第241話 対処する面々
”虫の知らせ”
そんなモノがこの世に本当に存在するのか……その思いと共に”四”は初めて世の中というものを、神という存在を呪った。
「ロク、良え子やから頼むよって、お姉ちゃんが良え言うまで、そこから動いたらあかんえ?」
「……こわいよぉ、お姉ちゃん……」
逃げ惑う集落の人間種達を助けるつもりなぞ”四”の心の中にはこれっぽっちも無かった。
そう、無かった筈なのだ。
”人間種”を同じ生きる人と見ず、ただ奴隷だ食糧だと蔑んできた”伊予の熊”どもを心の底から嫌っていた筈の”四”であっても、一族の中で生まれ、集団の中で生活してきた以上、その影響は少なからずあった。
強者が弱者を喰らう。
『弱肉強食』
それこそが、伊予の地に生きた心卑しき獣人……”熊”の不文律。唯一の掟だ。
「不満に思うなら、力で現実をねじ伏せてみせろ」
一族を束ねる長になりたくば、今の長を倒せ。
一族の者達に、力を示せ。
事実、”四”の父……血の繋がりだけの話だが……であった”赤兜”は、そうして”熊”達の頂点に立ったのだ。
その長であった父も、一族達も、今はもう何処にもいないのだが。
「ロクぅ、良え子にしとるんえ? 今からお姉ちゃんが、あんさんが恐いいう悪ぅい奴を、全部片付けてやるよってな……ちょっと待っとってなぁ」
「うん……うん。お姉ちゃん、頑張れぇ」
「あんがとなぁ。やっぱロクはええ子やねぇ」
(弱い奴は死ぬる。それは仕方あらへん)
そう思っていた筈の”四”は、自身が今やろうとしている行為に、途轍もない違和感を覚えていた。
生き残る。
その目的の為だけならば、母親を見つけ出すまで、自身の手で養うてやると決めたロクを小脇に抱え、一人逃げ出せばそれで済む話だ。
逃げ惑う集落の”人間種ども”なんか、全員見捨ててしまば、もうそれで……
いや。むしろ人間種どもを”囮”にしてしまえば、彼我の性能差の面からみても、自身と養い子の生存率はそれこそ盤石になった筈だ。
その程度の計算は”四”でなくともできる。
獣の持つ”生存戦略”
その本能に一族の中でも一番に長けていた”四”は、その一手、二手先の策どころか、何通りもの”策”が今正に脳内に巡っているのだ。
(……その筈、なのに……)
気が付けば、”四”はロクを木の上に置き一人駆けだしていたのだ。
”四”の中にある”生存戦略”が囁く。これはその中でも一番の”愚策”なのだと。
「やったら何故、ウチは……?」
その”四”の問いに、今は誰も応える事はできない。
何故ならば、今人の言葉を理解できる”生物”は、”四”の独り言が届く範囲には何処にも存在しないからだ。
「ああ。ほんま嫌やわぁ……」
”四”は、大きく溜息を吐いた。
「血の臭いは、ほんま嫌い。ウチはやっぱりただの”獣”なんやと……思い知らされるから……」
山の様に積み重なる蜥蜴どもの骸と、そこから止め処なく漏れ出でる血の池の中心に佇み、”四”は自身の内に眠らせていたつもりの”獣”の自覚と共に、嘆きと歓喜の入り交じる激しい咆吼を挙げた。
◇◆◇
その時、土佐衆筆頭職明神晴信は困惑の極みにあった。
自身の”策”を完全に見破られた挙げ句、手玉に取られてしまっていたというのに。
何故か”帝の名代”である尾噛を名乗る小娘は、それらを承知した上で、全てを否んやも無しに呑んでみせたのだ。
(勝てぬ)
侮っていた筈の小娘如きに、自身との”格の違い”と国力の差を様々と見せつけられ、晴信が打ちのめされた末での出来事である。
晴信の心は、最早修正不可能な状態にまで、徹底的に折れ曲がった。
今は敗北感に打ちのめされて跪いていても、すぐにまた立ち上がれるだろう。だから、まだ良い。その筈だ。
土佐の筆頭職の座を勝ち得るまで、晴信は挫折を何度も何度も味わってきたのだから。
(何れ尾噛の小娘には、今ワシが腹の底に抱えゆぅ屈辱を何倍にも、何十倍にして返しちゃるわい……)
晴信は、”今”を呑み込める程度には、現状を把握できていた。
だからこそ、晴信は困惑せずにはいられない。
何故ならば、その”原因”が最低限の伴を連れて、何故か晴信の目の前に和やかな笑顔を讃え座っているのだ。
(クソが。もうワシ如き田舎モンに用は無いろうが……)
まさか死体蹴りしに来たというのだろうか?
晴信だけでなく、土佐の男達の誰もが自身の情けなさに顔を歪めた。
「身構えずとも、此処はもう公の場ではございませぬ。晴信さま、今の私は”帝の名代”ではありません。ただの一個人、尾噛祈。そう扱ってくださりますよう、お願い申し上げます……」
帝国の代表である筆頭職が、自身の軍門に降った筈の、土佐の人間達に深々と頭を下げて見せるなんて……
土佐の男達は、もう何が何だか分からなくなる程に混乱するしかなかった。
この日、儚げな物腰と相反する祈の放つ存在感に、土佐の男達は田舎者特有の歪んだ”女性観”の、その根底から覆される事になるのを、今はまだ知らない。
◇◆◇
「……やっぱり土佐の人達は”アレ”の事、よく調べていたんだねぇ……」
まるで駄目な子を叱る様な、呆れる様な……そんな眼をしながら、祈はそうしみじみと述懐した。
「そうですねぇ。ですが、良く分かっていた癖に、全然その情報をよこさないでこちらをアレに嗾けようだなんて。どう考えても悪質を通り越して悪そのものですよ、祈さま?」
緑茶を淹れながらも、器用に琥珀は憤慨する。
今晩にも催されるであろう歓迎の宴の料理と酒のグレードを一段階下げる指示をしよう。そう心に決めた様だ。
「処す? 処しちゃう? 主さま、美美暗殺でも、惨殺でも殺すのなら大得意だヨー。それにクソ親j……イヤイヤ、爸爸が前に言ってたネ。”悪即斬。そんな奴らにゃ慈悲はねぇ”って」
「物騒ばい。お前ん常識でもんば語るんな本当にやめて欲しかばい……」
「あんな奴ら相手するなら物騒くらいで丁度良いヨー」
そう美龍は、嫌そうに呟いた蒼に反論してみせた。
……行動の全てに一々毒と罠を仕掛けようとするつまらない小悪党を相手にするなら、確かにそうなのかも知れない。
祈と琥珀はそんな美龍の過激な論理に一瞬納得しかけたのだが、慌てて頭を振った。
(流石に”殺す”は、ないわー……)
(ですです。一度それやっちゃったら、もうこれから全部皆殺ししなきゃですもん……)
「ま、そりゃひとまず置いといて……で、祈。どうすると? ばり面倒臭いごたるけんど」
塩味の煎餅を噛み砕きながら、蒼はつまらなさそうに訊ねる。煎餅は少し湿気たくらいが蒼の好みだ。
「うん? ちょっと前にも言ったけれど、私一人で何とかなると思うよ? 数は面倒だけれど、アレには”自我”らしい自我は無いからさ……」
同じく緑茶を片手に煎餅をバリバリとやりながら祈は答える。煎餅は焼きたてこそが一番だと思っているが、今は蒼好みのちょっと湿気った残念な奴しか残ってないから仕方無しに囓っている様だ。
「自我ですか? 祈さま、それがどうして……?」
遠火で炙りなおした煎餅を祈に差し出しながら、琥珀は頭をコテンと傾ける。
「自我が殆ど無いから、アレが使えるんだよ……本当は、嫌なんだけれどね……」
「「「?」」」
「これこれ。こうでなくちゃ。やっぱり湿気てる煎餅はダメだなぁ……」
皆が一斉に抱えた疑問を他所に、小気味良い音をさせゴリゴリと奥歯で煎餅を噛み締めながら祈はそう呟いた。
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