第269話 ”斎王”愛茉
『おう、尾噛や。久方ぶりじゃのぅ。息災か?』
帝国の政一切は、帝を頂点とした組織によって管理・運営されている。
────そして、帝を頂点とした組織を、帝国の表の顔とするならば。
『愛茉様、ご無沙汰しておりまする。お陰様を持ちまして、一応は生きております』
帝国の裏の顔は、祭事・神事の一切を取り仕切る”斎王”愛茉を頂点とした神の司であろう。
『ほっ! 一応は、とな? 相変わらず難儀な奴じゃ……』
尾噛 祈を筆頭に。
聖獣<白虎>の孫である雪 琥珀と。
聖獣<青龍>の娘の楊 美龍。
聖獣<朱雀>の眷属の裔である愛茉に。
聖獣<朱雀>の因子を持ちし種族、天翼人の裔たる鳳 蒼。
列島に巣くう"魔王”の群れを”討滅”するために、<五聖獣>の祝福を受けし、それぞれの眷属の裔たち。
そんな彼女達5人の間には、特別な霊糸の経路が何時しか形成されていた。
その経路を手繰り、愛茉が祈に話掛けてきているのだ。
<念話>には、距離の制限など無い。経路が繋がってさえいれば、恐らくは宇宙をも超えることができる筈だ。
『やはり、念話だけでは味気なくていかん。此方のところまで来ぃ。其方の面を見せてくれぃ』
『そうですね。私も、愛茉様のお顔を拝見したく存じまする』
そして、今や”半神”となってしまった彼女達には、彼我の距離という障壁自体、あまり意味を成さなくなっている。
当たり前の様に、空間を”跳躍”できる様になっているからだ。
無属性上級魔術の一つ<空間転位>は、習得までの難易度が高いのは確かだが、実はそこまで珍しい術でもない。
現皇帝の光輝や鳳 翔も、太陽宮の内の、極々限られた空間のみという制限はあるが使えるし、座標の起点となる魔導具の補助があれば、魔術の才を持つ者なら誰でも取得できる可能性はある。
彼女達が使う”跳躍”の場合は、魔術の行使の様に必要な集中も、詠唱も必要が無い。
ただ、其処に行きたい。そう思うだけで済んでしまうのだ。気軽に出歩く様に。その程度の労力だけで。
「うむ、やはり……どうやら、其方は相変わらずの様じゃの。色々と貯め込んでおるわいな」
「逢うなり、開口一番それでございますか」
<朱雀>の巫女として、怠る事無く日々の修行続ける愛茉は。
何時しか”天眼通”を得るまでに至っていた。
その眼で一目見ただけで、心の奥底まで見通してしまうのだ。
「無論、此方に此処まで云わせる其方の方が悪かろて? 何故こうなる前に、此方に一言相談せんかった」
「……いえ、それは……」
────友達と恋バナとか、恥ずかしかったし。
……などと、正直に云える訳も無く。
つい祈は口籠もることしかできなかったが、それすらも愛茉には全てが筒抜けになっている。そのことを愛茉から言及する訳もない。
愛茉だって”お役目”が無ければ、恋に恋する妙齢の女性……には、少しだけ早いけれど……なのだ。そのくらいの気配りは持っていて然るべきであろう。
「……ま、そんな尾噛には今更じゃろうが。つまりは帝の方から話が来たので、こうして此方が出張った訳じゃ」
「あ、やっぱり。鳳さまへ送った手紙が、其方へ行ってしまいましたか」
どうせ実らぬ恋ならば、相手に長く気を持たせるだけ可哀想だ。
だったら、さっさと此方から完璧に壊してしまえ。
そのつもりで、
『帝国の何処ぞの貴族の息子を適当に見繕って、倉敷に寄越せ』
と書いてやったのだ。
此方の寿命は、邪竜曰く「軽く150年」と太鼓判を捺されてしまった身だ。
相手は短命な人間種こそが望ましい。間の子は、まず間違い無く邪竜の血が前面に出て来るだろうし、4、50年程じっと我慢すれば、相手は寿命で先にくたばる筈だ。
────なんて。
半分……どころか全部が全部の、やけっぱちになっていただけの、それこそ覚悟する以前の話ではあったが。
それでも、祈は結局この手しか思い付けなかったのだ。
「其方のヤケは見透かされていたのであろうて。良かったではないか、額面通り受け取られずに、の?」
「……はい」
確かに、一応あんなのでも義父だから。と云う気持ちだけで義理を果たすべく書を認めたのは間違い無い。
だが、まさかそのことによって”帝国の裏の頂点”が出張って来る事態にまで発展するとは。流石に祈も思ってもみなかったが。
「失礼ですが、だからと云って愛茉様が出張って来られて解決する問題────なのでございましょうか?」
「ほんに其方は失礼な奴じゃのぉ。此方だって、馬に蹴られて死にたくなんぞないわいな……じゃが、此方なら其方の”悩み”。解決できるやも知れんぞ?」
そう云うや否や。
愛茉は大口を開けて蒸かし芋に齧り付き、美味そうに口いっぱいに頬張った。
指宿の甘薯は、今や帝国でも婦女子から圧倒的人気を誇る”甘味”の王だ。
当然、愛茉も大好物の一つとなっている。
そして、愛茉にとって蒸かし芋に欠かせないのは、牛の乳だ。
熱々の芋を口いっぱいに頬張った所に、よく冷えた牛乳を流し込む瞬間こそが至福なのだと愛茉は云う。
至福の時間を邪魔するのも悪いと、祈は愛茉の口が空くのを暫し待つ。
「ぷはぁ……すまぬ。つい刻を忘れてもうたわいな。其方は覚えておろうかや? 我が兄、光義を」
「はい、勿論。良く覚えておりまする」
忘れる筈もない。
大林家 お取り潰しの原因を作ったのも、第三皇子出奔の騒動を主導したのも、祈本人なのだから。
帝にお目こぼしして貰えただけで、あの時祈は死罪になっていてもおかしくはなかった。それほどの罪を犯した自覚がある。
「帝家の持つ”血の呪い”。知っておきながら、みすみす放置する訳も無かろうて。流民の子に帝家の血の証が出てもらっては困る────その理屈は、其方も当然解るであろ?」
「────え、ま……まさか?」
帝家の証たる”紅の翼”を持つ者が、庶民の、それこそ流民の中から出たとしたら、帝国はどう動くのだろう?
そのことを愛茉に指摘されるまで一切考えていなかった自分の浅はかさを祈は呪いたくなった。
あの時光義は、皇族の地位と共に自らの翼を斬り落としたが、それは彼の”外見”がほんの少し変わっただけの話に過ぎず、彼自身は未だ歴とした皇族たる”天鳳人”のままなのだ。
共に駆け落ちした”凛”との子は、確実に帝家の血を持つ。
現帝の光輝は、光義の出奔に眼を瞑ったが子はどうだろう?
例え現帝が認めたとしても、次代の帝はどういった反応をする?
自身のやらかしが後々にまで延々と響いていくのだと、此処に来て漸く思い至り、どうすれば良いのか祈はひとり思考の迷路へと嵌まり込んで行く。
「尾噛よ、先ずは落ち着け。安心するがええ。帝家に流るる”血の呪い”、”斎王”たる此方ならば、それを押し留めることができるぞい」
「えっ、本当にございまするか?!」
余りに必死な様子の祈の姿に、愛茉は少しだけ戯けた調子で器の中に残った牛乳を一気に呑み干してみせた。
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