第279話 ”英雄”の結婚式
「……むう」
「どうなさいましたか、祟さま?」
ただ一人の女性の為だけに生命と共に名と、身分を捨ててみせた男は、死して生まれ変わってからは”祟”と名乗ることにした。
愛する女性から”言霊”という概念と、その仕組みを聞き、自ら決めた名だ。
祟は、本国から送られてきた勅書を手に、思わず呻く様に低い声を挙げた。
陽帝国に於いて、その女性尾噛 祈の”特異性”は、あまりにも際立ち過ぎている。
”武の尾噛”と、”魔の尾噛”。
二つの暴力を司る二つの家の、彼女はその片翼を担う家の当主であり、また”魔”を司る魔導士達の頂点でもあったのだ。
帝国貴族の中でも、新興の家である彼女の持つ”権力”は、家の歴史そのものを重視してきた今までの国の仕来りを真っ向から全否定してしまえるほどに圧倒的であった。
そして、男なら誰もが一度は手にしたいと思ってしまうほどのあの美貌だ……少しだけ、幼すぎるきらいはあるが。だが、女と子は幼ければ幼いほど良い。などと云うつまらぬ冗句も世にはある。
そんな彼女の家と心を完全に射止めただけでなく、今では帝国の富の象徴とも云える程の煌びやかな”新都”を含む倉敷の地を治める地頭の地位を得た彼を、帝国貴族の誰もが呪った。
『ぽっと出の成り上がりの癖に舐めやがって……』
如何に帝の勅だとは云え。
急に失踪してしまった第四皇子光秀の後継に、何故斯様な無名の馬の骨を使うのか?
帝国貴族の誰もが羨み歯噛みしたと云うのに。
更には、どの様な奸計を用い籠絡したのかも解らぬが、彼奴はあの尾噛までをも落としてみせたと云うではないか。
自身が損をするのは、まだギリギリ我慢をすることができるが、他人が得をするのを手を拱いてただ傍観させられるのだけは断じて許容なぞできぬ!!
……その様な心の卑しき者共が”貴族”を名乗り踏ん反り返っているのが、帝国の現状なのだ。
金を持つ貴族家の当主どもは、挙って呪術師を呼び、彼の無名の成り上がり者を呪わせた。
金を持たぬ貴族共ですら、なけなしの財を持ち寄り、同様に彼を呪う様に依頼した……と云う話も漏れ聞こえてくる。
「くくく。元兄様よ、今まさに貴方の周りには、凄まじき怨念が渦巻いておるわ。このままでは貴族共の嫉妬の呪いに代って狂い死んでしまうかものぉ?」
元腹違いの妹が、彼の境遇を揶揄するかの様に楽しげに呟くものだから、その様な不確かな”概念”に思わず縋ってしまったのを一体誰が責められようか?
だが……
「……成る程。私も今まで思い付きもしませなんだ。それは良き対策、やも知れませぬ」
『溺れる者は……』という、昔から続く格言に従っただけだったのだが、どうやら此の世の真理を突いていたらしい。”名無し”は此処に言霊という、自身を護る絶対的な鎧を手に入れたのだ。
『面白い。言霊を載せた名付けに代って数多の呪いを跳ね返すだけでなく、増幅までしてみせるたぁな』
『邪竜どのの”溺愛”っぷりにも、凄まじきものが在り申したが。此はまた、どうしてどうして』
『あの子、地味に魔術の素質も高かったりするのよね……現地人に此だけの権能を持たせてしまって、本当に良かったのかしら?』
それにより彼の名の示す通り、彼を呪った帝国貴族家の者どもに対し、一斉に”祟り”が降り注ぐ皮肉となった。
『”人を呪わば穴二つ”って奴だ。必死に他人の墓穴を掘ってたら、そのすぐ横に自分のための穴が一緒に掘られていた……ってな。他人を呪うってなぁ、この様に相応の覚悟が要るモンなのさ』
『所謂”呪詛返し”と云う奴でござるな』
『強すぎる力の行使には、必ず反動がある。そんなの初歩のお話、なのではなくて?』
『端からそんな覚悟が無いからこそ、平気で他人を呪えちまうんだろうさ。ああいう手合いは、本当に軽い気持ちで呪術師を呼び付けてきやがるからなぁ』
『おおう。語りますなぁ、流石は当事者にござる』
生前の生活を思い出してか、俊明は遠い目をする。
長期のヒキコモリ生活を支え続けた彼の仕事は、そんな依頼が大半を占めていたらしい。
現代地球の”裏の世界”では、最凶の呪術師”天地”の名は、それだけ特別な意味があった。
「……で、何故其処まで唸っておいでなのです?」
「……」
祟は無言のまま帝からの勅書を祈に手渡すと、直ぐ様手に取り文に眼を走らせたが、あまりにあまりなその内容に、彼女の脳が一瞬理解を拒む。
「……此は、何とも難儀なことで……」
「うむ。何故我らをそっとしておいてはくれぬのだろうのぉ」
祈と祟は、確かに契りを結んだ。
その際、身内だけでささやかな宴を催し、皆で幸せを分かち合ったと云うのに。
……なのに。
直属の上司たる帝と、一応は義父にあたる鳳翔の二人は。
それを不服とし、帝都にて二人の披露宴を国費で開くと云って来たのだ。
本来、貴族家同士の契りは。
家の者達だけで、内々に、ひっそりと。そして、ささやかに行うのが常だ。
「確かに、お前は国の英雄で間違い無いのだから、この待遇自体可笑しくはないと云えば、確かにその通りではあるのだろうが……」
「……冗談。そもそも誰も望んでなぞおりませぬっ!」
それを国費を投じてまで、帝都全部を巻き込んだ披露宴を行うぞ……等と、彼らは勝手に決めてしまったのだ。それも、本人達の意向を置き去りにしたままで。
真っ当過ぎる祈の反応に、祟は苦笑いをするしかなかった。
「だが帝は、欠片もそう思うてはおらなんだと云うことよ。此処は腹を括るしかあるまいて」
「……そう。なのですよ、ね?」
顔中に「絶対に嫌だ」と書いてある祈を見ながら、祟は「恐らく己の”お披露目”目的も兼ねているのだろう」と、溜息交じりに呟いた。
「……ま、どちらかと言えば”晒し者”の意味合いの方が正しかろうが、の?」
「やはり。そう、なのでしょうか……」
元々”我慢”という概念自体が薄い貴族どもを、帝国は抑えきれなかったのだろう。
そもそも”待て”ができる程度に彼らが最低限度の理性を持ってさえいれば、生前の祟はくだらぬ”後継者レース”なんぞで無駄に神経をすり減らす事なぞ、端からなかったのだ。
帝位継承順通りに、第一皇子の光公で決まっていたのだろうから。
更には、そこで”尾噛 祈”などという絶世の美女と同時に”魔の尾噛家”をも手に入れた(形に見える)祟を、公の場で悪意を持って弄るくらいしか、溜飲を下げる手段を彼らは持ち得ぬのだ。
……で、あれば。
当然、その機会を狙い、挙って動いてみせたのだろう。
帝はどうであれ、もしそうなった場合、あの鳳 翔であれば貴族どもからの圧を前に、絶対に首を縦に振るのは目に見えている。
「元来、己は死人だ。今更何を言われても構わぬが……頼むから短気だけは起こさないでくれよ。お前が怒れば、帝都は瞬く間に焼け野原だ」
「……あなたさまが”私”をどの様な眼で見ていたのか、今の一言でよぉっっっく、解りました。その件に関して、今夜じっくりとお聞かせ願いましょうか……逃げンじゃねーぞ、テメェ」
「……はい」
どうやらそれなりに夫婦仲は良さそうだが、祟が尻に敷かれているのだけは確実な様だ。
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