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第236話 困惑と面子



土佐衆(とさしゅう)の頭目、明神(みょうじん)晴信(はるのぶ)は、焦りと困惑の表情を浮かべたまま固まっていた。


年が明けてからというもの、眼に、耳に入る情報の全てが、自身の想定とは大きく乖離していたからだ。


晴信達の歩んでいた街道の先に倒れていたのは、女。


異常事態であるのは確かにそうだが、そもそも此処は、地獄にも等しい地の死国(しこく)だ。


行き倒れの人間に遭遇する。そんな事は確かに稀ではあるが、だが、無くはない。そこは彼らにとって、大した問題にはならなかった。


問題があるのだとすれば……


「頭、どがいよ(どうしましょう)?」


困惑を顔面に貼り付けたままの従者の一人が、同じく困惑に顔を歪める晴信に指示を求めた。


『知らんわ、ボケが!』


そんな心ない言葉が思わず脳裏を過ぎるが、晴信は従者に罵声を浴びせる事なぞできなかった。こんな”事件”が起るなんて、神ならぬ人の身では、到底考えに及ぶべくもないのだから。


「どがいもなんも……じゃが、こンまま放置する訳にもいかんがよ……」


およそ”人”と呼べる範疇を大きく逸脱する正に”山”としか表現できぬ巨躯は、人類種の持つ身体的特徴ではまずあり得ない。改めて確かめる必要の無いこの身体の特徴は、見紛う筈もない。


どこをどう見ても”伊予(いよ)の熊”だ。


「じゃが、”伊予の熊”をここまで酷く痛めつけよるバケモンがこの世におるっちゅうんが、ワシにゃどいたち(どうしても)思えんのじゃ……」


文字通り、”熊”の女の衣服は所々裂けて血まみれ、全身は傷だらけだ。


特に目立つのは右の肩口と二の腕から手首にかけて、鋭い刃物の様な物で何度も何度も切り裂かれた様な傷痕。それも確かに酷かったが一番酷い怪我は、左の脹ら脛だ。そこの筋肉(にく)が大きく抉れていた。これでは歩行も困難だっただろう。


血溜まりの中で倒れているということは、失血により意識を失ったに違いないだろうと一行は結論付けた。


だが状況からそう結論付けてみた所で、状態が改善されはしない。医者でもない専門知識の乏しい一行では、この様な場所でまともな処置なぞ出来る訳もないのだから。


(”熊”をここまで傷付ける奴ぁ、ワシゃどいたちアレしか考えられんがよ)


彼女はどうしてこの様な所で血溜まりの内に倒れているのか? その理由を、晴信はどうしても知りたかった。


もし、自身の予感が当たっているのであれば、どうしても捨て置く訳にはいかないだろう。土佐一国では、絶対に対処ができぬ”危機”だ。それこそ、死国に住まう人種を越えた民全てが一丸となって対処せねばならぬ災害が、とうに発生している証左なのだから。


「ワシ程度の治癒術(キュア)で、どうなるモンでもなかろうがやき。じゃが、やらんよかぁマシじゃろて……」


晴信は、初級の魔術の幾つかと中級の火の魔術を2種習得していた。このお陰もあって、土佐の頭目にまで登り詰める事ができた。何故なら、魔導士は”英雄”だからだ。


だが、いかに屈強で知られる”熊”といえど、血を多く失っている以上は、助かるかは五分五分といった辺りだろう。晴信は大きく息を吐き、魔力の腕を拡げて魔術を行使するために充分な量のマナを掴むと、ゆっくりと回復術の詠唱を始めた。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「祈様。御身のお立場、今一度お考えを……」


「……デスヨネー」


何故か祈と琥珀(こはく)の預かり知らぬ間に、ちゃっかりと参謀的な位置に収まってしまった(くろがね)からのダメ出しに、祈は『ほら、やっぱり』と、うんざりしながらも渋々頷いた。


「そもそも”土佐”の明神(なにがし)は、我ら帝国にとって招かれざる客。そう仰ったのは、祈様ご自身でありませぬか。その様な者を出迎える為に、筆頭職たる御身が態々出向くなぞ、あってはならぬ事でございます」


鉄の言う事が一々尤も過ぎて、祈はぐうの音も出なかった。


確かに、帝国による死国の攻略がほぼ成った以上、今更”土佐”の人間共相手に帝国側から気を利かせ忖度する必要なぞは一切無い。


あちらが手土産を持参し、詫びを入れ頭を下げながらこちらの軍門に下ると言うのであれば、まぁ会ってやらん事も無い。


その程度の態度で臨めば良い。彼我の力関係で言えば、帝国と土佐には、それ程にまで差があるのだから。


……だというのに、この地の筆頭職たる”責任者”が、その様な”招かれざる客”を出迎えに行こう等と口にするとは。


鉄が祈を窘めるのも、当然の事である。


この様な判断は、琥珀にはまだできないだろう。鉄の様に”組織人”として長年培われた経験が無いのだから、仕方の無い話ではあるのだが。


「そもそも、とかく外交というものは、双方とも”面子”に拘り、それこそが最優先されます。この場合、上位者たる帝国側の、それも筆頭職の貴女が、斯様な下賤の者共を出迎える必要なぞは……」


長々として終わらぬ新参謀のお説教が始まる前に、慌てた様に祈は口を挟む。


「ですが、私が直接出向けば、その場で彼らとお話もできましょう? こうして座して待っているだけ時間の無駄。その無駄を省こう……という腹積もりで私はいたのですが、ダメでなのしょうか?」


鉄の纏めた報告書を読んだ限り、土佐の地に住まう者達の逼迫した現状が、祈にもある程度見えてきている。


”尻に火が付いた”という表現は、正に正鵠を射ているのだろう。


今まで海魔(かいま)弥勒(みろく)の両集落に行ってきた下らぬ工作、その成果一切を放棄してでも、帝国との話し合いの為、土佐の頭自らがこちらに出向いて来るというのだから。


「勿論ダメです。我ら(帝国側)の”面子”が、それを許す訳には参りませぬ」


大きく両手を交差させ×の形を描きながら、鉄は首を左右に振った。


形式上、体面を気にせねばならぬ状況であるのは、致し方の無い事である。元来、(まつりごと)とは、慣例を尊び、例外を忌避するのが常だからだ。


だが、そこをあえて曲げてでも推し進めてしまいたい。そう祈は思っていた。


今回の一件を機に、そのまま土佐一国を傘下に収めてしまえれば、帝国の死国統一は成る。


なるだけ早く魔導士達を使って開墾と土壌開発、治水事業に着手せねば、土佐の民は今年も飢えに苦しむ事になってしまうだろう。それでは、死国の安寧はまだまだ先の話になってしまうのだ。


「いやしかし、例えそれが一日二日早まった所で、何も変わる訳では……」


だが、そんな祈の焦燥も、鉄の理解を得る事はできはしなかった。


「それは、そうなのですが……」


鉄の指摘は正しい。確かに祈もそう思う。この焦燥感は、ただの自己欺瞞。その自覚も祈の中にはある。


(だけれど、何故か妙な胸騒ぎが、するんだよなぁ……?)


言の葉に乗せるには、あまりも曖昧で、今は(もや)の様なものでしかない。本人にも良く解っていないのだから、他人に正確に伝える事なぞできる訳もない。


だが、確信に近い予感が、祈の中にはあった。


不思議なもので、こういった時の”悪い予感”は、往々にして当たる。これは、15年という祈の短い人生の中での経験則である。


(我ながら嫌な話なんだけれど、ね……)


守護霊達の評の”持っている”とは、呼んでもいない”不幸”が、向こうから笑顔で手を振りながら元気よく迫り来る。そんな祈の運命の皮肉を指している言葉だ。


今回も、その皮肉がばっちりと効いてくるのだろう。祈は未だ見た事の無い運命の神とやらに対し、盛大に唾を吐きかけてやりたい気分でいっぱいになった。


「……まぁ、祈様のお考えを汲まねば”参謀”と胸を張って言えませんし、仕方がありませんね……」


先に折れたのは、鉄の方だった。長く続いた沈黙のにらめっこに、つい耐えかねてしまった。そう言ってしまえばその通りなのだろう。


だが、鉄も鬼ではない。祈の考えている事は百も承知だ。ただ、祈はまだ年若く、これから先の”未来”がある。政の心得を叩き込まねばならぬ。その想いから苦言を呈しているのだ。


「どうあっても明神某をお迎えに行かれると言うのでしたら、この鉄、もう止めはいたしませぬ。ですが、御身の身分はお隠しなさいませ。それと、護衛の者は、こちらで決めさせて戴きますよ?」


それでも、上位者である帝国の”面子”だけは何があっても守らねばならない。これだけは絶対だ。”外交”とは、舐められたらそこで終わるからだ。


「ありがとうございます、鉄さま♡ 琥珀、美龍(メイロン)、支度して」


黒髪の”参謀”に丁寧にお辞儀をして、祈は席を立った。


「はい。お気を付けて……」


……護衛の兵を編成する際、本来の直属の上司でもある銀髪の兄に、この事を怒られるんだろうなぁ。


その光景が容易に脳裏に浮かび、鉄は苦笑いを隠せなかった。



誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。

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