第284話 走るのをやめたい者
「本日は、お招き戴き有り難うございます」
「いやいや。此方こそ、不躾だとは思うたが。本当に済まぬ」
第一皇子光公からの直接の招きを断れる貴族なぞ、この帝国には早々居る訳も無い。
牛頭 豪亡き今、帝都で一番の権勢を誇る徳田家の、更には帝家直系の由緒正しき高貴なる血筋を持つ光公相手に、正面向かって刃向かうなぞ抑もあり得ぬのだから。
逆に、そんな光公が門前で直接彼女を出迎え、また頭を下げてみせた一件が、帝国に於ける尾噛 祈の現在を象徴したとも云える。
皇族以外の者が”紅”を持つことを、帝より赦された。
その事実は、それ程に大きな影響力を持っていたのだ。
「ごめんねぇ、祈クン。実はボクも居るんだ……」
光公の紅の翼の影からヒョイと顔を覗かせた鳳翔の姿を見た途端、尾噛夫妻は自身らが『嵌められた』ことを、嫌と云う程に理解した。
◇◇◇
「……美味い」
美味い茶と、それに見合う上等な茶菓子。
これだけで、人間ある程度のことは笑って許せる様になる……らしい。
(────そう思ぉていたのは、どうやら己だけの様だの)
未だ臨戦態勢を解こうとしない最愛の妻の様子に、祟は内心深く溜息を吐いた。
確かに光公からの書簡の内容と、現在二人が置かれた状況ではかなりの乖離があるのは事実だが。
まず、義兄の望がこの席に招かれていなかったと云う、その一点。
都入りして直ぐ様、尾噛”本家”────祈の”尾噛”も、帝より名乗りを赦された家である以上、この表現自体間違いだと云えるのだが、当主たる祈自身がそう思っているのだから、仕方がない────に、夫婦揃って挨拶に覗う予定であったのに、貴族の慣習に関する色々な柵みやら何やらで未だ果たせていない負い目を突かれたのだ。
祈の怒りを誘うには、これ以上無いくらいの”騙し討ち”だ。
そして、要らぬ騙し討ちの入れ知恵を光公に授けた人物こそが、今回一番の問題だったのかも知れない。
鳳 翔のやらかしでこうなったところで、更に更に。なのだから。
だからと云って、こうも敵対心を剥き出しにせねばならぬ事態だとは、祟にはどうにも思えなかったのだが。
(まぁ、祈がやり過ぎねば、己は最後まで好きにさせておくつもりだったのだが……)
その件の翔と云えば、祈の尋常ならざる殺気を集中的に浴びせられ、息も絶え絶え今にも死にそうになっていた。
”言霊”の理を完全理解した祟の眼に、祈の”念”によって全身を強烈に締め上げられる翔の様が良く視えた。
「祈よ、その辺で許してやれ」
「ですがっ……」
こんなのでも、一応は宰相代行なのだ。今死なれては困る。
祖国どうこうよりも、妻には”義父殺し”の咎を被せたくない想いの方が強い。
そう云う意味では、祟も”尾噛”に染まってきていたのかも知れない。
「……重ね重ね済まぬ。此方には其方との接点が欠片も見当たらぬのでな。こうして鳳殿にご足労を願ったのだ」
同様に怒っても良い筈の夫から諫められた上に、光公に頭を下げられた時点で、渋々ながらも祈は矛を収めるしかなかった。
(でも、いい加減鳳さまには一度痛い目を見せてやんなきゃ、私の気が済まないんだけどなぁ……もうっ!)
(いや、今ので充分過ぎるだろが。お前ってば、すぐ”殺す方”へと思考が飛ぶ悪い癖があるよな)
(あら。トシアキ、それの何処がイケないと云うのかしら?)
(解り易い”元凶”が、我らの直ぐ其処におりましたな)
守護霊たちによる今までの”教育”と、”尾噛”の思考。
此が合わさり、殺伐とし過ぎた祈の現在がある。
俊明と武蔵は、育児に失敗した事を嫌と云う程理解させられ、少しだけ後悔をした。
(……まぁ、だがあいつも今や本当の家庭を持ったんだ。少しは変わるんじゃね?)
(そうであれば。と、願わずにはおれませぬな)
(シズちゃんが今回のことを一番喜んでいた訳だし、大丈夫ではないのかしら?)
頭上で他人事の様にわいのわいの云っている守護霊たちを無視して、祈は不貞腐れた態度を改めないまま、一気に玉露を喫んだ。
「……して、光公様。失礼仕りまするが、妻に代わりて、わたくしめがお訊ね申し上げます。我ら夫妻に、何をお求めで?」
現在の祟は、一介の地方領主に過ぎぬ。
”紅”を赦された妻とは地位も違えば、また彼は尾噛家の入り婿に過ぎぬ以上、当主でもない。
皇族たる光公に直接会話を試みようなど、本来許される立場にはないのだが、現状、祈は冷静に会話が行える訳も無い。だが、黙って座っている訳にもいかぬ。無礼を承知で話を進めることにした。
「その様な堅い言葉遣いは無用だよ、”光秀”。予は帝より、そして<朱雀>様より、全てを聞いているのだからね」
「……なんとっ?!」
口に含んだままの玉露を危うく吹き出しそうになるのを何とか堪えたまでは良かったが。
鼻腔を通り垂れてきたカテキン水の痛みに、祈はひとり悶絶する羽目となった。
◇ ◆ ◇
「────つまりはね、光公さまも、”帝家の血の祝福”から逃れたい。そう仰っているのさ」
「だから、我らが喚ばれた訳、ですか」
であれば、元第三皇子光義──現在は三厳を名乗っているが──を喚んでも問題無かったのでは?
と祈は一瞬思ったのだが、考えるまでもなく三厳たちの今は”流民”であり、公的に死人と何ら変わらぬ扱いである以上は、正式に国が喚べる訳も無い。
「此の儘では、予は妻との間に子を設けられぬ。帝が新たな”宮家”を興さぬ方針である以上、予が次代の皇帝になれねば、子は何れ殺されようて。女子であれば、生命は赦されるだろうが」
「……そう云う訳、なのさ。だから経験者たる君達に、態々ご足労願ったって訳」
中央大陸で熾った”反乱”は。
圧政に苦しんだ地方の平民と、豪族が。
権力闘争に敗れ、辺境に飛ばされたとある”宮家”を担ぎ上げて始まった。
その経験がそうさせるのか。
現帝光輝は、決して新たな宮家を興すのを赦そうとしなかった。
当然、次代皇帝たる皇太子を指名するまで、妻帯した皇族は、子を成すことができない。
……いや、作ることはできる。
できるが、その子がずっと生きていられるかは分からない。男子であれば、確実に死を賜るだろうし、女子であっても、良くて他国へ嫁がされるか、尼僧院送り。悪ければ……基本的に、その三つしか道は無い。
家に依っては、死ぬまで部屋住みが許されるやも知れぬが。その程度でしかない。
至尊の頂に登れぬ者は、帝家の血を持つ者であっても安泰ではない。と云うことだ。
直系の男子からは、必ず帝家の血の特徴が現れる。
この弊害は、途轍もなく大きい。そのことを嫌と云う程思い知らされ、祈は改めて唸るしかできなかった。
(ふう。これで無理矢理祈クンたちを帝都まで喚んだ言い訳ができて、ボク的に本当に幸運だったよ。ありがとう、守り神さまっ!)
周囲の貴族からの突き上げに抵抗できず折れただけ。
なのに、今回の一件を含めしれっと帝都入りという話にまで”でっち上げた”のだから、鳳 翔という人物は、かなり面の皮が厚く、そして精神も図太い。
「では、”経験者”として語らせて戴きまするが……」
そんな翔の心の中は、わりと周囲にバレているのだが。
今更言及した所で、まるで誠意の無いジャンピング土下座を見せつけられるだけに過ぎない。祟は、諦めの境地を覚えつつ、光公に自身の経験を全て語ることにした。
「ふむ。一度死する必要がある……か」
「正確に言えば、この身体を捨てねば成らぬと云うことです。問題があるとすれば、兄様や、奥方殿は其れで良くとも……」
「徳田家が、絶対に納得なんかしないだろう……か」
「その通りにございまする」
当然だ。
未だ次代の指名が帝より無いと云うことは。
まだ”可能性がある”と云うことなのだ。
擁立せし我が子が、至尊の頂に立つ。
その可能性を残したまま、誰がすっぱりと諦められると云うのか。
「でも」
(────それってさ、私たち夫婦に、何の関係も無くない?)
祈の口から転び出そうになった言葉は。
羊羹と玉露によって、喉の奥へと押し込められた。
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