第237話 例え追われても
長らく間を開けてしまった事をお詫び申し上げます。
「……頭。コレ、どがいしよ?」
「どがいもこがいも……当然運ばにゃいかんに決まっとろぉじゃろが」
土佐衆の筆頭である明神晴信の言葉は、絶対……ではない。従わねばならぬのは、円滑な組織運営の観点からも当然の話ではあるのだが、節度を守る限りは、身分が上の者に対して正面から異を唱え意見を言う事が許されている。
『面子如き守ったぁ所で、腹はちくっとも膨れんがじゃ』
痩せた土地で生きる人々の経験則が、まさにこれだ。より良い選択肢が目の前にあるのであれば、それを指摘するのは人として当然の事であり、集落の発展へと繋がる。
……だが、今回は他に選択肢がある訳もない。
頭が助けた以上は、最後まで面倒を見るのは当たり前の事であり、何より、彼女は未だ意識は無く目覚めないのだから、誰かの手で運ばねばならぬのも道理なのだ。
「……まぁ、きさんの言いちょりたい事ぁワシも解るつもりじゃがよ。ソレがこがぁなる原因が、近くにおる可能性もあるがじゃき。はよ離れんと不味い」
「……ワシも解っちょうつもりじゃが、ソレを運ぶためには四人は要るろう?」
”伊予の熊”の身体は、通常人類種と比べて遙かに重い。筋肉と骨の密度が、根本から違う。
そして、”熊”の個体は、雌の方がより大きく、頑強になる傾向があるのだともいう。ひょっとすると、この個体の体重は70貫(約260㎏)は下らないかも知れない。如何に、集落の”手練れ”達であっても、ソレを運ぶには最低限四人以上必要るという側近達の見立には自惚れが一切無かった。
「目的地がもう近いがやき、要らん分の食い物を置いていけ。そいでちっくとは時間稼ぎになるがじゃろ」
『”蜥蜴”達は、進路上に在る目に付いたモノ全てを食い散らかす』
あの記述が真実であるならば、多少の時間稼ぎにはなる筈だ。
これは、あの書物に記された事柄に対しての”検証”にも繋がる。
それに……
「どうせ食うなら美味い物じゃ。帝国の奴らに強請うたら良えろう?」
帝国は、”弥勒”を抑えている。ならば粗末な土佐の物とは比べるのも馬鹿らしい程に食糧を確保しているに違い無い。
ただでさえ不味い保存食を、後生大事に抱えて何の意味があるのか?
緊急時にやむを得ず……と、それを口実に、精々帝国産の美味い物を沢山強請ってやるとしよう。
転んでもタダでは起きない……それどころか、目の前で転んだ振りをしてまでも駄々を捏ねて起きない。土佐衆の明神晴信は、元よりそういう男なのだ。
◇◆◇
即興で作った担架に”熊”を載せ、明神達は足早に立ち去る事にした。土佐の男達は海魔の本拠地であり、”帝国”の兵が駐屯しているという”高松”へと足を向けて。
如何にこの”死国”の地に住まう多種族の中でも最大の巨躯を誇っているとはいえ、傷を負った”熊”の女は、その中に在っても一際大きい個体なのだろう。当然、この個体が持つ”戦力”は、決して見かけ倒しではない筈だと、明神は確信していた。
なのに、その”熊”の女がここまでやられたのだ。”蜥蜴”を相手に。
”蜥蜴”の個々の戦力自体は、人類種でも充分に対処可能なのだと書物にも在ったが、問題は、その数だ。
事、戦場において、”数”とは、”力”だ。
その”力”の前には、この地において最強を誇るであろう”熊”ですらも無残にやられてしまうのだという事実が、土佐の男達に更なる絶望を与えた。
(”熊”の放つ血の臭いを辿って、あいつらが追ってくるのではないか?)
”熊”の異常な重さに、一歩毎に担架の骨組みが軋み、それを担ぐ男達の肩に食い込んでは痛みが走った。だが、そんなものは土佐の男達には大した負担にはならなかった。
すぐ側まで迫り来たる”蜥蜴”共の幻視の恐怖に、何時しか男達は支配されていたのだ。
(はよぅ、はよぅ逃げんと、奴らが追って来ちゅうぜ。はよぉ、はよぉ……)
(ああ。後ろを振り向くんが怖い。俺達は助かるがやろか? こがぁな要らん”荷物”を抱えて、俺達は……?)
里の中でも名の知れた”手練れ”達の誰しもが口を噤み、ただ無言のまま、急く様にひたすら足を動かし続けた。
少しでも口を開いたが最後、今にも心が押し潰されてしまいそうな恐怖によって、きっと形振り構わず絶叫してしまうだろう、そんな確信めいた嫌な”予感”があったからだ。
(……なんとも嫌な空気じゃ。これはきっと、長うない)
手負いの”熊”を帝国への”土産”とする。
この判断は絶対間違っていない。そう晴信は確信している。
だが、それまで自分達が保つのだろうか?
正直に言えば、これは分の悪過ぎる賭けだ。その反面、事が上手く運べば、その恩恵は計り知れないだろう。自分の命だけでなく、連れてきた”手練れ達”の命すらも賭けの対象にするに余り在る成果が返ってくる。
今正に喉から手が出る程に欲しい”帝国の信頼”と、土佐衆に伝わってきた”書物に記された内容の信憑性”だ。
この二つさえ手に入れば、土佐の地の安全の担保が確実に成されるだろう。
……だか、この空気はいただけない。
晴信の脳裏に不安が過ぎった。少しでも何かの切っ掛けがあれば、屈強な男達は自身の内で育て上げた恐怖心によって、忽ちに混乱の渦に陥るだろう事が火を見るより明らかだからだ。
「うわぁっ! 蜥蜴じゃあ! 蜥蜴が来よったあぁぁ!!」
(ちいぃっ、糞がぁっ!)
本当に、嫌な予感ばかりが的中する。
恐怖に縛られ、咄嗟に動けなくなってしまった男達に向け盛大な舌打ちをしながらも、晴信は生き残る為に直ぐ様立て直しを図った。
◇◆◇
「落ち着けっ! きさんらは、”高松”へと急げ。それっ、ワシが足止めしちゅう内に走れっ!」
遠くより迫り来る”蜥蜴”共を、広範囲の大地壁でせき止めながら、晴信は恐怖に震える男達を叱責した。
こうなったら、自身の生命力が尽きるか、あっちが諦めるかの根比べだ。晴信は覚悟を決めた。
『外に出て来る”蜥蜴”の知能は総じて低い』
晴信は、その記載を信じて賭けに出た。迫り上がった大地壁の上部を、再度の詠唱で更に伸ばし、外側へと反らせる様に強引に変形させたのだ。所謂”ネズミ返し”の構造だ。
「あとは、この壁を拡げちゃる……ワシの見える範囲、全部じゃあっ!」
恐らく”蜥蜴”共は、手負いの”熊”に染みついた血の臭いを追って、ひたすら真っ直ぐ進んで来たのだろうと晴信は予測した。
ならば、どう対処するのが正解か?
……奴らの群れを覆う様に壁を囲って拡げ、緩い”袋小路”を作ってやれば良い。
後は、”壁”を上ろうとする個体と、血の臭いに釣られ我先に進もうとする個体とが、勝手に傷付け合うだろう。
そこに残るのは、”自滅”と”共食い”の果ての、凄惨な餓鬼地獄だ。
「同族すらをも平気で食いよる”獣”は、自分らの血の臭いで酔うたら良え。その間に、ワシらは逃げちゃるきな……ワシは、絶対に死なん。絶対にじゃ!」
自身の生命力の大半を費やして築いた”拒絶の壁”。
恐らくこれすらも、奴らに対し大した時間稼ぎにもならないだろう。
それでも、多少なりとも”蜥蜴”の群れの数を減らす事はできた筈だ。
「”腹を満たした”個体が多うなったら、この”災禍”も、それだけ早う終わる筈じゃ。被害を抑えるなら、なるだけ”共食い”をさせんといけんじゃろうて……」
”蜥蜴”の災は、”自然災害”だ。その発生は、誰にも止める事はできないだろう。
だが、被害を抑える事は、神ならぬ人の手であっても充分にできるのだ。
人類種の間では、特別な力を持つ魔術士達は確かに”英雄”だ。
だが、所詮晴信一人の力だけでは、”数”の暴力に対抗などできはしない。
だから、晴信は選択したのだ。帝国を巻き込んでやる、と。
「ワシは絶対に死なん。絶対にな……」
ふらつく足に力を込め、晴信は仲間を追う様に”高松”の地への一歩を踏み出した。
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