第249話 外海の不穏なる影
「よお、嬢ちゃん。戻ってくるのにわりと時間かかりやがったなぁ」
「祈様。ここまで席を空けるのであれば、できれば先にお伝え願えませんでしょうか? こちらにも色々と”段取り”と云うモノがございますので」
職場に復帰した祈達を待ち受けていたのは、その間、代わりに高松の地を長らく守護していた牙狼兄弟の真っ直ぐ過ぎる嫌味だった。
確かに”蜥蜴”の迎撃に祈達が出立したのは、暦の上では一月以上も前の話だ。
その時にはすでに土佐衆筆頭の明神 晴信から粗方”蜥蜴”の情報を得ていて、迎撃から殲滅までをも今作戦に組み込まれていた。
当然、迎撃からそのまま殲滅の段階へと移行し、その際”高松”には先触れは出したし、その後の休暇の申請も、そのついでとばかりにきっちり出した。それも間違い無く受理されていた筈、なのだ。
で、あるならば。
ここまであからさまに嫌味を言われる筋合いなぞ、最初から祈側には存在しない。
「……てーか。嫌味のひとつも云いたくなる此方の気持ちを少しは考えてくれや、嬢ちゃんよ。ここンとこずっとお前さんの上司様が煩ぇんだよ」
「仕方なし、文を此方ででっち上げてみたんですがね。そしたら、この様な……」
顔中いっぱいに渋面を作った鉄が、無言で書面を差し出してきた。
帝家を表す鳳凰の羽を模った朱印が捺された書簡は、光秀の手による文らしい。
光秀の生家でもある伊武家は、帝の不興を買いお取り潰しとなってしまっているが為、光秀は公式に実家の印を使えない。
現在は倉敷の地を治める”代官”として、帝家の朱印を扱うことを赦されてはいるのだが、そろそろ公式に光秀の書を証明する新たな印章を誂える必要が出て来るだろう。
帝家の朱印が捺されている以上、当然この書簡は公式文書にあたる。
最高級の紙が使用されているし、そこに筆を走らせた人物は、高等な教育を長く受けてきた如何にもな上流人だ。恐ろしく達筆である。
……だが、その内容が酷過ぎた。
流麗な文字を一文字一文字と追う毎に、祈は目眩を覚えた程だ。
「……えーっと。つまりは、『もう俺の手に負えないから、早く助けてくれ』……と?」
「簡潔に申せば、まぁ……」
「『責任は己が取ってやる』……なーんて、偉そうにほざいた癖によぉ。すぐ音を上げやがンだから、あの糞餓kふぐっ……」
「鋼さま。それ以上いけませぬっ!」
琥珀が慌てて鋼の口を塞ぎ、皆まで言わせなかった。
一応あんなでも、皇位継承権第三位を持つ皇子なのだ。如何に四天王が一人の鋼であろうと、第四皇子である光秀は、帝国で生きる限り遙か雲の上に在る。今の発言は、不敬だけでは決して済まされないだろう。
「外海側に、不穏なる賊の影あり────海魔衆の手を借りたし。か」
「現在、海路に頼らねば、そも補給は成り立ちませぬ。端から外海の流れが使えぬのでは……」
外海側が使えぬのであれば、確かに内海を”庭”としている海魔衆に頼らねばならぬ非常事態なのだろう。
だが、内海を主の補給路にしたとて、新倉敷から米子……いや。現在、第五皇子の光雄側は遠く鳥取の方にまで拡大しているのか。
祈は、うろ覚えの曖昧な列島地図を頭に描く。そこから遙々陸路での輸送は、困難を極めるに違い無い。やはり外海が使えるに越した事は無い筈だ。
「不穏なる、”賊”の影────ねぇ?」
「海賊とか云う、者どもなのでしょうか。祈さま?」
本国からの”定期便”に、少なくない被害が出ている以上、”外海は使いたくない”。首脳部がそう思ってしまうのは、きっと仕方の無い話、なのだろう。実際光秀は、早々に音を上げてしまったのだから。
とはいえ、ほんの少し前まで”島国”だった帝国には、元々船乗りの数自体が足りていないのだ。海を舞台に外敵を相手取ることのできる”戦力”を最初から所持してもいなければ、端からそんな発想すら無かったと云うのが現状だ。
「……海魔衆筆頭、八尋 栄子様を、此処に」
「はっ」
だが、如何に上司から助けを求められたとて、祈も海に関しては素人だ。専門家に頼むしかないだろう。
結局は、丸投げしただけ……とも云うが。
◇◆◇
「ふむ。その報告が誠であるのでしたら、確かに我ら海魔の出番。なのでしょうね」
「今も”斎宮”からの定期便で忙しいと思うのだけれど、ここはひとつお願いできないかな?」
祈達は、確かに死国の地全てを統治下に治めはした。
だが、その代わり土佐衆という”扶養家族”が一気に増え、今では総人口だけで云えば”本国”をも凌ぐ膨大な数の民を、同時に養っていかねばならぬ身と成ってしまっていた。
特に土佐衆は、死国の総人口の凡そ6割以上をも占める上に、彼らの持つ土地からは、まともな税収を望めないと来ている。
際限なく膨れあがっていくだけの歳出に、今や帝国の財政は、干上がるその寸前にまで陥っていたのだ。
死国全域と、新倉敷周辺の列島の内海側の食糧事情だけで云えば、”指宿”の地より定期的に運ばれてくる作物だけで、一応は事足りる。
だが、雑貨や消耗品に関してだけは、どうしても”帝国”の力に頼らねばならぬ。
「今年の秋まで持ち堪えることができれば。恐らくは、何とか……」
実際、列島の外海側を広く統治する光雄の数々の施策と、祈の指導の下、徐々に頭角を現してきた魔術士隊の面々の活躍によって、今年の税収は大幅増であることは間違い無いのだが、それを得るまでの時間、帝国は耐え切る事ができるのか……等という、何とも恥ずかしき我慢比べの様相を呈しているのが実情、なのである。
「だからこそ。大事なこの時期に、斯様な事態を引き起こされては堪らぬ。そういう訳なのです」
「鉄さま。それって、輸送船を護衛しろと云うことなのでしょうか、それとも賊を討伐しろと云うことなのでしょうか……結局どちらなのです?」
海魔の所持する船舶たちは、異世界の三人の天才が造り上げた特別製だ。
風が無くとも走ることができる上に、一度風を捕まえてしまえば恐ろしく速い。更には多少の高波などものともせず、平然と乗り越えてしまえる程だ。
吃水がこの世界に在る船のどれよりも深いのだけが難点だが、その分、輸送力と安定性に関しては抜群である。
そして、最初から海戦を想定して数々の艤装を施された、この世界初の”戦艦”なのだ。
海魔衆の合力を願うとして。
輸送目的だけでも良いのだろうが、最初から”賊を殲滅せよ”。そういう勅があったとしても、直ぐ様対応ができるだろう。
だからこそ、祈は最初にそう問うてみたのだ。
「私からは何とも。ですが、恐らくは……」
「あの四男坊なら、多分こう云うだろうさ。『海の藻屑にしろ』ってよ」
────ああ、確かに。
光秀様なら、そう言いそうだよな。何気無い鋼の言葉に、祈は思わず頷いてしまっていた。
「それくらい、我ら海魔の船と”尾噛”さま率いる魔術士の方々が居れば容易いかと存じます。それに……」
「「「それに?」」」
海魔衆筆頭職、八尋 栄子の言に、帝国軍人の三人は、ついつい被り気味に問い返してしまう。
「その”賊”の素性、おそらく妾の良く知る者共かと。であれば、其奴等の船の悉くを、我ら海魔衆の手で外海の藻屑にして差し上げましょうぞ」
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