第259話 捻れて拗れて
「……やはり。来る訳なぞ無いわな……」
書類の山脈の直中で、紙の山での遭難者は。
眩しき徹夜四日目の朝日の光を浴びながら、自身の起源を何とは為しに思い出していた。
頼もしき”助っ人”を、自身の失言によって失ってから。
孤軍奮闘、力の限り頑張ってはみたものの。
所詮、人ひとりの処理能力なぞ、高が知れている。
そんな光秀の処理限界をも超える追加量の前に、書類の標高はただ上がってゆくばかりだ。
そろそろ地震による地層崩壊の時期も近いと、官僚達から予想されている程だ。
優秀なる腹違いの彼の弟、光雄の様に、適度に仕事を他人に割り振ってしまえば良いのだろうが、光秀はその様な発想が出て来る様な、器用な性格をしていない。
彼は、ひとり無駄に重荷を抱え込み、そのまま勝手に自滅する不器用かつ、損な性格をしているのだ。
それこそ、今回態々帝が付けてくれた”直属の部下”たる尾噛 祈に助力を願い出ただけでも、「あのお方も以前と比べ、随分とマシになったものだ」等と周囲から評価されてしまう程に、である。
────だが。そのお守り役は、もういない。
「己の方から頭を下げねば、彼奴はもう二度と手伝ってくれぬだろうな……」
光秀だって、現状が良くないことくらい解っている。解ってはいるのだ。
「……だが、何故己はあの時、あの様な言葉を口走ってしまったのだろうか?」
此処で自身の心の内をはっきりと知っておかねば、直ぐに元の木阿弥となろう。そんな嫌な確信も実はある。
で、ある以上は────
「……いや。此方の”処理”が先、だな」
せめて山脈の一角くらいは崩しておかねば、自身の立つ瀬が無い。
処理ができなかったから泣きついただけかよ。とは、絶対に思われたく無い。
その程度の安っぽくちっぽけな自尊心くらいは持っていても赦される、筈だ。
空きっ腹に湯冷ましがするすると流れ込んでいく感覚は、ぼんやりと霞む頭を、妙にはっきりと覚醒させてくれる……そんな気がした。
◇ ◆ ◇
「ね、ね。かあさま?」
「なぁに、静ちゃん?」
「かあさま。きょう”おしごと”は、おやすみなの?」
「……う゛っ……」
仕事仕事で日々”家族”をずっと放置してきた実績が、祈の側にある以上、
『母様、今日はお仕事お休みなのよー♪』
などと、
その”家族”に対し、平然と嘘が吐ける筈も無い。
ましてや、大事な大事な愛娘に対し、平然と嘘を並べ立てる様な、そんな卑怯な大人ではありたくない。そんな生真面目過ぎる代理母は、
『上司が腹立つ事言いやがったから、抗議の意味も込めてサボったったわ。ざまぁ!』
……なんて。
正直に話すことも出来ぬ娘からの質問に対し、結局は沈黙で返すことしかできなかった。
「かあさま、ズルやすみ?」
「……静ちゃん。何処でそんな汚い言葉を覚えてきちゃったの?」
「メーは、しずにいつもいろいろおしえてくれるの-。しず、まだよくわからないことおおいけど、それでもがんばった」
「……そっかー。静はえらいねー?」
「うきゃーっ☆」
(……あンにゃろめ。後で絶対折檻だ)
愛娘のプニプニほっぺたに自身の頬をくっつけて、優しく左右に動かす。甘えん坊さんの静にとって、これが一番のご褒美だ。
今後、静は貴族の家の娘として、そして”魔術大家”たる尾噛の姫として、何れは公式の場に出ていかなくては成らない。
それまでに淑女教育を確実に修めておかねばならないし、当然社交の場では、己の舌の回転と頭の回転こそが最大の武器ともなる。
そういう意味では、豊富な語彙は、然と備えていて損はない……いや。それこそ”必須技能”であるのは、間違い無いのだが。
(かと云って、未来の淑女たる我が娘が、その様な品の無い言葉を無邪気に発していても良い物なのだろうか……?)
母親として、少々複雑な気分だった。
◇ ◆ ◇
「……なんかしゃ、”どちらも自覚が無か”……そげん感じっちゃんね?」
「是、だネ。美美としては、ずっとこのままの状態でいて欲しいくらいだヨー☆」
自身の重さに耐えかねた稲穂たちが、一斉に頭垂れる頃。
鳳 蒼と楊 美龍の二人は、新米の味に思いを馳せながら、漬け菜を菜に、丼飯を腹に詰め込んでいる作業の真っ最中だった。
今まで外海に在った”海賊”の脅威を、実力で排除した帝国は。
”色々足りない”
そんな切迫した状況とは、無縁になりつつあった。
お陰で、こうして特に、
『菜に肉が無いのは不満だ』
等と、年頃の腹ぺこ盛りの男子中高生みたいな我が儘さえ言わなければ、まず飢えることもない。
ましてや、美龍は白米だけで美味しく食べることができる白米信者だ。漬け菜も付けば、米の消費速度は倍増する。
蒼は美龍ほど食い意地は張っていないし、できれば美味しい物で、ご飯をかっ込みたい……塩辛いものは特に大歓迎……とは思っているが、今日のご飯のお供は塩加減、歯応え共に蒼の好みに合致したらしい。米の消費速度に関してだけ云えば、美龍とすらタメを張れる程だ。
「……なぁ、できりゃあ汁物も持って来て欲しかっちゃけど。え? つまらん?」
近くに控えていた女房に、別に汁物を所望するくらいの不満は、どうやらあったみたいだが。
「ホント、蒼は贅沢さんネ。こんな美味しいお米、それ単体で楽しめないのハ、此の国の人間の悪い所ヨー。これだけご飯が美味しいっテ、きっとお水が良いんだろうネー。美美の故郷じゃ、考えられないヨー」
一般的に、油通しや炒める等、中華では油を用いる技法が多く発展してきた理由は、水質の悪さにあったと云う説がある。
実際米は基本、粥として食されているので、一概にそうだとは決めつけられないのだが。
それでも、美龍の住んでいた”異界”では、米は白米として食卓に並ぶことは、ほぼ無かったらしい。
「喉に詰まるっちゃけん、汁物くらい欲しかって思うやろ、普通は。ああ、お茶はたっぷりあるばってんしゃ」
「お茶漬けって、ホント良い食べ方ヨー。考えた人、天才ネ☆」
お櫃に残った白米全てを綺麗に洗い流すかの様に、薬缶の茶を注ぎ一気に啜る。
「うはぁ。流石にそればやる勇気はアタシに無か。良うやるっちゃんね、アンタ」
「”お米一粒に七人の神様”ネ。この国のひと、本当にお米大事過ぎるヨー」
────これだけ神様を食べてるンだかラ、この国の人間、きっと最強ネ。
などと本気なのか、冗談交じりなのか、全然解らない様に話す美龍に、思わず蒼の頬は緩む。
「まあ、一先ずそりゃ置いとくと。あん二人、進展するて思う?」
「絶対無理。ふたりとも”お子様”だからネ。仕方がないヨー」
「だばってん。今回ん一件は、二人には良か刺激になるっちゃんね?」
「男の方は、自覚さえしちゃえバ、多分早いだろうけれド」
美龍は、名残惜しそうに漬け菜の残りをポリポリ囓りながらそう二人を分析する。
「其れより、この話を琥珀に聞かれなくて良かったと、美美思うヨー。だってあの娘、主さま好き過ぎるカラ。確実に皇子殺しに行くんじゃないカと」
「……ああ。えずか事ば、ゆわんでくれ」
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