第29話 牛頭豪
(うわー、思わずやっちゃったよ……)
部屋を出てすぐ、翔は顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
兄妹に挨拶した後は、彼らの父親である垰のとっておき面白エピソードの数々でも披露して、親睦を図ろうと思っていたのに……どうしてこうなった? ひとり頭を抱えた。
今まで何度も出会って、そして別れてきた、どの”竜鱗人”とも異なる彼らの姿に、遠い記憶にある駆流を思い出してしまったのが、そもそもの原因かも知れない。
あの短い時間では尻尾の有無までは確認できなかったが、正面からざっと観察した所、腕や首筋には竜鱗人に必ずある鱗が見当たらなかった。多分、身体的特徴は、駆流と同じであるとみて間違いは無い筈だと思う。
友の垰から聞いた証の太刀に関する話は、200年以上ものつまらない官僚人生を歩んできた翔にとって、大変に興味をそそられるものであった。
遠い記憶にある駆流と、ほぼ同じ特徴を備えている様に見えたあの若い尾噛は、ひょっとしたら、証の太刀に認められた可能性があるのではないか?
もしそうであると仮定するならば、目の前にいる新たな尾噛は、それこそかの竜殺しの英雄と同等か、もしくはそれに近い力があるかも知れない……だから、なのだろうか。ついついあんな無茶な”お願い”を切り出してしまっていたのだ。
(急いては事を仕損じる……正に、今のボクの状況を表すにはぴったりの言葉だネ)
これで尾噛兄妹が、自分に味方してくれる展開なぞ絶対に無くなっただろう。よく知りもしない人間からの、一方的な、普通ではあり得ない”殺し”のお願い。そんなものに、一体誰が首肯するというのか。
(せめて、此方の知りうる全ての事情を、彼らに説明していれば……うん。無理だ。そもそも初対面の人間が、そこまで信用される訳なんか無いしねぇ……ボクが彼らの立場だったら、そんなの絶対にあり得ない)
深く深く溜息をつき、翔は宿の廊下を歩き出す。
時が巻き戻る…なんて奇跡は、まずあり得ない。自分は神でもないただの天翼人だ。こうなったら、無理矢理にでも尾噛兄妹を巻き込むしか他に手は無い様に思う。
「まぁ、どの道、これからやる事は、全て勅命なんだし…彼らには諦めて貰うしか無いかなぁ」
できれば、新たな尾噛とも、友好的な関係を結びたかったなぁ。
自分の判断ミスによって、すでにあり得ない未来図となってしまった事に悔やみながら、翔は家路についた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
屋敷に軟禁状態にあるとはいえ、邸内において、豪の身はほぼ自由であった。
鳳翔によって、彼は帝国の表舞台から完全に退く事になった。
帝国内において、豪は常に目立つ存在であろうとしたし、事実何事にも目立っていた。それなのにある日突然、彼は急に現場を退いたのだ。
今回露見した豪の行いは、家の格含め国内外に及ぼす影響を考慮する必要無く、外に明かす事なぞ絶対に出来ない前代未聞の大事件である。彼の処遇を知り得るのは、帝とそれに近しい一部の人間のみで、全て秘匿とされた。
そのため、対外的理由としては”物忌み”で、強引に押し通した。
牛頭の親戚縁者は、物忌みに入った豪の身を案じ、様々な見舞い品を送ってきた。
その中には、豪が欲していた外の様々な情報もあった。
曰く、蛮族が撤退を始めたらしい。と。
曰く、牛田の家が戦の準備を始めたそうだ。と。
曰く、新たな尾噛を名乗る者が夕刻頃、都入りした。と。
外界に遮断されている筈の現在の身の上では、到底考えられない位の、四天王筆頭として現役でいた頃と、殆ど変わらない程の膨大で新鮮な情報が続々と届けられてくるのだ。
邸内において、豪の身はほぼ自由であった。
だが、彼はとても不自由に感じていたのだ。
情報は入ってくる。だが、その情報を抱えていても、自分には何の決裁権も一切無い。
ただ、情報は流れて抜けていくだけ。
自分は、ただ取り残されていくだけ。
────時代に、ひとり取り残されていく。
その焦燥感に、豪は歯噛みする思いであった。
「我は、選ばれた人間なのだ。何故この様な仕打ちを受けねばならぬ?」
帝国において、最古参の格式のある牛頭家。その筆頭であり、類縁者は国の様々な役職に就く。その影響力は帝ですら無視できない存在なのだ。
「なのに、今の我は、ただそこに在るだけの木偶と変わらない存在に成り果てておる。何故だ?!」
自問自答する豪の頭の片隅に、常に居たあやつ。
「尾噛……そうだ、尾噛だ! あの偽物竜のせいで、我はこうなってしまったのだ!」
近くにある物を手当たり次第に掴んでは、壁に叩き付ける。豪のその行動は、完全に八つ当たりでしかない。
子供の頃に、幾度も聞かされた英雄譚。
邪竜を倒し、その尾から出でし、聖なる太刀を携えた英雄。尾噛駆流の物語。
憧れた。
そんな英雄が、その子孫が、この国に居る。
なのに。
憧れていた英雄の子孫は、子供の頃何度も聞かされ、思い描いていた姿とは似ても似つかなかった。
それが、とても許せなかった。
英雄と同じ尾噛を名乗ってはいるが、奴らは偽物だ、偽物なのだ。
その証拠に、奴らには尻尾が無いではないか。
竜殺しの英雄、駆流にあったという尻尾が。
だから、排除しようと考えた。
偽物なぞ、帝国には要らない。
偽物の英雄に頼らねばならぬほど、帝国は弱くは無いのだ。と。
そう思った。だからこそ、動いた。
そして一番許せなかったのが、”歴史”しか誇れない、自分の家と血。
英雄の子孫であった訳でもない。ただ、ずっと帝に仕えてきただけの家。
帝国が大陸を追われる事になった時にも、独立もせずに、ただ着いてきただけの家。
そして、実力を、実績を示せなかった、弱い我。
偽物のくせに、武勲を立て続けた、歴代の尾噛達……
全てが許せなかった。現状に甘んじている自分にも、そう仕向けた鳳にも、そして帝にも……
「全て壊してやる……全てだ。絶対に、絶対に許さぬぞ」
この場に居ない者全てを憎む。それ以外に、豪は何もできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はい。俺は、あいつが全然信用できません」
守護霊その1、反対。
「拙者も、同感にござる」
守護霊その2、同じく反対。
「やっぱり燃やす? 消す? 処す?」
守護霊その3、そもそも問題外。
「だからマグにゃん、待て。待てだよー? そうやって、すぐ燃やしたがるの、本当にダメだかんね? てゆか、それ全部同じ意味じゃん……」
物騒過ぎる大型犬こと守護霊その3に、すこしげんなりしてしまう飼い主。
だが、守護霊達の言い分は、ほぼ祈の思いと変わらなかったのだ。
鳳翔という人物は、信用できない。
彼が処分して欲しいと言ってきた、元重鎮は牛頭だという。祈の記憶では、父と同じ四天王の一人であり、家の格で言えば遙かに上の存在でもある。
そんなのを相手に喧嘩しろと言われて、頷く人間など居る訳が無いと、まだ子供の自分ですら解るのだ。
そして最後に残した、父親の仇はその牛頭であるという言も、信じるには色々と足りないと思う。そもそも垰が戦死ではなく暗殺されたという話自体が、初耳でありにわかには信じられなかったのだ。
「しかし、僕らは明日、その牛頭様と面会せねばならぬと言われました。もうすでに我々は巻き込まれているとみて間違いないと思います。少なくとも、嫌でも彼らの思惑に乗らねばならぬ状況とも言えましょう」
すでに自分達の明日の予定自体が、彼らの掌の上であるのだという望の指摘に、一同は深い溜息を洩らす。
これは、帝国内部の権力争いの一部だと考えるしかないだろう。何故か知らぬ間に一方的に巻き込まれてしまったのだというその事実に、心から愉快になれる要素は一切無い。ある訳が無いのだ。
「事の成り行き次第では、ひょっとするかも知れません。もし、鳳様の言う様に、牛頭様が父の仇であるのであれば、その場に赴かねばならぬという我々の置かれた状況は、戦場のそれとほぼ変わらないと思われます」
「なれば、我らも覚悟を決めねばなりますまい。戦うにせよ、逃げるにせよ、方針が定まっておらねば立ち行きませぬぞ」
「だなぁ。祈、悪いが明日は、俺達三人を現界させてくれ。お前らだけは、俺達が絶対に守ってやる」
「うん、お願いね。私と兄様を護ってね」
「任せて頂戴、イノリ。あたしが全て消し炭にしてあげるからっ!」
「……だから、待て。待てだって言ってるでしょ、マグにゃん」
どこまでも、どこまでも物騒な守護霊その3であった。
誤字脱字あったらごめんなさい。




