第258話 社畜万歳
「……でさ、私たちはいつまで此処でこんなつまらない事務仕事をしていなきゃいけないのかなぁ?」
「己も知らぬわっ、たわけめがっ!」
「あわわわ……い、祈しゃま? 流石に、その様な口は不敬に……」
何処ぞの直属の上司様からの緊急要請によって、海を挟んだ死国の地から舞い戻って来てみてみれば。
堆く積み上げられた書類の山脈で遭難しかけていた上司様を救出させられる羽目に。
以後、祈はその何処ぞの上司様と、同じ部屋で山脈の整理作業に明け暮れていたのだが……
「無理っ、もうこれ以上無理ですっ! わたくし、実家に帰らせていだきまするっ!!」
光秀は第五皇子光雄と違い、倉敷に新たな都を造成してからは、勢力圏を特に拡げようとはしなかった。
建築素材として大いに活用した森は。
魔導士達の手により、丹念に土を掘り返されて、広大な田畑と生まれ変わった。
治める土地の広さに対し、そこを活かし生活していかねば成らぬ民の数が圧倒的に足りない以上、無駄に国土を拡げても仕方が無い。そう判断したためだ。
その光秀の判断は、ある意味正しかった。
────”帝国”に庇護されれば、食べ物と田んぼを分け与えてくれるらしいぞ。
その噂を聞きつけ、日々新倉敷へと目刺しやってくる”難民”達の対応に追われ。
彼らの生きる為の最低限の”物資”の融通の為、本国に何度も頭を下げ動かしてみれば。
某国による嫌がらせ目的の”海賊行為”が出て来て、その対策に頭を悩ませて。
結果、加速度的に、光秀の仕事が積み上がってしまったのだ。
昼夜問わず三日間ぶっ通しの缶詰に、わりとしぶといはずの祈の忍耐と集中力にも、とうとう綻びが。
「……てゆか、列島本土に来てから私、碌に”家族奉仕”ができておりませんのっ!」
養女の”静”は、現在数え11になるのだが、幼い頃の心的外傷を含む記憶の一切を消去されたが為、実年齢よりも遙かに精神年齢は幼い。
まだ甘えたい盛りの娘の心を慮ると、現在母親たる自身の境遇を振り返る必要も無く、あまりにも社畜的過ぎて全然お話にもならないだろう。
「そろそろ、娘に嫌われてしまいそうなのですがっ! もしそうなってしまったら、ちゃんと責任取って下さるのでしょうねっ!?」
「知らんっ! 己は貴様の家庭なんぞ、欠片も興味は無いわっ!」
(……あ、終わった。そんな風に仰ったら……)
脇で署名と捺印が成された書類の整理を、ひとり黙々と続けていた雪 琥珀は、直属の上司の、更にまた上役たる第四皇子の失言に対し、心の中で『あちゃー』と天を仰いだ。
「……そうですか。でしたら、私ももう知りません。後はご自身の手でどうぞ」
「なっ?!」
(ほら、やっぱり……)
わりかししぶとく在るはずの祈の忍耐は。
しかし、簡単にブチ切れてしまう堪忍袋の緒のせいで、そこまできちんと発揮されることなぞ、実は早々無かった。
虎の尾ならぬ竜の尻尾を一気に踏み抜いた、第四皇子こと伊武 光秀は、自身の失言のせいで、誰の助けも借りることができなくなってしまったらしい。
「光秀様。申し訳ございませんが、主人が退席なさりましたので、わたくしめも此処いらで……」
「待てっ、少しだけ待って……」
「失礼致しまするぅー」
『誰が待つかよ、バーカ』
精霊神白虎の眷属たる特色を強く残した獣人は、思わずそんな言葉が出てしまいそうになるのを寸前で堪える事に成功し、その場を早々に退散した。
現在の琥珀の身分は、一応軍属扱いで”魔導局局長”たる尾噛 祈の秘書官だ。
しかし、帝国に直接仕えている訳ではなく、正式には尾噛家の家人でしかない。
で、ある以上。
如何に第四皇子であり、新倉敷を治めし地頭たる身分を持つ光秀であろうと、”尾噛家家人”の琥珀に対し、直接命令を下す権限は当然無い。
書類の山脈の直中、ひとり取り残された遭難者は。
「くそっ。なんで己は、あんな言葉を……」
解っていたはずだ。こう言えば、彼女は確実に旋毛を曲げるだろうと。
あの女性の気性は、良く弁えていたと云うのに。
書類仕事が滞ってしまったのは、確かに自身の方に問題が多々あったのは仕方が無い。
それを無理に手伝わせてしまった心苦しさもあったのは認めよう。
(────だが、あの言い方は、流石に無いわ)
彼女が常に気にしている、あの頭の緩い小娘は、聞けば養女なのだと云う。然もありなん。数え15の娘の子にしては、流石に縦にも横にも大きすぎる。
つい最近まで帝国の作戦行動の為、親子共々内海の向こう側の土地で過ごしていたのを此方の都合だけで呼び寄せ、負担を掛け通しだったのは些か不味かったと自覚していたが。
決裁書を隅から隅まで読み、穴が無いか具に確認しての署名に捺印……
遅々として進まぬ作業の内に、さらに追加でやってくる書類達。
日々溜まる仕事と疲労に、彼女の口から愚痴や不満が軽やかにステップを踏んで踊り出す。
本来ならば、何度も頭を下げて謝らねばならなかった。ならない筈だったと云うのに────
「あの小娘の名を出された途端、何故だか解らんが、妙に苛ついてしまったわい……」
その感情が一体何なのか解らないまま、光秀は自身を示す印を、力一杯朱肉に押し付けた。
◇ ◆ ◇
「ああ、くそ。もう、ホントに腹が立つったらっ!」
「祈さま、もう少し声を抑えて。もう静さまは床に就いておられますので……」
慌てて口を塞ぐが、それでも直属の上司への不満は、頭から噴出する湯気の如く祈の怒りの気炎として、一向に収まる気配がない。
「人様の家庭を散々ブチ壊しといてさ。何だよもう、”知らん”って! ”知らん”ってさぁっ!!」
愛娘の静が就寝していなかったら、今頃祈は、多分激しく周囲のモノに当たっていたことだろう。
堪えきれぬ怒りの為か、漏れ出た神気をも含む祈の凄まじい”霊圧”に怯え、つい先程まで煩いくらいに鳴いていたカエルや夜の虫たちは、一斉に声を潜めた。
(……静さまは、やはり”大物”なのだと思います。この”圧”をものともせず、熟睡なさって)
<五聖獣>の祝福によって半神と化した現在の琥珀ですら、祈の本気の”圧”の前では、膝を折ってしまうと云うのに。
「……ていうか、そこの蛇おんな。何故貴女は静さまのお布団で一緒になって、暢気にぐーすかと鼾を掻いていやがるんですかねぇ?」
「うぅん。五月蠅いヨー、琥珀。別に良いじゃないカ。子供って、本当に良いネ。体温高くて落ち着くヨー。それに、この国の諺にもあるネ『寝る子は育つ』って。美美、まだまだ育ちたいだけヨ」
『……ならば、横だけに成長するが良い。豚の様に醜くブクブクと』
ついつい”職場の同僚”を、簡単に呪ってしまいそうになるのをどうにか堪え、琥珀は主人の怒りを鎮められる良い方法はないかと一生懸命に頭を捻った。
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