第298話 堕天の神は
そいつには、生まれた時から記憶が在った。
此の世に赤子として生を受ける、その前からの”前世の記憶”が、だ。
「おや、この子は全く泣かないンだねぇ?」
「それがさ。村長ンとこの奥さん、聞いとくれよ。この子、実は生まれてから一言も声を出しやがらねぇんだ。もしかしてよぉ……」
この子が、何らかの欠陥を持って世に生まれてきたのだとしたら。
ただでさえ、家族の日々の食い扶持にすら困るこの田舎の寒村では。生かし育てていく自体が困難である。
特に唖の子は、成長した後も社会の中で生きていかねばならぬ上で、多大なハンデを背負うこととなるだろう。
他者との意思疎通ができない。
その一点だけで既に致命的であり、更に云えばこの世界、この時代において。
庶民の識字率というものは、ほぼ絶望的な値に過ぎず”筆談”などという代替手段自体が、そもそも前提条件として全く適してはいないのだ。
「おやおや。それは困ったモンだねぇ……」
村の新たな子の誕生を祝いにきた筈が、蓋を開ければまさかその様な忌み子であるとは。それは家族もお気の毒に。
つい先日、税として種籾の大半を持って行かれてしまったのに。その様な欠陥品に態々喰わせる麦なぞ、この村には一粒も余っちゃいないのだ。
「先月頭に、おばばを山に捨ててきたばかりだってぇのに……アンタ、これから一体どうするんだい?」
「うるせぇ。お前の胎が不味かったんじゃねぇのか? こんな糞餓鬼なんか産みやがって!」
「……喧嘩はよしとくれ。せめてアタシが家を出てからにさぁ」
夫婦の諍いなんぞ、犬もなんとやらだ。関わるだけ時間の無駄であろう。村長の奥さんはそそくさと荒ら家から出て行った。
夫婦待望の赤子だと云うのに。
だが、この子は。今まで泣かなかっただけに過ぎず、まだそうと決まった訳ではない。母親はその可能性に縋り付いた。
「ほら、お前ぇ。一度で良い。声を聞かせてはくれんね? それだけで。それだけで良いンだからさぁ」
「…………」
だが赤子は。母親の顔を呆と見つめるだけで、一向に口を開くことはなかった。
「しゃーねぇ、そんなのは、もう何処かに捨ててこい。それができねぇってンなら。俺が山さ行って捨ててくらぁ」
────それが。
全ての神性を剥奪され、更に魂を100の欠片に切り分けられた”元管理官”の。
この世界に堕ちてからの、最初の鮮明な記憶だった。
◇ ◆ ◇
山に捨てられた、その赤子は。
だが、しかし。
彼はしぶとく生き残った。
彼の運命を哀れんだのか。はたまたただの”態の良い暇潰し”と、他の神々から看做されたのか。
数々の偶然と。
ほんの少しの幸運とが重なって。不幸にも、彼は成人に近しい年頃にまで生き抜いたのだ。
「一応は。”この世界”にも、マナは在る……か」
堕とされた”この世界”は。
どうやら、元管理官が見つけ設定した”魔術法則”を何も改変為ず、そのまま使用しているらしい。
「お陰さまで、私は数々のズルができる。此なら……」
少なくとも、この世界に在る”魔王”ならば。
生きて櫓櫂の及ぶ範囲であれば、殲滅もできるやも知れない。
彼にとっての一番の幸運は。彼の創造した魔術が、そっくりそのまま使えたことだろう。
この力のお陰で、彼は今まで生きてこられたのは間違い無いのだ。
「一先ずの問題は。私の寿命が、どの程度なのか、だけれど。こればかりは……」
実際に。一度寿命を迎えてみなければ解らない。そう結論付けた。
そもそも彼は。
生まれての間無しに、父親の手で山に捨てられてしまったのだ。
この世界の常識なぞ、何も知らぬ。
今彼が使っている言語だって。恐らくは現地民に伝わる訳も無いだろう。
結局のところ、彼は。
唖だったのではなく、ただ単に自身に陥った壮絶な運命に。茫然自失であっただけに過ぎなかったのだ。
「この”世界”に於ける一般的な法則は。地球型惑星のそれとほぼ同じものである。そう認識していて良さそうだ。ほぼ1Gの重力に、大気中の酸素濃度は大凡21%。マナ密度は中~強の弱と云ったところ、か」
この世界の管理官の”加護”でも備わっていたのか。
自身の身体は、かなり頑強なのだと思っていて良いはずだ。
風邪をひいたこともなければ。
腹を下した経験も、全く無い。
もっとも、下痢は特に致命傷になりかねない危険なものであり、彼も細心の注意を払って生活していたのだが。
「……さて、この身も充分に育った筈だ。そろそろ”魔王”の因子を探しに、動くとしようか」
戦いの”技術”自体は。
彼が自身の管理する世界の人間共に示唆し、やらかしの直接原因となった”勇者召喚”の時と同様に。
自身に対し、かなり強力な”ギフト”を仕込んでおいたから、特に不安を感じてはいない。
問題が、一つあるとするならば。
「この世界の人間の手を借りることは、果たしてできるのだろうかな? 少なくとも。私を捨てた両親のことを念頭において考えると、何も希望なんか持てやしないのだけれど……」
とはいえ。
この魂が完全に擦り切れ、最期に消滅するまでは。
強制されし『使命』を放棄することなぞ、絶対に赦されもしないのだが。
「────なるほど。”転生勇者”と云うものは。こういった心持ちで旅立っていったんだねぇ」
事の深刻さとは裏腹に。
元管理官の魂の断片は。
何処までも他人事の様に考えている様だ。
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