第232話 それからの姉妹
「しかし、よおまぁアンタらも無茶をしなさるわ。こんな幼い男の子を連れて旅をしてはるなんてなぁ……」
「ほんに、ご迷惑をおかけしました」
”四”は、老婆に深々と頭を下げた。
綿の入ってない煎餅の様な固い布団に寝かされているのは、とある人類種の集落で”四”が拾った男の子だ。
『母親が見つかるまで、このボンはウチが育てたるさかい!』
そう高らかに宣言をしたが、やはり無理があったんだと下等な人類種の老婆に態々頭を下げる姉の姿を見て”五”は一人苛ついた気分を隠せないでいた。
(ワイらと下等な人族の餓鬼とじゃ、身体のつくりが全然違う。こんな糞餓鬼、さっさと喰っちまえばええやろに。”四”姉は一体何考えとんのや……?)
”熊”の獣人は、この世界に在る獣人種の中でも特に頑強だ。
その分だけ、一日の稼働により多くの摂取カロリーが求められてしまうが、それは肉の身を持つ故の宿命だ。
だが、男の子は”熊”ではない。通常人類種の、それもまだ幼き子供なのだ。
”熊”の姉妹とは身体のつくりが違う。それは”五”の指摘通りだ。今回の一件は、その差違が表面化しただけに過ぎない。
「……ごめんなぁ、”ロク”。ウチが悪かってん……」
熱にうなされ、布団の中で苦しそうに呻く”ロク”の頭を撫でながら、”四”は涙を流し詫びの言葉を呟く。
男の子の名は、”マゴロク”。そう母親から呼ばれていたのだという。
『言い難いし”ロク”で、ええな? ウチ、これからボンの事をそう呼ぶわぁ』
嬉しそうな笑みを浮かべ”四”は男の子に向けそう言った様子は、”五”にとって衝撃の記憶となった。
(あかん。ワイは”四”姉の考えがさっぱりわからんのぉなったわいな。ワイらにとって”餌”でしかない人族の餓鬼ンちょ相手に、何で、こんな……)
ロクへと向ける”四”の視線は、まるで母親が我が子を見つめる正にそれであった。
”熊”にとって、人とは”食糧”でしかなく、当然母子の如き情を交わす相手ではない。
”五”は今まで自身が生きてきた間に積み重ねられ培われてきた筈の”価値観”が、ここに来て大きく崩れ去る音を耳にした錯覚に囚われ、身体の底から沸き上がって来る名状し難い衝動に身震いをした。
このままでは、自分の頭がおかしくなってしまう。
他人がその話を聞けば、あまりの可笑しさに一笑に伏す様で奇妙な、だが、本人にとっては切羽詰まった危機感が、”五”の中に芽生えつつあった。
それが嫌ならば、人間の餓鬼が床に伏せている今の内に、”四”から離れてしまえば良い。それくらいの考えは”五”でもすぐに思い付く。
(やけんど、”四”姉がおらんのぉなったら、ワイ生きていけん……ワイの頭は、”四”姉ほど良くはない……)
だが、”五”は一人の力だけでは、長く生きてはいけぬだろう。姉の方針にただ従って動いていたお陰で、今まで楽に生きられたのだから。そのくらいの自覚はある。
自分と違い”四”ならば、人類種とも上手く共存してやっていけるだろう。それは今見た通りだ。その点、”熊”としての生き方、考え方をどうしても曲げられぬ”五”とは違う。
”五”は頭を振った。
(まだや。すぐに結論を出す必要は、まだ無い筈や……)
……ほんの少し。たった4、5日”熊”と同じ生き方をしただけで、人間の餓鬼はこの態だ。
どうやら肉だけを喰う生活はできないらしい。
そして、雨風に弱い。屋根の無い生活を続ける強さは、どうやら持ってはいない様だ。
季節は漸く春を迎えたばかりだ。まだ夜は冷える。その結果が、コレだ。
確かに”熊”の子でも、体力の無い奴は寒さで体調を崩す事は儘ある。だが、たったこの程度の事で瀕死の状態になる様な、余りにも貧弱な身体のつくりはしていない。
この、どうしても埋める事のできぬ種族間の差違は、何れ決定的な”決別”の切っ掛けを産む筈だ。だから、まだ結論を急ぐ必要はない。
そう”五”は、締め付けられる様な不安感に苛まれながらも、目の前に在る現実から眼を背けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とある人族の集落の外れにある老婆の家に間借りする事になった姉妹は、こうして人族に紛れて生きる様になった。
”ロク”の看病は老婆に任せ、二人で力を合わせで魔物を狩り、その肉を対価に日々の生活の糧を得て暮らし始めた。
大きすぎる”熊”の体躯に、当初は集落の人々からは恐れられた二人だったが、恐らくは”ロク”の事を老婆が周囲に広めたのだろう。集落の人々からは、恐れ半分、興味半分の奇妙な関係が出来上がりつつあった。
集落周辺の危険な魔物を狩る。
人族の手練れの狩人であっても、それは難事だ。だが、”熊”の姉妹は、それを片手間に行う。彼女達の力によって、集落は貴重な食糧を得られ、周囲の安全が担保される。
その上、周囲に生える薬草やら山菜まで持ち帰って来てくれる。今や”熊”の姉妹は、集落にとって得難い存在になっていたのである。
”ロク”は”四”に良く懐いた。
まるで、自分の母親が”四”であるかの様に。
……きっと、”ロク”の母親は、この世にはもういまい。
”ロク”も、何となく察しているのだろう。でなければ、この奇妙な”共存関係”は、普通に考えれば、まずあり得ないのだから。
”五”はつい無意識にも同情混じり視線を、人族の餓鬼に向けてしまった事を自覚した途端、言い様の無い恐怖が沸き立ってきた。
(なんでや? なんでワイが、”餌”如きに同情せにゃなあかんのや?)
姉妹の母親は人族だったのだと、父たる”赤兜”からはそう聞いている。
そういう意味では、姉妹共々半分は下等な人類種の血が混じっている筈なのだが、それでも”四”も”五”も、種族は”熊”の獣人であり、人類種とは違う。違う筈なのだ。
だから、余計に”五”は混乱してしまう。このままでは、本当に気が狂いそうだった。
「なぁ、”五”?」
「なんや、”四”姉?」
そんな中、”四”は、言い難そうにしながらも、一つの提案を”五”に持ちかけた。
「あんな? ウチな、ここに定住しよう思うんよ。でな? ”五”も一緒に、どうかと思てん……」
(……ああ、やっぱり。”四”姉は、ワイとは違うんやなぁ……)
人は”食糧”。
(何故ワイは”食いモン”と一緒に生活せねばならんのや?)
ずっと”熊”として生きてきた”五”の頭の中は、種族の”価値観”と”現実”の齟齬に、未だ馴染めずにいるというのに。
だが、目の前の姉は違う。
人族の餓鬼を、まるで我が子の様に慈しみ、育てている。
人族の奴らと、まるで長年の友の様に笑いあい、共存しようとしている。
それが、”五”にとって羨ましくもあり、恐ろしくもある。
父である”族長”の命令を口実に、古い集落の”因習”を嫌って外に出たのだというのに。
結局は”それ”に雁字搦めに縛られている自分と、全く意に介さない姉。
同じ血を分けた姉妹であるというのに、一体、どこで差がついたのだろうか? それすらも、”五”には解らなかった。
「ごめん。どうやらこれ以上、ワイには無理そうや。なぁ……そろそろ、別行動にしよか? ”四”姉……」
『物事には、必ず潮時というモノがある』
そう兄弟で一番頭の良かった”一”が昔言っていた。だから、ここで”四”とは別れよう。”五”は、何とも清々しい晴れやかな気持ちで、その自ら導き出した結論を受け入れた。
そうせねば、きっと何時か姉が我が子の様に可愛がる餓鬼を、胃の中に入れてしまいかねない。そんな可能性すらもあるからだ。
姉と別れる日が訪れるのは仕方が無い。だが、その結果が完全なる敵対ではあってはダメだ。折角の、二人だけの姉妹なのだから。
「……そか。何かな? ウチ、”五”が何かそう言う思っとったわ。そか……引き止めても、きっと無駄やろな?」
「ああ、無駄や。ワイと”四”姉は違う。それが、解っちまったけんの……」
だから、ここで。
この場で別れる。
「さよならは言わんよ? すぐ戻って来。ウチは、この集落におるから」
「ああ。たまには顔出すけん。そン時ゃ、美味いモン喰わせてくれや?」
二人とも向け歩き出す。
顔の方向は正反対。
向かう先も同じく。
想いは違えど、気持ちはきっと同じ筈。
二人は、同じ血を分け生きてきた姉妹なのだから。
誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。




