第248話 千寿 翠
祈は、元”蜥蜴”の少女を翠と名付けた。
「正直に言うと、彼女を”少女”と呼ぶには少々苦しい見た目、なんだけれどね」
「お待ち下さい、主上。うちはまだ生後4日目、なのですが?」
「ホントなら、まだ赤ちゃんどころか、未熟児ヨ。でも、見た目と頭の中身で考えたラ、やっぱり少女は無理あると美美思うネ」
外見だけで云えば、翠は楊 美龍とほぼ同じくらいの年嵩の、充分に成熟した女性だ。だが、本人の云う通り、彼女はこれでも生後4日目の赤ん坊に過ぎない。
「その割には貴女、恐ろしい勢いで語彙力が発達していってますよね?」
つい先日まで、刷り込みの結果か、祈のことを母様と呼び、ずっと後を付いて回っていたのだが、今朝になって漸く”従者”の自覚が出て来たのか、今では祈の事は”主上”と呼び、第一の従者を自称し、また自負する琥珀よりも、更に半歩退いて付き従う様になっていた。
これが玄武の施した”加護”と云う、奴なのだろうか?
もし、そうなのだとしたら。
(────心底、羨ましい)
白虎の治めていた忘れられた集落で、ずっと残念扱いされて育ってきた雪 琥珀は、つい無意識の内にそんな出来過ぎた翠に対し、微量の嫉妬を含んだ視線を投げかけてしまっていた。
「多分だけれど、アタシ口喧嘩では、最初からこいつに勝てんて思うな……」
「ああ。蒼は残念な頭してルからネ。無理も無いネ」
「あははははっ、そうそう。アタシ残念な頭しとーけん……って。おい、美龍。表出れ。お前が泣くまで殴ってやるから」
「お断りするヨー。美美、心から平和を愛する淑女だカラ、望まない喧嘩はしないネ」
「……人をぶっ殺すのが得意な平和主義者、ですか。そんな珍獣、世界中探したとて、きっと貴女だけではないでしょうか、美龍?」
話題の主を放ったまま、またぞろ何時もの口喧嘩が始まってしまうかも知れない。
……そう、祈と蒼がうんざりしながら思った矢先に。
「”珍獣”と云う大きな括りでしたら、この場に居る我々全員が、それに該当するかと……」
つい先程までの話題の主が、ボソりと呟く。
「ああ、確かに。否定できないところが、また……うん……」
<五聖獣>の祝福を受け半神となってしまった、各聖獣の”因子”を持った者たちと。
それを従えし、邪竜の血族の裔。
その事を指摘され、検めて考えてみれば、確かに世間様から”珍獣”と云われても可笑しくはないのだろう。心の内の隅辺りに、些かの引っ掛かりを覚えるのだが。
だが、変に自覚があるだけに、そのことに付いて祈は何も言えなかった。
◇◆◇
祈の従者として仕事を得る様になった翠は、帝国籍を得ると同時に、姓の名乗りをも赦された。
今の祈は、帝国軍のNo.3であり、更には宮中序列でも中の上の位置に在る。
その従者であり、魔術の素養を持つ翠は、帝国としても絶対に手放したくない程の得難い人材なのだ。
「ならば、翠。これから貴女は”千寿”姓を名乗りなさい。千寿 翠。これが貴女の名です」
「主上には、我が名だけでなく、姓まで……有り難き幸せ」
(……あれがほんのちょっと前まで赤子と変わらなかった人だとは、到底思えませんよねぇ?)
(全くヨー。”蜥蜴”の面影全然無いシ、琥珀よかしゃんとしてて、ちょっと近寄り難い雰囲気ネ。美美、翠とも仲良くしたいんだけどナー)
(苦手意識ってんな、一度付くとどうしてもな……あと、仲良うするには、やっぱりお酒ん力ば借るしかなかやなかな?)
現代日本では、”アルハラ”と云われ、忌み嫌われる行為の一つとされる呑みニケーションだが、それでも会話の糸口が掴めない人間にとっては、これ以上の有効な手段が無いのも、また事実だ。
問題は、彼女達の主たる祈が一滴も呑まない(と云うより呑んだ経験が無い)ことなのだが、そのことに付いてはどうやら三人とも完全に失念している様だ。
(……と言いますか。生後半月やそこらの”人”に、お酒とか呑ませてしまっても大丈夫なのでしょうか、蒼さま?)
(知らん。ちゅうかそもそも、アレば普通ん生物ん括りで考えるだけ無駄やなかな?)
(大丈夫かどうかなんて、翠に一度呑ませてみれば、そこで一目瞭然ネ。ヤバくなったら逃げレば良いのヨー)
あっけらかんと不穏な事を宣う美龍に、
『何かあったら、絶対に此奴を見捨てて真っ先に逃げよう』
眼を合わせた二人は、そう心に固く誓い合った。
◇◆◇
「……これが、お酒と云うモノですか。この様な”発明”を成すとは。人類の英知とは、末恐ろしきものでございますね」
大きな杯になみなみと注がれた透明な液体を前に、翠はごくりと喉を鳴らした。
その様子を見るに、少なくとも翠は下戸ではない。そう確信できて、琥珀と蒼は一応の安堵を浮かべた。
”翠の歓迎会”という態を繕い、三人は宴席を設けた。
が。肝心の祈は、今まで放ってしまっていた静への”家族サービス”と云う名の埋め合わせを理由に欠席。
その為、宴の主役たる翠は、”主上が不在の席に出るつもりなぞ無い。”と、かなりの難色を示したため、会を開くまでの間に、本当に大揉めに揉めた。
最終的に、
『お前さんの為に折角用意した酒と料理を、無駄にしろってぇのか。おおん?』
……等と、半ば翠を脅しての強引の開催と相成った訳だが、膳に並べられた色とりどりの酒肴を前にした彼女の反応を見る限りは、やっぱり無理矢理引っ張ってきて正解だったのかも知れない。三人は頷き合った。
(────さて、皆々さま。ここらで一つ”賭け”でもいたしませんか?)
(おおう、琥珀。いきなりどうしたって云うネ? 急にキャラ変わったヨ-)
(……琥珀。あんた”ばくち打ち”やったんか、祈が悲しむけんやめときや)
蒼が云う様に、悲しむだろうカ?
美龍は一瞬だけそんなことを思ったが、琥珀はそのことに関しては、特に気にも留めていない様だ。
(こんなのはお酒の席の時だけですよ、蒼さま。そもそも、賭け事で良い思いしたことありませんし……いつも集落では私、面白いくらいに素寒貧にされてばっかりで……)
(……あかん。どうやら地雷踏んでしもうたんごたぁ)
(琥珀、思った通り鴨葱だったカー)
悪い意味で嘘の吐けない琥珀は、根本的に賭け事には向いていないのだろう。
当然、その様な質の良い人間は、博徒たちに良いカモにされてしまうのだ。
そんな三人に完全に”お預け”を喰らった格好となっている翠は、今や口いっぱいに溢れかえりそうになっている涎を堪えるのに苦心している様だ。
「……ああ。翠、ごめん。早よ乾杯ばしよう」
「干杯ネ」
「ぐすっ……乾杯」
(琥珀、勝手に一人でダメージ受けてたネ)
(まぁ、もう放っときんしゃい……)
長かった”待て”から、待望の”よし”を貰った翠は。
大杯になみなみと注がれていたはずの清酒は、いつの間にか消え失せていて。さらには、膳の上に在った皿の上には、何も載っていなかった。
────翠の動きと、お膳の上の状況が、全然一致しない────
翠の右手に握られた箸は楚々と動き、どことなく気品を漂わせているかの様で、まるで嫌味が無い。その癖して皿の上の肴は、目を離していないと云うのにいつの間にか綺麗さっぱりと消え失せているのだ。
『もしかして、わたしたちは悪い夢でも見ているのではないか?』
三人とも、そんな奇妙な錯覚と共に背筋を駆け上がってくるかの様な冷たき底知れぬ恐怖を、今正に味わっていた。
(ああ。今漸く納得できました。彼女、やっぱりあの蜥蜴だったのですね)
(ネー。美美たちも勝てない食欲、彼女の中で残ってたみたいネー)
(なんか、翠が食べよーところば見とったら、アタシ急に食欲のうなってきてしもうたばい……)
翠の”歓迎会”は、一応の目的は達成できた様だ。
ただ、翠の舌と胃袋だけが満足しただけに過ぎないのだけれど。
翠の姓とした『千寿』ですが、高知県の珍しい名字として実在します(大体10人くらい)。
個人的な話ですけれど、珍しい名字……憧れちゃいます。
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