第283話 嫌々走らされる夫婦
保身に走った鳳翔のせいで、帝都に招聘されることと成った祈たち尾噛夫妻は。
「……まぁ、それでもこの麗糸の羽織り物が貰えただけでも良かったな、と思っておこうかな」
特上の絹糸を紅く染め、熟練の鈎編み職人が丹精込めて仕上げた逸品らしい。
太陽を模したのだと云うその紋様は。正しく、太陽の如き生命力に満ちていた。
紅は、帝家を守護する<朱雀>を表し、また国を表す。そして帝国に於いて、最も高貴な色とされる。
本来であれば、皇族でもない新興の貴族家当主如きが、その”色”を身に纏うなど、不敬の最たるモノだ。
だが、此が帝からの餞別ともなれば、途端に意味が変わってくる。
「帝が紅を赦した。お前が皇族と同等の扱いと成った、その証左よ」
日光を強く反射する煌びやかな白髪に、深い紅の羽織りの対比が映える。
最愛の女性の艶姿に、祟は眩げに見つめた。
「……お前は世界で一番美しい。ほんに己は果報者よ。生命を捨てた甲斐があったと云うモノだ」
「本当に。もうこれっきりにしてくださいましね? 私はもうあの様な思いは、二度と御免ですからっ!」
「……すまぬ。いつも手前勝手に振る舞ってしもうて。だが己は、お前が……お前の身も心も。全てがどうしても欲しかったのだ……」
「祟さま……」
「……こほん。お二人とも。これから予行演習があると、わたし然とお伝えしましたよね? 夫婦のお時間は、深夜にでもどうぞ。その時でしたら、もう琥珀はお邪魔しませんので、幾らでも御盛りになってくださいまし」
披露宴の予行演習は、みっちり本番さながらに行われる予定だ。
知らぬ間に国家行事の一つに指定されてしまったのだから、此の成否は国家の威信に関わる。関係者の気合いの入り様は、当事者達の想いを他所に凄まじきものがあった。
……とは云え、中央大陸から追い出される様に逃げてきた帝国は。
他国との交流なぞ、ほぼ無い状況であるのだが。
「……こげん裏側ば見てまうと、結婚に夢なんか絶対に見とられんとばってんなぁ」
「その前に蒼さま。貴女は番い候補を見つける方が先決では?」
「翠は残酷ネ。そんなの絶対見つかる訳無いヨー、”色気より食い気”。”花より団子”は、蒼のためにある格言ネー。美美と違っテ」
その気になれば、男なんか幾らでも引っかけられるヨー。
そう豪語して憚らない美龍は。
ご自慢の<豊胸の術>を駆使して爆乳を形作り、それを周囲に見せつけるかの様に揉みしだいた。
「しゃあしかねぇ。人んこと言えんちゃろうが、美龍も」
「美美は、時が来れば向こうから見つけてくれルから気にしてないネ♡ 元々、出逢いって云うのは”運命”ネ。焦っても無駄ヨ、無駄、無駄」
「さて。それは本当に”運命”と云う奴なのでしょうか? 『向こうからすり寄って来るのは、まず詐欺を疑え』……以前そう仰ったのは、美龍さまではありませぬか?」
「……本当に残酷やな、翠は」
幾ら外野が騒ごうが、当事者が全然乗り気で無かろうが。
日程は、もうしっかり組まれている。動き出してしまった以上は、もう誰にも止められなかった。
◇ ◆ ◇
「……御屋形さま。文が届いておりまする。一度、お目通し願います」
「分かった。そこに置いといて」
帝都の屋敷に入ってからと云うもの。
他家の誘いだの何だのと、色々な名目が付いた文が山と届けられてくる。
社交は、確かに貴族の”仕事”の一つだ。
だが、今や”倉敷”の内政やら魔術士の育成などが主な仕事内容となっている祈にとって、社交なんぞは、何の価値も意味も無い。
その様な不慣れなことに神経を尖らせたりしなくとも、普通に家人とその家族を喰わせていけているし、また今は都で活動をしていないので、帝都の貴族社会から爪弾きにされようと実害は無きに等しい。
「……なのに。こうして都に戻ってきた途端に、コレ。だモンねぇ」
「此ばかりはどう為様も無いわな。今や”倉敷”は、帝国の所有地の中で一番旨味がある。そう思うておる貴族は多い。当然、そのおこぼれに少しでも与りたい訳だ。文の量は、その証左よ」
”倉敷”や”米子”が一番苦しかった時は、一切何も為なかった癖に。
漸く経営が軌道に乗り始めた途端、揉み手をしながら愛想笑いを浮かべ。
『一枚噛みたい』
などと云ってくる。
掌返し極まれり。
それどころか、投資も為ずに利益をくれとは。貴族と云う卑しき奴らは、どこまで面の皮が厚いのか。
「……まぁ、一光さまには、ご無理を聞いて下さった訳だし。幾らか配当をしなければ不義理かと思うのですが」
「だのぉ。それも先ずは”披露宴”を終わらせてからの話だが……」
一応、今年の作付けに関しては。
目標通りに仕上がったのだとの報告は受けているが。
”実り”の季節を迎えねば、額面通りの成果が得られているのかは分からない。
帝国に租税を納め、更には今までの”借り”を少しずつ返した上で。領民への生活の向上を図っていかねばならぬ。
その指示は、文書ではなくやはり先頭に立ち口答ですべきものだろう。
そして、配当は、まだその更に先の段階の話だ。
「まだ我が領には、優秀な魔術士の師と魔術士たち多数がおるから、幾分ズルもできた訳だが」
「抑も、魔法とは。そこから発展した”技術”なのですから。戦に使おうなどという発想自体が可笑しいのですよ?」
開墾に始まり。
治水に、土木工事に関する全てを。
多数の魔術士に依る人海戦術で片付けたお陰で、領民のほぼ大半が餓死寸前であった惨状から、僅か二年足らずで富み栄えさせる領地へと変貌を遂げることができた。
そこは祟の云う『ズル』と云えば、確かにその通りだ。
だが、此はただの発想の転換であり、複数人の魔術士を抱えている家ならば、何処でもできるそんな簡単な話に過ぎない。
「ですから、態々私達に頭を下げる”振り”をしなくても良いはずですのに……」
「ま。そうは云うても、此ばかりはな。頭の硬い奴は、結局死ぬまで硬いのだ。責めてやるな」
届けられた文に眼を通し、返事を書くのは、夫たる祟の仕事だ。
尾噛家の当主は、祈であることに何ら変わりはない。祟はただの入り婿に過ぎぬのだ。
尾噛の家人であり、祈の従者の一人である翠に散々に鍛え上げられた祟の事務処理能力の凄まじさは、目を見張るものがあった。
言い換えれば、それだけ翠の扱きが苛烈を極めていた訳だが。
その甲斐もあり、祈の私室に山と積まれた書簡は、みるみる内に減っていった。
「……ぬ? これは……」
「どうなさいました、祟さま?」
高級な紙で綴られた巻物を手に、祟の動きが俄に止まる。
「……祈よ、この印を見てみぃ」
「……此は?」
如何に祈が優秀だとは云え、幼少の頃をただの姫として生きてきたに過ぎず、貴族家当主としての教育を受けて来なかった。
当然、家紋を一目見ただけでは、此が何処の誰を示すのか、一切分からぬのも道理だ。
そのことを思い出し、祟は祈の頭を優しく撫で梳いて詫びながらも説明を始めた。
「この紋は、”徳田”家だ。そして、朱印は基本”皇族”を表す。つまり此の文は、己の元兄、第一皇子光公様からだ」
「して、その様な御方から、何故尾噛へ?」
祈の疑問は最もだ。
光公は、帝都にて現在空位となっている宰相代行を行う鳳 翔の下で実務部隊を指揮する立場であり、一地方領主の祟とも、その代行であり、軍三位の祈とも接点は一切無い。
「……茶会の誘いだ。だが、此は断り難い。義兄上様が同席するらしい」
「うげぇ、面倒くさぁ」
「……淑女としてその反応はどうなのだ、祈よ?」
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