第294話 陰湿な呪詛です
二人の子、真智は。経験豊富な乳母曰く、
「へぇ。ほんに、真智様は。全然手の掛からない稚児でございますねぇ。ウチの息子もこうであれば、わたしも随分と楽ができましたのに……」
だそうだが。
実際、真智はぐっすりと良く眠り、そして滅多に夜泣きもしない子で、覚悟していた睡眠不足もほぼ無く、逆に二人が心配になってしまうくらいだった。
手の掛からない子なのは、育児経験の浅い、若き夫婦にとってもきっと良いことなのだろうが。
その代わり。
「……あ。また来ました」
「多いのぉ」
次代の”尾噛”の。
真智の生命を狙っていると思しき、大小様々な呪詛が。尾噛夫婦にとっては、目下の悩みの種となっていた。
悩みとは云っても、祈が無意識の内に発する神気だけで。
呪詛は薄れ、瘴気は綺麗に霧散してしまう。その程度と云ってしまえば、実際その程度のことで。
真智にも、そして二人の身にも何の問題も無いのだが。
「……てゆか。彼方がこんなに必死になる意味が、私には全然解らないのですけれど……祟さま。此の地の”地頭”たる貴方様のお立場。その認識、私の方が間違っておるのでしょうか?」
「いや。祈の認識で合うておる。己は、倉敷の”地頭”……つまりは、代官に過ぎぬ。そもそも、この”都”は帝国直轄領だ。祈の、”尾噛家の領地”では、決してないのだからのぉ」
……だから、こうして”原因”に付いての考察を。
夫婦ふたりして茶飲み話がてら、のんびりと話し合うことができる。
新倉敷の都と、その周辺に。
内海を隔てた”死国”全域の地は。
今や帝国内に於いても、有数の”富めし地”へと変わりつつ在った。
その中でも、一際栄える此の”倉敷”の地を治めし”地頭”の尾噛 祟に、次代を担う長子が誕生したともなれば。
このまま、”尾噛領”の治世が盤石となれば。
此方が横取りする機会や、おこぼれに与るために付け入る隙も、手にすることが出来ぬではないか!
それを本国で嫉むだけの”誰かさん”達から。
此方は一度も頼んでもいないと云うのに。こうして”呪詛の贈り物”が強制的に届けられる様になるのも、まぁ仕方の無い話なのかも知れない。
「……それで笑って済ますつもりなぞ、此方には欠片も無いのだがな」
「です。”売られた喧嘩は、言い値で買って倍返し”。尾噛を侮りし者は、惨たらしく殺してやらねば。この子のためにも。そして、これからの尾噛に生まれし、我らの子の為にも……」
そもそも、呪詛やら呪いに類する一切は。
祟も、祈も。
二人とも”その道の専門家”であり、無数に飛んでくる呪殺の念なぞ、それこそ屁でもないのだが。
「だからと云って、赦せる訳も無かろうて。呪いとは。対価を払えぬ、もしくは払おうともせぬ者が、気軽に扱ってはならぬ技術だと云うのに。此の償いには、其奴らの命で購って貰うとするかのぉ……」
「相変わらず、祟さまはお優し過ぎまする……我ら夫婦の幸せを嫉むとは。斯様な塵芥なぞ、死して尚地獄の底へと徹底的に貶めて差し上げねばなりませぬ。<夜摩>よ、お出でませぃ」
夜摩とは、インド神話に於いて冥界を統べる王であり。また、仏教では閻魔大王のことを指す。
(うっへ。俺の知らぬ間に、祈の奴。遂には閻魔まで使役する様になっていやがったっ! てか、呪詛返しだけでも、仕返しには充分だってのに。幾ら何でもオーバーキルが過ぎるだろっ!!)
(げに恐ろしきは、母の愛よ。今の祈どのに勝てる者は、さても此の地上の何処にもおりますまいて……)
(そんな非道な奴ら、あたしも一緒になって仕返ししてやりたーい☆)
祟が、幼き乳飲み子に降りかかりし呪詛を、倍の力で跳ね返し。
祈が、夫の”呪詛返し”によって死した者を、冥界を治めし<夜摩>の権能を用い激しく追い打ちをかける。
今此処に。
最凶、最悪の夫婦コンボが完成した瞬間である。
「己の”権能”は。此方に対し、悪意、敵意を持つ者全てに及ぶ。跳ね返すは、呪術師にではない。其れを依頼した者達へと行く様に、曲げてやろうぞ」
「<閻魔>は、人々の生前の行い、その全てを視ている。我らが愛し子を呪いし事実、決して言い逃れなぞできぬ。その罪を背負うたまま、魂が消滅するまで永劫の苦しみを味わうが良い」
────この年の帝都では。
下から数えた方が早い、官位の低き、言うなれば”木っ端貴族”の当主どもだけでなく、有数の名だたる家の当主までもが。
まるで流行病の如く、大勢がお隠れになってしまったのだと、庶民の間で噂となった。
「……なんでもよ。皆々さま方は、どうやら神様の逆鱗に触れちまったってぇ話だぜ?」
「おおう、怖い怖い。いくらお貴族さまであっても、神様にゃ勝てる訳ゃねぇやな……」
酒の肴にするには、少しだけ物騒で。
それでいて、肌寒い夜にはまるで向いていない肝が冷える話題で盛り上がり。
「ああ、そうそう。何でも、皇女さまもってぇ話だ。あの方もお可哀想に。旦那さんが亡くなって、その菩提を日々慰めいらしてたってのによぉ……」
「ああ。何でも自害なさったってぇ噂の、あの方の……」
本来であれば、皇室の話は、庶民の間では禁忌なのだが。
それでも、”第一皇子光公自死”の一報は。
その当時、広く帝都を騒がせた一大事件のひとつだったのだ。庶民の話題にならない訳がない。
「ちょっとこりゃあ、俺たちも。一度、お祓い受けた方が良いんじゃね?」
「かもな。おれもさ、今の話でちびっとだけ、しかぶったとよ」
「うへ、汚ねぇな。勘弁してくれ」
この一件が切っ掛けとなり。
”遷都”が。首脳部の間で、真剣に検討される事態となったと云う。
※1 おしっこもらした
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