第240話 集落の長の面々
”帝国”との交渉の席において、土佐衆筆頭明神晴信の脳裏を過ぎったものは、神への呪詛にも似た文言だった。
(なんちや。ワシはこがな小娘の影に怯えちょったいうがか……)
確かに自身が治める土佐と比べてしまえば、大人と赤子以上の差が”帝国”の間にはあるのだろう。
だが、それは決して晴信と目の前で踏ん反り返っている尾噛を名乗る小娘如きとの能力の差ではない筈だ。
上座に並ぶのは、その尾噛と、”伊予の熊”を除いた死国を代表する種族を束ねる筆頭職の面々。そして土佐から連れてきた部下達を威嚇する様に囲う具足を着けた帝国の武官、兵ども……
装備の差がそのまま明確な兵力の差にはならぬ。しかし、装備の差は、一度ぶつかった時の損耗率に明確に現れてくるのもまた事実。
この場で力の限り暴れてみせたとしても、帝の名代を名乗る小娘を屠る事なぞは絶対に不可能だろう。悔しいが、それはどう抗おうとも変え様の無い現実だ。
どれだけ脳内で現状を打破しようと画策した所で、晴信達は”帝国”の力に屈し頭を下げねばならぬ立場である事に何ら変わりは無い。だからこその運命の神への呪詛なのだ。
それでも大国の力に屈し、軍門に降る立場である以上、表面上だけでも最大限に礼を尽くし頭を下げてやらねばならぬ。
これは、土佐という貧しき集団の生き残りを賭けた大博打なのだ。土佐衆が抱える諸問題をある程度解決する糸口を掴むまでは、犬の様に忠実な僕の態でいなくてはならぬ。
従面腹背。精々その間は、帝国の金に集り、力を削ぐとしよう。反撃はその後だ……
「いかに繕って頭を下げてみせようとも、帝国に嘲りを持って対しておるのであれば……明神どの、解っておりましょうや?」
小娘の言葉に、晴信は正に心臓を鷲掴みにされてしまった様な、鋭い恐怖を覚えた。
(くそ、ただカマかけただけなんちゃ、それとも見透かされちゅうんか……)
だだの小娘如きがと侮っていたが、今までのやり取りを振り返り考えてみれば、表情一つとっても何も情報が読めないのだ。
「けっ……決してその様な……我ら土佐に生くる者、総じて帝に忠誠を誓い奉る事をお約束いたします……」
額に冷や汗を滲ませながら、晴信は祈に対し全面降伏する事を決めた。
帝国にだけではない。目の前の小娘如きにすら、晴信は全く勝てるが気がしなかった。
(……しかし、明神さんって本当判り易い人だなぁ……)
祈は晴信の心情と立場を慮り、心の中でだけ溜息を吐いた。
努めて表情に出さない様にしているつもりなのだろうが、祈には悔しさと情けなさに泣き叫ぶ晴信の心の声が全部筒抜けていたのだ。
(凡そ謀なんぞに向かぬ御仁でありますなぁ……)
(その癖、こういう奴に限って、妙に黒幕になりたがる。なんつーか、憐れだな)
(もう面倒臭いから、こんなのさっさと燃やしちゃいなさいな)
(((この人、本当にブレないな(でござる)))
◇◆◇
「相変わらずよな、土佐の彼奴は……」
「それはもう仕方無いのじゃないかいな、栄子ちん?」
「まぁ、根っこからああいうお人みたいだから、ねぇ……?」
「親父からちぃとだけ聞いちゃあいたが……まあ、そうだなぁ」
漆黒の嘴を器用に使い、鳴門衆筆頭、八咫宝栄は湯飲みの緑茶を一気にあおる。
全然冷めてもいない、ほぼ熱湯と変わらぬ茶は口内を不意討ちの如く蹂躙し、思わず宝栄は全身を震わせ悶絶する羽目になったのだが、その事についてこの場に居た者全員誰もツッコみはしなかった。
「でさ、あの場で皆に聞かなかったけれど、あんな感じで良かったかな?」
「妾に否はありませぬ。明神殿の心労も判るよって……」
「だわいな。あちしも栄子ちんと同じくだわ。死国の地で長く生きるとアレの怖さは身に染みておるわいな」
弥勒衆を束ねる信楽百合音は、そのアレ……蜥蜴共によって引き起こされた出来事を、噛み締める様に振り返って身を震わせた。
アレは正しく災害だった。
蜥蜴共が通った跡に、動くモノなど何も残されはしなかった。
当然だ。蜥蜴共は目に付いた生物全てに喰らい付く。
そして生物と見定める判断基準は、自身の目の前でそれが動くか、動かないか……多分その程度しか無いなのだろうと思われた。
そんな”災害”から逃げて、逃げて、逃げ回って……気が付けば、家畜の大半と、脚の遅い順から集落の幾人かの人間が”災害”の影と共に消え失せる。
それが死国の地で周期的に起こる蜥蜴の害だ。
「いつもであれば”伊予の熊”どもが、彼奴らの勢いをある程度抑えてくれておったのじゃが……」
海魔衆の長、八尋栄子は頬に手を当て嘆息する。
栄子の言いたい事は祈も判った。その”熊ども”は、牙狼兄弟と帝国軍の策によってすでに滅んでいる。
それによって今回の蜥蜴による害が広範囲に及んでしまっているのだとしたら、それは丁度そんな時期に死国の地に足を踏み入れた帝国軍のせいなのだ。その考察に行き着くと、祈の胃は急にしくしくと痛み出した。
「アレには”食欲”しか残っちゃいねぇ。あまりに生物として単純な行動原理だが、だからこそ面倒臭い。害獣に通用する戦法全てが効かないからな」
焼け爛れた口内を必死に冷ます様に、宝栄は舌を垂らし嘴を大きく拡げてボヤく。
野を巡る獣共の行動は単純だ。常に食い物を探し、それを食う事を目的に生きている。
当然、獣共にも生き残る為の戦略……優先順位はある。食い物を摂る事は生きる為に必要な目標であるが、その前に”自分の身の安全を図る”これがまず大前提なのだ。
だが、蜥蜴どもは違う。
”食う”事それがまず大前提であり、自身の安全は二の次だ。それこそ、自分の食欲を満たす為ならば、目の前の同族もその対象に成り得る。
その為に野の獣にすら通用する罠や、見せしめの死体放置の策が使えない。逆に罠にかかった同族を嬉々として喰らうだろう。
「まぁそんな訳で、アレの対策は明神殿に言われるまでもなく、我らも備えねばならん……」
「こっちに来る前に、あの土佐の人たちが襲われたっていうことは、もうアレがすぐ近くにまで来ておるってことだわいな。いや、困ったのぉ……」
晴信の要望はまさにそれだった。
『帝国の御力をもって、蜥蜴どもの害から土佐を、惹いては死国に生くる者達の安寧を』
である。
幾度もあった蜥蜴の害は、必ず西から。
真っ先に被害に遭うのは土佐衆なのだ。
痩せた土地を切り拓き耕すだけでも難事であるのに、多少の誤差はあれど数十年周期で蜥蜴の害が発生するのだから、たまったものではない。
それこそ晴信は、土佐衆全員の移住をも視野に入れていた様だ。
だが、その様な事をすれば、先住の者達と軋轢が生じるだろう。ましてや土佐衆の数は死国に棲まう他の民族の数全てを足しても遙かに上回るのだから。
「……うん。明神さんをお迎えに行った時に私もアレを見たけれど、対処はそう難しくはなさそうだったよ?」
「はぇ?! 祈ちん、そうなのかや?」
「うん。数が多いのはちょっとだけ面倒臭いけれど、それだけかなぁ……私だけでイケると思うよ」
「ほお? それが本当だったら、俺達ゃ楽が出来ていいやなぁ……」
「ま、でもその前に……明神さんに確認しなきゃなんない事が幾つかあるけれど、ね?」
少しだけ温くなった緑茶を啜り、祈はこの時の為に取り寄せた茶菓子を丁寧に切り分け、美味そうに口に運んだ。
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