第267話 待っていたけれど、待って
「己と添い遂げてくれっ!」
「……はぁ~っ」
此の世界、この時代に。
『清水の舞台から飛び降りる』
……それに類する慣用句は存在しないし、また当然ながら”清水寺”も在りはしない。
だが、この時の伊武 光秀の心持ちは、正に其れそのものであったろう事は疑うべくもないだろう。
「……なぁ」
「はい、なんでございましょうか?」
生きた心地のせぬ、正に一世一代の”大仕事”。
だが、光秀が期待していたor恐れていた反応とは、程遠い現実に。
漂うは。甘い空気か、はたまたお寒い空気か……それすらも一切無く、ただただ気不味い沈黙だけが、二人の間に流れた。
「……何故、そこで盛大な溜息を吐いたのだ?」
「……いえ。貴方様と云う御方は、本当に。とことん、”間”と”察し”がお悪ぅございますね、と。”臣”は、今正に呆れ返っておるところでございまする」
まるで頭痛を堪えるかの様な顰め面で、尾噛 祈は、直属の上司からの”一世一代の愛の告白”を真正面から打ち返し……いや、返り討ちの方が正しいか……してみせた。
一度落ちてしまった彼女の視力は、如何に最強の大魔導士による全開の治癒術を持ってしても完治はできなかったらしく、事務仕事時には牛田が”恥部”たる狂科学者、門奈謹製の眼鏡が手放せなくなっていた。
とはいえ、そんなに高い方ではない祈の鼻に掛かる負担は、一番視力が悪かった当時に比べ、随分と軽くはなったのだが。
それでも未だ違和感が拭えぬのか、祈はどうにも落ち着かない時などに眼鏡の山を触り、丁度良い位置を探ってしまう癖が身に付いてしまっていた。
「……そして、何故急にそんな他人行儀な話し方になったのだ?」
「……いえ。そろそろ"臣”も弁えていかねばと思い至りまして。今まで行ってきました貴方様に対しての数々の無礼、どうか平に。平にご容赦願い奉る」
光秀の記憶の中に在る”尾噛 祈”は。
必ず眼を見て話をしてくる。そんな真っ直ぐな女性だった筈だ。
(────なのに、今はどうだ?)
眼を伏せ、表情を”無の仮面”によって覆い隠して。
空気が読めぬ。そう当人に云われた光秀でも、はっきりと拒絶されている事がよく理解できたほどだ。
「おっ、おう……そうか……そうだよ、な……」
「本日は気分が優れませぬので、此処いらで……それでは、失礼いたしまする」
今や帝都にも並ぶ規模にまで大きく膨らんだ、この倉敷の都を統括する部屋の一角で。
ひとり取り残された男は。
「────やはり。此の想い、ずっと胸の内に秘めておった方が、良かったのやも知れぬ」
秘したままであれば、あの娘も、屈託の無い笑顔をずっと見せてくれただろうに。
恐らく、明日から彼女はこの執務室に入ってくることは無いだろう。少なくとも、まず一人では。
「下手をせずとも、虎の獣人の彼奴と、ノッポの彼奴と、あの鳳の娘と……」
ただでさえ、光秀が想いを寄せた人物は、帝国の”武”と”魔”、双方の”暴力”を体現する存在であり、元よりそんな気も無いが、彼女を力尽くで押し倒すどころか、端から勝つ見込みなぞ芥子粒の一欠片すら無いだろう。瞬間の内に自身が消し飛ぶ未来図なら、直ぐ様脳内に鮮明に描けるのだが。
其処に来て、人の形をした暴力たちが、そんな彼女の周囲に在るのだ。きっと此の部屋は、息をするのも難渋する空間へと変貌するだろう。
「間と、察しが悪い。か……まさしくその通りだの」
祈の従者の一人の千寿 翠が改めさせた現体制によって、今や効率的、かつ円滑に事務仕事の一切が進む様になった。
そのお陰で、態々地頭代の手を借りずとも、ほぼ一人で仕事が回せるのは確かだ。
「……だが。独りは、寂しいものだ」
帝がドハマりし、布教用にと配られた焙じ茶を休憩がてら煎れつつ、ポロッと零れた独り言のその内容に、光秀は勝手に打ちのめされた。
◇ ◆ ◇
「……なんで、あんな態度を取っちゃったんだろう?」
地頭の”宮”から帰宅するなり、祈は誰も通すことなく、ひとり寝室に引き篭もった。
このところ、何やら”直属の上司さま”の様子がおかしかったのは確かだ。
何か言いたそうにしていたのも解っていたし、その内容にも、大凡の見当は付いてもいた。
(だって。本当に判り易い御方だし……)
『急なことですまぬ。だが、この気持ちはもう抑えられそうにないのだ……』
そして、期待していた通りの言葉が貰え、胸が大きく弾んだのも、当然否定しない。
それこそ”あの瞬間”は、ついつい顔がニヤけてしまうのを誤魔化すのに、必死になったくらいだ。
────なのに。
「……いや、だから。と云うべき、かもね……」
最早今の自分は、”個人”ではないのだ。
帝より”尾噛家”の名乗りを赦された貴族家当主である以上は。この身に流るる邪竜の血を受け継ぎ、後世へと繋げていかねばならぬ義務がある。
帝家の血の強さ。
此の国に在る貴族でいる以上、そんなものは一般常識だ。
血を繋ぎ、後世に残す義務を果たさねばならぬ身には。
帝家との姻戚関係、その話自体、そもそもがあり得ない。
「……”次代の帝を産め”と云うお話なら、きっとそれでも良かったのだろうけれど」
帝家直系の光秀との子は。絶対に”邪竜の血の証”は表に出ては来ないだろうが、”血の因子”は脈々と受け継がれて行くはずだ。
”邪竜”の能力を得た場合、帝家は、後の時代もしかしたら大きな力を付けるやも知れない。
だが、その時点で、祈の尾噛家は一代で終わることが確定するのだ。
「……やっぱりさ。多少無理があったとしても、静を私の実子という設定にしておくべきだったかなぁ……」
如何に早熟で短命な種族であっても、数え4つ程度で子が産める身体になる訳もないのに我ながら無茶を云う。
だが、自身の尾噛家の今後を考えるならば、これが最善案だったのも、また事実だ。
「所詮書類上だけの話なんだから、誰も気付きもしなかっただろうに。バカ、バカ、私のバカ……でも、あの時は必死だったんだよ、私もさぁ」
────ならば次善の策だが。
兄望の子を養子として貰う……まだ室の空が懐妊したと云う報が此方へ届いて来ない以上、そんな話を出せる訳も無い。
ましてや第一子は”尾噛”本家を継がねばならぬのだし、その子が成人するまでに別に2、3人の子が要るのも、この世界の貴族家では常識だ。
(────で、あれば。”分家”はどうかな?)
亡き母、祀梨の実家でもある”白水家”には、数え五つ、六つくらいの男の子が確かいた筈。
その子を養子に迎え入れるか、何なら静の許嫁にでも……
(って。自分の恋愛成就の為だけに、娘の婚姻相手を本人に黙って勝手に決めるってさ。一体どんな鬼畜なんだよ、私はっ!)
余りに人でなし過ぎる発想をしてしまい、自己嫌悪に枕を自身の頭に見立て、力の限り殴り付ける。
先端が軽く音速を超えるその拳は、繊維を容易に断つ程だ。彼女の拳を受け、枕の上半分が音も無く消滅する。
(家のこと、静のことも考えると、そろそろ身を固めるしかない、ンだよねぇ……)
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