第261話 ……折れた
「……え? 倒れたって。ホント何やってんのさ、光秀さまはっ!?」
「ええ、まぁ。どうもあの後、ずっとお一人で”処理”なさっていたそうです」
直属の上司たる新都”倉敷”を治める地頭伊武 光秀は。
確かに筆頭職でしか判断の出来ぬ重大な決裁項目が多数あったとはいえ、多数抱える事務方に碌に仕事を割り振りもせず、最終的に一人で大量の書類を抱え勝手に自滅した。
だが、周りに居た官僚達の能力と態度にも、かなり問題があったとも云えるだろう。
地頭の執務室の中では、処理の許容量を超え積み上がった書類の山が連なり、山脈の様相を呈する前に、彼らが分類毎の整理と要約の仕事を然と成していれば、そもそもここまで混乱自体無かったのだから。
「……だけれど、そのツッコミを為なかった私たちにも、バッチリそれが突き刺さっちゃう訳だけど」
「その通り過ぎて。ぐうの音も出て来ませんねぇ」
”帝国魔導局”発足直後から長く続いた事務方不在の混乱期を思い出し、祈と琥珀の二人の顔はその一瞬だけ、30程も老け込んだ。
二人ともあの時の辛い記憶を忘却の彼方へと捨て去りたいのか、光秀と三人で必死にワチャワチャしていた時も現状の処理だけでいっぱいいっぱいになってしまい、仕事の効率化と云う、至極真っ当な思考へと最後まで繋がっていかなかったのだ。
「……今更だけどね。言い訳にもなんないや」
「ですです……これは私たち、反省しなくちゃいけませんよぅ」
「いいえ、琥珀さま。反省なぞ、その余裕ができた後にお一人で幾らでもどうぞ。先ずは、現在抱えている”問題”の解決こそが筋。このまま官僚どもを遊ばせておく余裕自体、今の倉敷には奈辺もございませぬ故に」
高松の地にあった帝国魔導局出張所の所在地が、”新都”倉敷へと移ってからの事務方の筆頭職を務めているのは、水の精霊神<玄武>の眷属たる千寿 翠である。
元は蜥蜴の女王だった筈の、彼女の”今”の見た目は。
淡く青みの掛かった色素の薄い髪の色にさえ気に止めなければ、ただの人間種の女性にしか見えない。
『蜥蜴が亀の祝福を受けテ、最後は人になるとカ……どう考えても可笑しな話ヨー』
(……なんて、あの蛇おんなは云ってましたか。彼女の言いたかったこと、今なら少し頷けるかも知れません)
翠に対する美龍の評はわりと酷いし、数多の語弊がある。
次代を担う蜥蜴の”女王”として生まれる宿痾を抱えていた筈の卵は。
孵化寸前のあの時点で、すでに祈達4人の誰よりも”階位”が上だった……<五聖獣>の祝福を受けた”半神”たる皆の誰よりも、だ。
<玄武>はむしろ、”蜥蜴の女王”を人の容に押し込めることで、5人のパワーバランスを保ったのだ。その為、他の4人とは違い、彼女の中に獣人の”因子”は何処にも無い。
「翠。問題とは?」
「この場で指折り数え上げ申すだけ、無駄な規模で山積みにございましょう。地頭不在の今、一体誰が諸々の決裁をするので?」
「……そだね、そうだった……」
海魔衆筆頭、八尋 栄子に請われ、内海を隔てた死国の地攻略をする羽目になりはしたが、そもそも祈の新倉敷での”立ち位置”は、光秀の補佐役たる”地頭代”なのだ。
その補佐すべき光秀が倒れた今、全ての業務を祈の手で代行せねばならない。
「光秀様がお戻りになるまでには、全ての業務をあの方中心に回せる体制を構築しておかねばなりませぬ。それも、現在停まっている”処理”と平行して、です。その為には先ず……」
成熟しきった女性の見た目に反して、翠は漸く生後半年と少しを過ぎた程度の”赤子”だ。
万象の知識を<玄武>から与えられているとはいえ、彼女の”情緒”は歳相応に過ぎず、全然育っていない。こうして現状把握と今後採るべき動きの説明の間にも、彼女の表情に一切の変化は無かった。
「うへぇ。考えたくないなぁ」
(ああ。やはり翠をこの場に連れてきて正解でした……私と祈さまだけじゃ絶対破綻してましたよぅ)
翠が”同僚”となってくれた今と、それを成してくれた<五聖獣>に。琥珀は深い感謝を捧げた。
◇ ◆ ◇
「……ぬう」
死ぬ気になって書類の山に挑み続けていれば。
当然、作業にある程度の”慣れ”が出てくる。
慣れてくれば、自ずと手を抜ける、抜いて良い箇所も、次第に見えてくる様になってくる。
────そこが”罠”だ。
しかも、致命的な。
途中、その致命的過ぎる”罠”に気付けたのは、本当に偶然のことだった。
そんな偶然を、呪いもしたし。
また、そんな”罠”の存在に疑問を持たず安易に今まで雑に”処理”してしまった書類の束と、自身の行いこそを彼は心底呪った。
……だが、どうやら彼には”事務仕事”以上に、砂粒程度の”呪術の才”も無かったらしい。
結局最後は毒吐きながらも、一人挽回の作業に取りかかってみれば。
やはり”慣れ”自体は、悪いものでも何でも無かった様で。
今まで自身の限界だと思っていた”処理速度”が、かなり改善されている事を発見し。
次第に興が乗っていき、絶好調のまま気が付けば。
「────こうして今は床の中、か」
どうやら自身の限界を軽く超え、知らずの内に失神してしまっていたらしい。
……意識を失ってどれだけの時間が経ったのか。
「───先ずはそれを確かめねば、な」
光秀は自身の上に掛かっている布団を押しのけ、上体を起こそうと腹に力を込めたのだが……
「……だめだ。上がらぬ」
自身の頭を少し持ち上げただけで激しい目眩と頭痛に襲われ、直ぐ様後頭部は枕との蜜月を切望する。
どうやら失神して、また意識を取り戻しては、の繰り返しで一人”処理”を続けていた無理が、今頃になって出て来てしまった様だ。
(こうなっては。せめて頭が持ち上がる様になるまでは、休息するしかあるまいて……)
その間、便女を呼びつけ、枕元に書類を持ち込んで少しでも仕事の続きができれば、失神していた間の損失分を多少なりとも取り戻せる筈だ。
(……だが、その様な些末事で、便女どもの手を煩わせるのも、流石にどうなのか?)
そもそも、光秀の中に当たり前の様にそんな発想が出て来ているならば。端から過労で自滅する様なことなぞ無かっただろう。
凡そ人の上に立てる性格をしていない”皇族”。
時の帝光輝が、彼を皇太子に指名しなかった最大の理由が、正にこれなのだ。
彼は他人を信用していない訳ではない。
ただ、自身の都合だけで人を使う事にあまり慣れていないが為に、他人を使うというそれ自体に忌避感を持っているだけだ。
倉敷の地を踏んだ当初は、
『帝の勅で嫌々飛ばされてきた訳だが。此の儘、ただ踏ん反り返っているだけで良いなら、己も気が楽だわい』
だが、周囲の者達の懸命な働きを直に覧ている内に。
(己も、何かを成さねばなるまい。お飾りの”地頭”だが、だからこそ……)
次第にそう思う様になっていき。
何時しか、率先して”地頭”の仕事をする様になってみれば。
「気が付けば、コレだ……ほとほと自身の無能と不明を呪うばかりよ」
光秀は、自身の低い限界値に徹底的に打ちのめされた。
自身の手で何かを成さねばならぬ。心の底からそう思っているからこそ、現実の残酷さが骨身に染みた。
「己は、ただ……認めて欲しかっただけなのに」
(────一体、誰に?)
知らずに漏れた自身の言葉。その内容に、光秀は混乱した。
(誰って……もしかして、帝か?)
光輝は父親として真性の”クズ”で、先ず褒められる人物ではない。
不敬ながらも、光秀はそう信じている。
伊武家取り潰しの”真相”を、光秀自身知らぬのだから、こればかりは仕方の無い話なのだが。
(いや、絶対”帝”は無い。己は、国の上に立ちたくなぞないのだから)
母の生家すらも平然と潰せる冷酷な政治的判断を瞬時に下せる時点で、確かに光輝とは”父親”の前に、どこまでも”皇帝”なのだろう。
(────ああ、そうか)
眼を閉じると、必ず浮かんでくる、美しく輝く白髪の……
(きっと己は、彼女に認めて欲しかったのだな。あの娘にだけ────)
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