第231話 これからの死国
「ほらほら、もう息が上がってきてるよ。もう少し頑張ってっ!」
「ひぃ、ふぅ……ふぅ……っは、はいっ」
「そこ、休むなっ! 限界はまだまだ先だよっ! 後一里《約3.9km》っ! 歩いても良い。だけれど、絶対に止まっちゃダメだよっ!」
「はっ、はひぃ…」
容赦の無い指導者の声に、皆泣きそうになりながらも、狐も、狸も、天狗も黙々と手足を動かし続けた。
これが”特訓”なのだと言えば、確かに聞こえは良い。
だが、誰がどう見ても、これは”虐待”に限りなく近い”しごき”だろう。
狐や狸の獣人は、肉体的な強度の面だけに言及すれば人類種よりも遙かに劣る。
実際に、この”しごき”に耐えきれず道々で吐く者達の姿が、狐、狸の獣人に多く見られた。
「そういや俺達にも、あんな時代があったよなぁ……」
「「「なー?」」」
そんな光景を遠目から視ていた魔導士達が顔を見合わせて、大きく頷き合う。
”魔術”という、類い希なる術をその身に習得するまでに、同じ釜の飯を食らい、同じ屋根の下で眠り、同じ空の元で、ただ死に物狂いに修行を重ね続けてきた。皆は、謂わば”戦友”だ。
「我が麗しの上司様の地獄のしごきは、今思い返しただけでも、震えが止まらないよ……」
「ああ、全く。ホントに我が麗しの上司様は鬼だかんな。今でもたまに夢で見るぜ、俺」
「ホント、ホント。手加減ってのが無いんだよねぇ、我が麗しの上司様は……」
「でもまぁ、俺達と違って元々の”基礎”があったからなのか、あの人達、地獄のしごきに良く耐えているよね。だから余計に我が麗しの上司様が、情け容赦無くなっている原因なのかも知れないけれど……」
「「「ああ、解る。そんな感じする」」」
死国の地に居を構える海魔、弥勒、鳴門の各獣人達の中には、どうやら魔術の資質を持つ者がかなり多くいる様だ。
祈は三部族からそんな”適性者”を広く集めて、魔術の基礎を叩き込ませている。
弥勒の集落周辺の一部の土地だけは比較的マシではあったが、その極一部の地域を除くと、凡そ死国の地というのは耕作に向かぬ痩せた土地が多い。
森を切り開き、固い地面を掘り起こす。
川から水を引き、少ない雨露を少しでも活用する為には、水路と溜め池を掘らねばならぬ。
この全てを人の力で行うには、不毛なる死国の大地は余りにも固すぎた。
ならば、魔術を用いて強引にでも大地を穿ち、土地を耕してしまえば良い。水源が足りぬというのならば、魔術によってマナから水を作り出してしまえば良い。
元々魔術とは、そんな生きる為の”技”から派生したものだ。
それを戦いの道具として、長い年月をかけねじ曲げてみせたのは、傲慢なる人の”闘争本能”故だ。結果、魔術は初心を失い、醜き”奇形児”へと異様な変貌を遂げたのである。
祈の今の試みは、魔術という技術を編み出した当時の英知への”原点回帰”とも言えるだろう。
鳴門衆の前長である幻斎が、外道の技である”勇者召喚陣”に活路を見出したのも、結局は生きる糧を求めての事であった。ならば、この祈の試みも鳴門の民のみならず、三部族全ての民に歓迎される筈だろう。
「……お前ら、どうやら暇してる様だな。少し付き合え」
「「「「ぴっ?!」」」
気配を消していたのだろう。今まで腐していた件の”麗しの上司様”が、魔術士達の後ろに立っていたのだ。
「うん、うん。考えてみたらさ、私ってばお前達に”日課”、やらせてなかったね。丁度良い機会だし、アイツらに混じって、少し身体動かそっか?」
「……い、いえいえいえいえ。わ、我らこれから、”壁”の点検を、せねば……」
「そ、そそそそうです。我ら決して、暇をしている訳では……」
「ですです。それにボク、狼牙隊の方々の剣の訓練に参加する約束を……」
「わ、わたくし、牙狼様に提出せねばならぬ書類が……」
”遠征軍”に組み込まれて以降、彼らは日課となっていた訓練をしていなかった。そんな暇が無い程に、日々多忙を極めていたのは間違いの無い事実だが、祈が弥勒の里へと出かけてからは、海魔の集落を囲う堀と壁を構築した後、上司たる祈の眼が無いのを良い事に狼牙隊に混じって警邏の仕事しかしてこなかった。
結果、並の剣士では到底敵う筈の無かった強靱な肉体はほぼ失われ、今や”ただの魔術士”になりかけていたのだ。
「そんな事は後回しで良い。どうやらお前達、色々と楽してサボってた様だね? このままじゃ……戦場で、すぐ死ぬよ?」
祈の言葉に、魔術士達の表情から血の気が失せた。
日々に課せられた”特訓”は、自分達が戦場で生き残る為に必要な物が集約されていたのだ。それを疎かにすればどうなるのか?
彼らも決して馬鹿ではない。
魔術で終始圧倒してやったとはいえ、”伊予の熊”との実戦において、最後の悪あがきとばかりの蛮族達の必死の抵抗を、彼らは目の当たりにしている。
(もし、あの樽がこちらに飛んできたら?)
(もし、あの太い腕がこちらに向いたら?)
それを瞬時に判断し、躱せるかどうか……あの時を思い返せば、正直自信が無い。
「……うん。じゃあ、頑張ってみようか。アイツらに”先輩”としての良い所見せてあげて、ね?」
「「「「……はい。我が麗しの君」」」」
”我が麗しの上司様の言う事は絶対”。
いくら彼女を影で腐してみせた所で、これは何があっても変わらないのも事実。
彼女の厳しさの内側には、常に愛がある。
戦場での”もしも”に備える為に。
自己の手で”手柄”を立てる為に。
その為の指導を、彼女はずっと彼らに授けてきたのだから。
「さ。じゃあ、全力疾走。集落一周っ!」
「「「「はっ!」」」」
祈の檄に応え、魔術士達は一斉に大地を蹴った。”後輩”にあたる獣人達に、”先輩”の実力を見せつける為に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『……という訳なのです。愛茉様のお力をお借りしても、よろしいでしょうか?』
『おお、おお。ええさ、ええさ。そこで此方の事を思いだしてくれただけで、此方は嬉しいぞ』
精霊神である<五聖獣>達の寄って集っての”祝福”により、祈、琥珀、美龍、蒼、愛茉の五人の間には、特別な経路が形成されている。それが”人から離れたモノ”である証明の神通力だ。
その霊力の糸を通して、遠く離れた斎宮の斎王愛茉と祈は交信していた。
『朱雀様も、死国の地については、何かと”懸念”があるのだと仰っておったからの。此方で力になれるなら、いくらでも其方の為に骨を折ってやるわいな』
(……精霊神たる朱雀程の存在でも気に掛けねばならぬ事柄が、死国の地にはある?)
今、愛茉の口からさらりととんでもない事を言われた様な気がしたが、祈は表面にそれを一切出さないでおく事にした。どう考えても、これは俊明の言う”フラグ”だったからだ。そんなのに一々反応していては、絶対に碌な事にならない。
『そう仰っていただけると助かります。できれば、指宿から、甘薯の種芋と、大豆。それと、麦の苗を幾つか手配していただけないでしょうか?』
豊富なマナを含んだ地下水の恵みによって、指宿の地で育つ農作物は、他では見られぬ程に大きく、かつ丈夫に育つ。味も栄養価も高く、それでいて長く保つ。良い事づくめだ。
その丈夫で健康な苗を、死国の地で植えたらどうなるか?
一発で上手くいく……そこまで楽観的には、祈も思ってはいない。だが、少なくとも試してみる価値はあるだろう。
当座の目標は、死国の地の食糧自給率を上げる事だ。
最終的には、死国の生産物を海魔の船で方々に運び、他国に売る所まで持って行ければ。
そこまで行けば、きっと帝国の死国攻略は大成功を収めたのだと、胸を張って言える筈だ。
『解った。一光様には、此方から言っておこう』
『よろしくお願いします』
『ええ、ええ。その様な些事、気にするでないわ。此方と其方の仲じゃろて』
久しぶりの親友との会話に、愛茉の機嫌は頗る良い。いくら”祝福”を受けて半神の身となったとて、斎王としての修行と抑圧の日々は、愛茉の精神に多大なる負荷を与えている様だ。
『今回の一件が片付きましたら、一度斎宮に遊びに行きますね』
『そうか、そうか。一光様も、遠き死国の地に在る其方の身を案じておったでな。いつでも構わぬ。遊びに来ぃ』
『はい。是非に……』
少々後ろ髪を惹かれ名残惜しく感じたが、念話の経路を祈は閉じた。
”扶養家族”が増えた以上、それを喰わせていかねばならぬ。
その責は、筆頭職を任ぜられた祈の双肩に全てかかっているのだ。
「さて。これからもっと忙しくなるだろうなぁ……」
今更ボヤいていても仕方が無い。少しでもやらねば、物事は何も進みはしないのだから。
祈は両頬を掌で何度も強くペシペシと叩き、今にも萎えてしまいそうになる弱気を窘める様に気合いを入れ直した。
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