第277話 夜に目覚めて
「……んっ、此処は……?」
祈が眼を覚ました時、辺りはすっかり暗闇の静寂に包まれていた。
身体に掛けられた布団の重さを感じつつ、周囲を見回す。
どうやら<深層睡眠術>の効果時間一杯まで眠ってしまっていた様だ。不意打ちだったとは云え、魔術を抵抗できずフルヒットを喰らったのは初めての経験だ。
魔術による眠りでは、疲れは一切取れぬ。
その代わり、目覚めの怠さとは無縁だが。
それも恥だが、自身がどう為様も無いくらいの癇癪を起こしてしまったのを、しっかりと覚えている。
あれは正に、貴族に、そして力有る者にあるまじき失態であり、醜態だ。
『嫌だっ! 絶対に嫌だっ! 光秀さまっ。私なんかの為に、簡単に死を選ばないでっ!』
自身の言動を思い返し、赤熱化した顔から炎が一気に噴出する。
きっと愛茉には、今回の癇癪をネタに後々まで弄られることだろう。
記憶を消し去る術は、魔術の師匠であるマグナリアから幾つか教わってはいるが、流石にそれを親友に掛ける訳にもいかない。
ここはもう諦めて、彼女が飽きるまで存分に弄られる覚悟を決めてしまうべきだろう。祈は深く溜息を吐いた。
「……祈さま。大丈夫ですか?」
「ああ、琥珀。ごめんね、心配かけちゃって」
一番の理解者であり、従者でもある彼女の細い指が、額にかかった祈の白髪を撫で梳く。
ヒヤリと冷たいその感触に、祈は少しだけ首を竦めた。
「構いません、貴女さまでしたら。というか、もっと琥珀を困らせて下すってもよろしいのですよ?」
「なんか微妙に恐いんだけど、それ」
家族にしても、少しだけ愛が重いなと感じる時もあるが、流石に琥珀のこの発言には、祈も薄ら寒さを覚えた。
だけれど、彼女のそんな重すぎる愛だって、今の祈には得難いものの筈だ。だから、頭から否定する気は更々無い。
……少しだけ。ほんの少しだけ、
『恐いな』
とは思うだけで。
「こんなに祈しゃまのことをお慕い申し上げておりますのに……琥珀は、琥珀は悲しいですぅ」
「微妙に態とらしい芝居かかった物言いをしなかったら、信じてあげても良かったんだけどね?」
「ぶー」
顔を見合わせ、二人同時に笑い合う。
ここまで心が通じているのは、”家族”の中でもやはり琥珀だけだろう。そう祈は思う。
それだけ、琥珀の方から寄り添ってくれている証拠なのだと。
「だから、ごめん。あの時の私、本当にどうかしてたと思うんだ。だって考えてみたらさ、マナの制御が全く出来なくなったなんて経験、今まで無かったんだ。誰が私を止めてくれたのか知らないけど、あのままだったらどうなっていたか、自分でも解らない。それくらい危険な状態だったと思う……」
無意識の内に周囲のマナを支配下に置いてしまうのは、魔導士としての習性みたいなものだ。これはちゃんと意識しない限り、どう為様もない。
だが、支配下に置いた筈のマナを圧縮、加熱までするのは、無意識下では絶対にあり得ない。
自分の意思の内に、そんな攻撃的な思いが無ければ……
少なくとも、
『愛する者の居なくなった”世界”なんか要らない。今すぐ滅びてしまえ』
そんな危険な想いが、絶対に心の何処かに潜んでいたのを、決して否定できない自分がいるのだ。
でなければ、空間が歪むほどの狂暴なまでの破壊の渦が、あの時起こるはずが無かったのだから。
「……なんて身勝手で、傲慢な考え方なんだろうって。こんなんじゃ、皆にも。ましてや光秀さまに顔向けなんかできないよ」
自分と云う人間は、他人が生命をかけてまで。愛される価値なんか無い。
夢枕に立った<朱雀>が「儀式は終わった。明日の朝日と共に戻るだろう」そう云っていた。
光秀は、自らが進んで生命を落としたのだ。
────傲慢で醜悪な心しか持たぬ、こんな私なんかのためだけに。
その事実一つ取るだけでも、充分に死にたくなってくると云うのに。
更には、”家族”を危険に巻き込んだことも大問題だった。
光秀は勿論云うに及ばず、特に派手な癇癪を起こしたあの場に居合わせた愛茉、琥珀、蒼、美龍、翠には、頭を地面にめり込ませる勢いで何度も土下座を為ねばなるまい。
氷の礫一つとっても、帯電した空気であっても。
それが身に掠っただけで甚大なダメージと成り得たのだから。
「……本当に。祈しゃまってば面倒臭い性格をしてますよね、残念なくらいに」
「”残念”ってなにさ?」
「前々から思っていましたけど、そうやって態々難しく捻た考え方するところが余りに面倒臭くて、非常に残念だと云うんです。光秀様のこと、全然云えた口じゃありませんね。ある意味”お似合い”過ぎて、心底嫌ンなっちゃうくらいです」
「そんな風に思われてたのか、私……」
彼を愛しているのはもう否定しない。と云うか、出来ない。
家族の目の前で、あそこまで散々みっともなく喚き暴れてしまったのだ。完全に開き直るしかもう心の平静を保つ術は無いだろう。
だが、まさかそんな彼と似た者同士なのだと周囲から思われていたとは。
流石にこの羞恥には最後まで耐えられそうもない。祈の心は、琥珀のこの一言で完全にへし折れた。
「ですが。だからこそ、羨ましいです。そこまで他人を好きになれるって、素晴らしいことなのだと琥珀は思います……」
一番好きな人は?
と聞かれれば、琥珀は迷い無く「祈さまっ!」と答える。それはもう胸を張って自信たっぷりに言える。
だけれど、一番愛している人は?
と聞かれた場合……さて。どうだろう? 咄嗟に答えが出せる自信も無い。
同姓婚に忌避感なぞ欠片も持ってはいないつもりだが、琥珀はそこまで真剣に考えたことも実は無かった。
幼少の頃から、徹底的に古い考えを教え込まれて育ってきたのだから、これはもう仕方の無い事なのかも知れない。
だから、ひとりで答えを見つけられた祈を、琥珀は心底羨ましく思うのだ。
(────ああ、そうか。だから、私は……)
今回の騒動の間中、ずっと抱えていた胸のモヤモヤの正体が、漸く解った気がした。
”嫉妬”をしていたのは、本当のこと。
しかし、その”嫉妬”の矛先を完全に履き違えてえていた。実は光秀では無く、祈に向かっていたのだ。
「申し訳ありません。実は琥珀も、祈さまに謝らなくてはいけませんでしたぁ」
「……えぇ、なんで?」
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