第239話 屋敷の中での面々
放置し過ぎてごめんなさい。不定期ですが再開します。
「頭ぁ、目ぇ覚ましたんやな。よかった。本当によかったなぁ……」
「ここは……?」
土佐衆筆頭、明神晴信は、固くて重いまるで煎餅の様な粗末な布団ではなく、羽の様に軽く華美な刺繍の入った豪奢な布団を抱いた状態で目を覚ました。
跳ねる様に身を起こし、晴信は布団を剥ぐ。
死を覚悟した筈のあの状況から目を覚ましたら、何故こうなっているのか……晴信の理解は全く及ばなかった。
ならば、今晴信にできることは、『どうしてこうなった?』その一点の考察だけだろう。
(ワシはあン時、確実に死んだ筈じゃあ……どがいして、ワシは生き残れたっちゅうんじゃ?)
蜥蜴の群れに囲まれた時、真っ先に両足を噛み付かれて引き倒された。
すぐに多くの蜥蜴に覆い被され、生きながらにして内腑を食われた……その光景の記憶が唐突に蘇ると同時に、晴信は吐き気を堪えきれず口を覆った両掌の上に僅かな胃液を漏らした。
(そうじゃ。ワシはあン時、蜥蜴どもに全身を食われ死んだ筈じゃあ。じゃが、どがいよ? 今のワシは五体満足揃うちょるがき……)
肉食獣は、捕らえた獲物の柔らかい部分から順に食んでいくという。
その云われが真実だったのは、晴信自身が嫌という程激痛みを伴い味わい続けた体験だ。
抵抗虚しく内腑を引き裂かれる激痛。
直ぐ様視界と共に両眼を失ったのも、激痛から簡単に察する事ができた。
今正に自身の肉を貪り食われるという実感が、咀嚼音で嫌が応にも思い知らされた現実。
全身を生きながらに食われる激痛は、それで意識を手放せる類いの生易しいモノではないという事を、晴信は事の時初めて知った。
生を渇望し、助かる道を必死に探し、力の限りに抵抗し続けたのだ……死するその直前まで。
(……まぁ、普通に考えたら、その一回で死ぬるがやき解らんもんちやな……)
そこでふと、晴信は気付いた。
(やったら、今のワシは? まさか死人っていう訳やなかがよな?)
目の前には、土佐から連れてきた部下達が雁首揃えて勢揃いだ。
晴信の無事を涙を浮かべて喜んでくれている様は、見ていて本当に顔が熱くなってくる程恥ずかしいが、今はそこに触れないでおくつもりでいる様だ。
もし仮に此処が天界、もしくは地獄だったとしたら、晴信はただの犬死にした間抜けに過ぎない。それだけはどうにも耐えられそうになかった。
……だから、無事生還できた。無理矢理にでもそうと思い込もう。晴信は決心した。
「ここはな、頭ぁ。”帝国”のお偉いさまのお屋敷だぁ。わいらは助かったんや」
「どがいよ。じゃき、そんお偉いさまっちゅうんは、今何処におるがよ?」
晴信の目的は、帝国との交渉だ。見捨てられたとしても仕方の無い”敗者”としての。
その卓に付く前だというのに、大きな借りを作る羽目になるとは。晴信の想定から大きく悪い方へと逸脱してしまった事態に、彼は落胆を禁じ得なかった。
「失礼いたします」
障子を開け中に入ってきた女性の姿に、土佐衆の男達の目が釘付けになった。
それもその筈だ。
土佐衆の女性には、身を艶やかに飾るなぞ、そんな生活の余裕は何処にも無かったのだから。
土埃と垢とで顔と全身を汚し、皮脂でこってりと固まったままのごわごわの頭髪を無理矢理に後ろに束ねているのが、総じて土佐に生きる女の姿なのだ。
(くそっ。ワシらと帝国の間にゃ、こがンまでの差があるっちゅうがか。最初っから勝負にもなっちょらんやないか……)
頭を下げたまま、甲斐甲斐しく晴信の世話をするこの女性は、聞けばただの便女の身分なのだという。
如何に客人をもてなす為の人材だとはいえ、ここまで清潔で煌びやかなまでに仄かな光沢を放つ衣服を揃える余裕も、そもそもその発想すらも土佐の地に生きる男達の頭の中には無かったのだ。
晴信はあまりにも明確過ぎる”国力”と”文化”の差を前に、ただ悔しげに唸ることしか出来なかった。
◇◆◇
”五”の目の前には、焼いた魔物肉の塊が山と積まれていた。
目覚めと共に覚えたのは、どうしようもない空腹感。
焚き火で炙っただけではない、今まで嗅いだ事のない腹の奥底から突き動かされてしまいそうな、これは絶対に美味い奴と確信できる匂いが、部屋の中に立ちこめていた。
その涎を溢れさせる程の香しき匂いに誘われる様に鼻をヒクつかせ、抑えきれない好奇心と食欲に手を伸ばしてみれば、ぷるぷると震える柔らかき肉の感触。
そして、ぬるっとした獣の肉の脂と混じり合った茶色い液体。
野に棲む獣程度なぞ簡単に縊り殺せる程に凶悪にまで発達した熊獣人の太い指に付いた液体の正体を”五”は知らない。
当然だ。死国の地には、未だ醤を扱う様な高度な文化なぞ、伝来してはいなかったのだから。
指に付着した茶色い液体を舐め、”五”はその美味さに身体の芯から震えた。
「……なんじゃあ、こりゃあ?」
それまで、靄のかかった様なぼやけた感覚は、意識の外へと完全に吹き飛んでしまっていた。
香ばしき脂の溶ける匂いに刺激された卑しき生き物の本能が、長き眠りの内に下ろされたままになっていた意識の垂れ幕を、溢れ出でる涎と共に無理矢理引き裂いてみせたのだ。
”五”は、自身を取り巻く環境すらも確認する事一切を忘れ、ただ腹の虫の鳴るままに胃の中に美味し肉を詰め込む作業に没頭した。
「おう、やっと起きたのかよ。このケダモノが」
「アンタはちょっと黙ってろ、兄貴……ああ、いきなりですまないね。細かい事は後で良いからさ、まずは腹ごしらえでもしときな? 傷は全部こちらの手で癒やしたが、そのせいでお前さんも余計に腹が減ってるだろうしな」
おかわりはたんとあるから、慌てなくていいからな?
等と優しい口調で言う犬系だろう獣人種の泣き笑いにも近い顰め面を、”五”はその後もどうしても忘れる事ができなかった。
◇◆◇
「はぁ。しっかし疲れたねぇ……」
「そうですねぇ。まさか死国にあんな驚き生物がいるだなんて、思ってもみませんでしたよ」
視界を覆い尽くさん限りの、夥しき爬虫類の群れ。
あんなのを目の当たりにすれば、誰でも驚きと共に恐怖心に駆られる事だろう。
その中身が共食いですら当たり前の様に行うという、餓欲に突き動かされる様に蠢いているとか……およそ群生の生物にあるまじき”生態”をしていたのだ。
「あれ、ひょっとしたらだケド焼いてみたらきっと美味しいカモよー? 主さま、あれ後でチョット狩ってきても良いカ?」
「うえぇ。あれを食べてみたいとか……私、本気で貴女の正気を疑いたくなるんですが、美龍?」
「ねー? 正直ドン引きだよ」
「えぇー? そんな事言わず主さまも美美と一緒にトカゲ、焼いて食べようヨー」
珍しく美龍が可愛く駄々を捏ねてみせるが、祈はどうしてもそんな気なんか起きる訳無いだろとその提案を一蹴した。
「だって考えてもみてよ、美龍。あいつらの胃の中に、あの土佐衆筆頭職の色々な部位が入ってるんだよ?」
「……あー。それは、確かに、ちょっと……美美もヒくネー……」
「でしょ?」
土佐衆の明神某さんは、とても生き汚い人間だ。それこそ、半神になってしまった祈達ですら舌を巻く程の、生に対し底知れぬ執着を持っていたのだ。
「まさかさぁ、頭蓋骨だけになってしまっていたってのにさぁ、回復術で蘇生ができちゃったんだもんねぇ……」
「魂が肉体にしがみついて絶対に離れようとしない。恐ろしい執念でしたよねぇ……」
「あのまま放置してたラ、良い具合に不死人になってたネー。上手く進化すれば不死王もきっと夢じゃ無かったネ」
生きる為の原動力とは、言ってしまえば”欲”だ。
晴信の精神は、完全に世の欲に振り切っていた。それこそが、現世への執着となり、成仏への妨げとなる。
結論から言えば、祈達は間に合わなかった。
彼女達が駆けつけた時には、晴信の肉体は殆ど残ってはいなかった。
それこそ、彼の頭蓋骨のほんの一欠片があるかないか。その程度でしかなかったのだ。
だが晴信の魂は、その一欠片に過ぎない頭骨にしがみついたまま、まだ生きていたいのだと必死になって叫び続けていた。
だから、祈はその彼の”欲”の強さに賭けてみたのだ。
まさか、そのまま簡単に生き返ってしまうなどとは、術者である祈自身も思ってもみなかったのだが……
「ね? ドン引きダヨネー」
「そうですねぇ」
「だから人間って恐いのヨー」
言ってしまえば、晴信は”賭け”に勝ったのだろう。彼の持つ”欲”の強さに、祈は感服してしまったのだ。
土佐の要求が多少”分”を超えたとしても、祈は頷いてやるつもりでいる。
彼の持つ”欲”は、確かに恐ろしく強いのだが、自己中心的な”欲”では決してないからだ。
表現するならば、土佐に生きる者を優先する”我欲”といったところだろうか?
統治者として必要であり、尊い物。それを持っている彼は信用に足る人物なのだと、祈は結論付ける事にした。
例えその手段が、卑劣なものであったのだとしても……
「でもまぁ、その為にはちょっと痛い目はみてもらわないとダメなんだけどねー」
「思い上がった人間を徹底的に凹ませるのは、勿論必要でしょう。特にああいった”自分が賢い”と思い込んでいる人間は……」
「後で足りない思てモ、お尻ペンペンやれば良いと美美思うんだヨー。主さまが言ってくれたラ、力の限りやってやるヨー」
明神某の反抗心なんぞ、帝国との国力の差を見せつけてやれば直ぐに済む話だろう。
現状すらも見えない指導者は、ただ国を滅ぼすだけだ。
流石に彼はそこまで愚かではないだろう……祈はそう思っている。
「それよりもさ。美龍が食べてみたいっていうあの蜥蜴さん達はどうしよう、ねぇ?」
「祈さま。正直それ、私は勘弁して欲しいのですけれど?」
「チョット待って主さま。やっぱり美美も勘弁して欲しいヨー」
凡そ目の前で動くモノならば、なんでも喰らい付く。
あれはそういう生き物だ。そう祈は結論付けた。
恐らくあれらの心の内には、周囲の同族であってすら群れの仲間だという認識もきっと無いだろう。
あるのは、自分か、その他……くらいか? その他とは、要するに獲物だ。下手をするとその分別すらも、ひょっとしたらあれらの中には無いのかも知れない。
不意にあれの意識に触れてしまった祈だから解る。
あれは、生きる為に食っているのではない。
ただ食う為だけに、あれは生きているのだ。
……それはどうして?
それを理解できた時にこそ、きっとあの蜥蜴達の問題が解決するのだろう。そんな気がした。
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