第302話 退魔の行ー地獄渡り編ー
「魔導士ってなぁ、本当に難儀な人種だよなぁ。マナが無きゃ、何もできねぇんだからよ」
実際、煽り目的なのだろう、ハゲの声に。そして、その言葉のひとつひとつが。
「うっさい! アンタ、ちゃんと私を護ってくれるんだよね?」
一々、娘の癇に障る。
「まさか。お前の母親も言ってたはずだし、俺も何度も忠告はしたぞ? 気を抜くと死ぬ……と」
「ちょっ……!?」
身を護る術の全く無い、今の状態では。
尾噛 静は、数え14のただの小娘でしかないと云うのに。
「……はぁ。死にたくねぇってンなら。文句言わず、今から俺の言うこと全て頭の中に叩き込め。先ずは……」
この世界の法則は。
様々な世界設定が”混ぜ交ぜ”になった混沌だ。
その中でも。魔術と、それに準ずる各法則が比較的優遇されてはいるけれど。
それでも、他を圧倒すると云う程でもない。
(俺が落とされた”あの世界”では、全く使いモンにならなかった”技術”だったが。此処では、地球とそこまで大きな差は無いし多少不便でも、それに比べりゃ全然やり易くて実にありがてぇや)
だが、この世界でも<十二神将>などの強力な式を一応は喚び出せたものの、やはり俊明は十全の力を発揮できないのだが。
「先ず基本の印がこれだ。人類が創り出した文字や図形と云うモノにはな、必ず”意味”と”権能”が其処には込められている。その全部を覚える必要は無いが、そういうものだと云う認識は、常に頭の片隅にでも置いとけ」
印とは。
空に任意の文字や図形を刻み、世界に宣言をする事で。
辺りに満ちし”氣”を集め、その法則に基づいた現象を引き出す為の術だ。
「慣れれば詠唱破棄も出来る魔術と違って。陰陽行ってなぁ、発動までにどうしても一定の時間がかかる。だから、慣れろ」
任意の現象を引き出すために。必ず所定の印を結び、空間に文字を描いて世に宣言をせねばならない呪術という代物は。
基本的に、手順の省略ができないとされている。
抑も、現在に伝わるそれら術の全ては。基本的に、先人達の手に依って既に”最適化”が為された技術なのだ。
「これが、こう……で。あと……ごめんなさい。もう一回、手本をお願いできますでしょうか?」
「おー」
(────そこで素直に頭を下げることができるなら、まぁ合格だな)
当然、一度やって見せただけの動作で、完全に再現できるとは誰も思ってなんかいない。
ただ、”人間”は。
どうしても見栄を張りたがる生き物なのだ。
特に、誰よりも「これだ」と自慢できる様な。得意とする分野を多く持つ人間ほど、その度合いは強く、激しくなる傾向に在る。
こと、魔術に関しては。
この帝国で、”魔の尾噛”とも呼ばれし第一人者たる母の祈ですら、手放しで褒める程の実力を示した静なぞは。
今では、鼻が長く伸びきり。正に”天狗”となりかけていたのだ。
(長くなり過ぎた天狗の鼻っ柱を、徹底的に叩き折ってやるつもりだったンだが……どうやら、アテが外れたくさいな)
もし此処で。少しでも反発する様な素振りを、静が見せるのであれば。容赦無く見捨てる腹積もりであった俊明も。
今この時に。教えられる全てを。
「身を護る為にゃ、やっぱ<結界術>からだな。いいか……?」
素質云々なぞ、そんなの端から知ったことか。
呪術とは。元は自然法則から見出された、純粋な学問なのだ。
凡そ学問と云うモノは。
頭に叩き込めさえすれば。多少の馬鹿であろうと、覚えている限りの一定の能力は発揮できるのだ。
(根が正直なのは、確かに得難き美徳だが……できれば、このまま大人になっても……)
此ばかりは。結局は、本人の性根の問題であり。親の教育だけでは、どうとも成らぬ。
だが、俊明は。
育ての娘の、その娘に。
彼女と同じ様に。その行く末を願わずにはいられなかった。
◇◆◇
凡そ仏教に於ける”地獄”とやらの定義は。
父母を殺した罪に。聖者を欺き殺した罪。仏身を貶め傷付けた。僧を虐げた等の”五逆の罪”と。
殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、綺語、悪口、高言、邪見、嫉妬等の”十不善業”を犯した者が、死後に堕ちる場所とされている。
所詮、宗教の教えの中に在る戒めの一つなので、厳密に全てをこうと守っている人間なぞ、何処にもいないのだが。
それでも、この教えの中には。殺生と醜き邪心の障りなど、世の道徳に通ずるものは、やはり多々あるはずだ。
「実際の”地獄”ってなぁ、人間たちの”認識”が寄り集まり、多数の「こうだ」と云う決めつけによって、自発的に発生した”不定の世界”のひとつなのさ。つまりは、最初に人在りきの、”後付けの異界”って奴だな」
「なにそれ? だったら、地獄と云うものは。本当は存在しない世界……なのでしょうか?」
「厳密に云えば違う。それに、もう既に”地獄”はこうして存在しているのだから。まぁ、そんなのは今更な話って奴だな。てゆか、多くの人間の”想い”が集まって、こうして新たな世界をも創り出しちまうんだから、人間の持つ”心の力”ってなぁ、本当に怖ぇよな……」
「下手な肝試しよりも怖いんですけれど……」
その様な不定の”混沌世界”で在っても。
中には、順序立てて。理論的な構成をしたがる人間と云う奴は、それなりに居た様で。
等活地獄
黒縄地獄
衆合地獄
叫喚地獄
大叫喚地獄
焦熱地獄
大焦熱地獄
阿鼻地獄……
”八獄”と呼ばれし、この八つの階層が、この世界には存在しているとされる。
「其処を今から一応全部廻る訳だが。さっき俺が教えた<結界術>は、何があってもしっかり保て。それがお前の身を護ってくれるんだからな。いいか? 心を強く持て。心に綻びができてしまえば、忽ちにお前の魂も亡者に喰われ、他の亡者たちと同様に最後は地獄の鬼と化す」
────心を、強く持ちなさい。
この行が始まる前に、母がくれた言葉だ。
ぽっきりと折れてしまった、静の心に。
じんわりと染み入る様な、暖かさが胸の奥から込み上げてきた。
自身の”心”を、強く持てば。
最後まで自身を護り、最終的には、我を通せるのだ。
それに。
人の持つ”心の力”とは。多くが寄り集まれば、こうして"地獄”と云う異形の世界まで創造できてしまうのだから。決して馬鹿にできない。
(心の力……なんて、デタラメな権能なんだろう……)
「……ほれ。地獄の亡者どもが、生き霊のお前の生命力を感知してやって来たぞ」
「心を強く持て。わたしならできる。教えてもらった通り印を結び、九字を切るんだっ!」
この身には、霊感とやらが欠片も無くても。
教えられた通りに印を結び、空間に文字を描くことはできる。
素直に現在を。全て受け入れてしまえば。
何でも当たり前の様に出来る……静は、そんな気がしたのだ。
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