだ。ああ、そうそう。当然”それで最低限”の話だからな?」
「……っ?!」
何だ、その理不尽過ぎるトンデモ要求はっ!?
静の頭の中に浮かんだ言葉は、正にそれ。
だが、確かにあの母ならば。平然とそんなことを言いそうな気がするのも事実だ。
此処に来てはじめて、静は長年母の指導に文句を言いつつも、普通に付き従う魔導士隊の面々に尊敬の念を抱いた。
「さて、静。気を抜くなって、俺は何度も言った筈だぞ? 結界境面が揺らいでる。そのまま血の池にドボンしたいのなら、俺はもう注意しないが?」
「あわわっ」
ハゲのおっさんの指摘で、漸く自身に危機が迫っていたのを知り、静は慌てて此の地に降りてから何度も行ってきた印を改めて結び治す。
「結界術ってなぁ、常に無意識の状態で保てる様になっていなきゃ駄目だ。嫉み、妬み。怨み、辛み……凡そ人の心の闇が知らぬ間に造り出す呪詛ってなぁ、なまじストレートな感情だからこそ。それを正式に学んだ者でなくとも、当たり前の様に他人に影響を及ぼしてきやがる」
呪いとは。
人が”自分”という意識を獲得したその瞬間から持つ最古の”権能”だ。
他人を羨み、それが嫉みへと変じるまでに。大した時間は掛からぬのだから、当然だと云えよう。
原初から在るこの”権能”に対し。
物理で防ぐ手立ては皆無であり。唯一対抗できる手段は、結界術だ。
「お前さんも、もう気付いてるたぁ思うが。地獄に巣くう亡者どもってなぁ、唯一”生者”を嫉む。奴らにとって、”生きている”。その一点だけで、もう殺したいほど憎く感じるんだとさ」
だから、少しでも結界に綻びができれば。
直ぐにそこから引き裂かれ、魂を食われちまうぞ、と。
誇張のない、ただの”事実”が。
ここまで恐ろしく聞こえるものなのかと、静はひとり戦慄した。
確かに、地獄界に降り立ってから。
その旅程は終盤に差し掛かっている……のだと聞くが。
この場に来るまでに。
”鬼”はもとより、餓鬼を代表する”亡者ども”にも。何度も何度も襲われては。何とか、それをやり過ごしてきた。
「……だが。まだ”祓う”段階までには、いかねぇンだよなぁ……」
「うううっ……」
自身に纏わり付く邪気、瘴気を防ぐことはできても。
未だ祓うことが静はできていない。
「……お前さん。まだ自分は死なない。だなんて、心の何処かで甘く見ちゃいねぇか?」
「え? まさか……」
────そんな筈はないっ!
珍しく声を大にして、静は俊明の持つ疑念を全否定してみせた。
生まれてから此処まで、大きな声を出した覚えが無いくらいの、だ。
事実。静は一度、餓鬼に両の足を膝上半ばまで喰われて死にかけている。
魂に負った傷は。肉体とは違い、意思の力によって、後にいくらでも復元はできるが。
あの場で魂を喰われ死んでいても、何ら不思議は無かったのだから。
「だが、事実お前の放つ呪には。破邪の念が籠もっていない。足りないのは、”覚悟”か。はたまた……」
俊明の中には、もう解答は出ているのだが。
此を静に懇切丁寧に説明してやったところで、どうこうできる類いの話ではない以上、実際に死ぬ目を見ないと、凡そ解決は不可能だろう。
すでに俊明は。静に落第を突き付けるつもりでいたのだ。
「陰陽師どのよ。其処な娘御を、置いてゆけ。此処の地は、正に”地獄”であるっ!!」
魂の奥底から揺さぶられるかの様な、その圧倒的な”霊圧”に触れた途端。
”霊感”を欠片も持たぬ筈の静でも、一瞬で恐怖に固まった。
「……閻魔か。やはりこの世界の地獄にもいやがったか」
「然り。死者の地を治めし我が出張らねばならぬこの事態。其の時点で、そこな娘御は罪咎を持ちし魂、その証成り」
ついこの間、祈が呼びだした式の”夜摩”は。同一の存在なのだから、此の場にいて当然なのだが。
それは理解できる。理解はできるが……
「何故、この娘に拘る? お前の仕事は、墜ちた魂を裁くことだろうが」
「だからよ。地獄に在る。即ち、その魂を我が裁かねばならぬ────そういうことだ」
「ちっ、これっぽっちも融通が利かねぇ奴だな。旅行の予約は、俺の名でしておいたはずだぞ?」
その様な事情は知らぬ。
そう嘯く閻魔大王の放つ強大な”圧”の前に。
無力にも等しい静は、ただ震えるのみだ。
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