第301話 退魔の行ー地獄入り口編ー
「────して、祈どの。此で良ぅござったので?」
「少なくとも。わたしがやるよりかマシ……だったんじゃないかな。って感じかなぁ」
「こればかりは。あたしやトシアキじゃあ、ねぇ? ムサシ。あんたなら親の経験も積んできたのだし、云わなきゃいけない事とか、何かなかったのかしら?」
祈に憑く三人の守護霊の内、自身の子を設け、育んだ経験を持つのは武蔵ただ一人だけだ。
彼は、四度の人生の、その全てに於いて。子孫に恵まれ、また天寿を全うしている。
こと人生経験で云えば。
この中の誰よりも長く、そしてより多くのものを持つ。
「そうさな……彼の娘御の件でひとつ。恐らくではありまするが、退魔行を修めると申し出たことを、甚く後悔なさっておったご様子。なのに、”地獄巡り”とは些か」
────皆、酷なことを為さるな、と。
顎に生える無精髭を指で撫で付けながら、全身黒ずくめの異形の侍は。
まるで他人事の様に嘯いた。
「……それ、幾ら何でも今更過ぎではないかしら?」
「さっしー。そういう大事なことはもっと早く……」
「面目次第も在りませぬ。いや、しかし。ひとつ、言い訳をさせて戴きまするが。彼の娘御は、呪術を魔術と同等に思うていた節が……」
この世界の法則は。
あの管理官が以前云っていた通り、
『色々な世界の”良いトコ取り”したちゃんぽん』
である。
こと、魔術に関してだけに云えば。
世界に満ちるマナが豊富で。
精霊は、積極的に他者を助けることに歓びを見出す素直な善性を持ち。
世の物理法則は、全て魔力で置き換えることができる程に、その性質が優遇されている。
つまり、魔術の行使と、その習得には。
自身の持つ素養が全てであり、また逆に。素養が無ければ、何をやっても習得が不可能なのだ。
偉大なる魔導士の祈をも凌駕せし、確かな素養を持つ静にとって。
魔術の習得、その一切は。電卓を持って臨む算数のテストの様な、至極簡単なものでしかなかった。
「それと同列に思っていたのなら。流石に人生舐め過ぎよね……」
「然り。その様に甘々過ぎる御仁。一度くらい痛い目を見るべきかと思い、拙者今まで黙っておったのでござる」
言えば聞く話であれば。懇々と語り、確り言い聞かせてやれば良い。
だが、世を舐めて軽く考えている様な甘い人間には。
幾ら、此方が熟々と真剣になって言い聞かせた所で、凡そ相互理解は不可能だ。
……であれば。
「如何に畜生であっても。痛い思いをすれば、自然と身体で学習する由に」
「……そうね。イノリ。貴女も身に覚えがある筈よね。そういえば、何度だったのかしら……実際に、貴女が死んだ数は?」
「ううっ……もう絶対に。思い出したくない……」
なまじ、三人の専門家の経験値と、素養の全てを備えて生まれ出でたが為に。
元来が持つ、チョーシコキな性格も手伝って。
過去、祈は。幾度も三人の専門家たちの手で。
死に至らしめられる程の、”教育的指導”を受け続けてきたのだ。
「何を申しまするか。全て祈どのの自業自得にて。我らがあそこで心を鬼にし、徹底的に扱き抜いたからこそ、祈どのは現在も生きて我が子を抱けておるのでござろうて」
「ううう……何も言い返せないぃぃぃ」
古い例から挙げていくと。
地下闘技場での戦いでは。水面 船斗の操る水の精霊によって窒息死していた可能性と。
地鎮祭の時の、”大魔王の欠片”との戦いでは。光流と愛茉の、新旧斎王と共に討ち死にしていた可能性に。
帝都では。
苛烈を極めた拷問に身体が耐えきれず、救出前に死んでいた可能性だって、当然否定できないのだ。
(まぁ、でも。逆を云えば、あそこであたしたちの技術をこの子に何も継承させなければ。もしかしたら……? なんて。あたしは考えてしまうのだけれど)
結局。自身では一度も手にすることの無かった、”女の幸せ”とやらに。
全く憬れが無かった。とは、流石に強がるつもりは更々無いけれど。
それでも、マグナリアは。
一瞬、愛し子に向ける眼差しに。より一層の慈しみを込めた。
◇ ◆ ◇
(……うあ。やっぱりこの修行、やめときゃよかったーっ!)
”幽体離脱”などという、初めての体験。
そして、言語による表現が困難極まる、我が身を覆い不安を掻き立てし、此の奇妙奇天烈な感覚には。
一瞬で、静の心が折れかけた。
周囲に満ちた、万物の根源たるマナを。
魔術士と云う”人種”は。無意識の内に、その存在を肌で確認し、魔力の腕で確保して。そして、全てを支配する。
それが魔術士と云う特別な人種が持つ”本能”、なのだ。
────だと、云うのに。
「ああ。生粋の魔導士のお前さんには、酷く残念なお知らせだ。”地獄界”には、マナなんてモンは一切存在しない。そもそも生きてる奴なんか一人もいない世界に。マナが在る訳ねぇだろが」
黒々とした髪を支える毛根が著しく後退して。
皮脂でテカる額が、少しだけ物悲しくも寂しく見える、何処と無く草臥れた様子を見せる中年の発した、そのひとことに。
今、正に。静の心が、ぽっきりと折れ飛んだのだ。
「うえぇっ?! それじゃあ、これから私はどうやって自分の身を護れば良いって云うのっ?」
何となく自身の不安を掻き立てる様な、この奇妙な感覚の正体に漸く思い至り。
静は、思わず叫ばずにはいられなかった。
欠片もマナを持たない魔導士なぞ、ただの人と何ら変わりが無いのだから。
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