第228話 兄弟と姉妹
「っぷはぁ、っと……」
徳利を取り出し、空になった杯になみなみと注ぐと、鋼はそれを一気に呑み干す。
「……ふいぃぃぃぃ」
鋼は大きく息を吐き、同じ動作を繰り返した。
まるで、予めその動作だけを繰り返す様に。
創造主に命じられた機械の様に。
「……兄者」
「……何だよ?」
弟の呼び掛けに、兄は不機嫌を隠そうともせずに応える。
折角の晩酌……鋼の場合は主食が酒なので、その表現が合っているかは難しい所ではあるのだが……を、弟鉄の無粋とも言える戸惑いを含んだ呼び掛けに、兄は水を差された様な形になっていた。
「……あのよ、そんなに水を飲んだら、いくら兄者でも、腹ぁ壊さねぇか?」
「……言うな。これは水じゃねぇ。酒だ。良いか? これは水じゃねぇ。酒だ」
自分に言い聞かせる様に、同じ言葉を二度繰り返して鋼は杯を呷った。
「糞っ。お前ぇが要らん事言うから、もう水にしか思えねぇっ……」
鋼は忌々しげに空になった杯を膳に叩き付け、漆黒に金の紋様の入った高価な器が、綺麗に真っ二つに割れた。
「てか、そりゃ流石に無理有り過ぎんだろ、兄者……」
「こういうのはな、気分が重要なんだよ、気分が。だが、もうダメだ。気の利かねぇお前ぇのせいで台無しだ。畜生っ」
悔しげな表情を崩さず、鋼は皮目に余計な”豆”の無い、綺麗な焼きむらの無い焼き魚を手で摘まんで頬張った。
塩加減、火の通り具合は完璧。咀嚼する度に、口の中に広がる青魚特有のさらさらとした旨味を伴った脂が、一層鋼の機嫌を損ねる要因となった。
「……畜生。酒が欲しくなりやがる……」
ここに酒精で一気に口内を洗い流す事ができれば、その満足度はとても計り知れないものになるだろう。鋼はそれが解る。解り過ぎるからこそ、余計に忌々しい想いが募るのだ。
「あーあ。でもそれは兄者の自業自得だかんな? 抜け駆けなんてすっからよぉ……」
「うるせぇ! 俺ぁ、全てお前らの為を思ってだなぁっ!」
やるせない想いを拳にのせて、鋼は未だイ草の香り残る真新しい畳にそれを叩き付け、膳が大きく弾んだ。
「……だったら、もう受け入れろよ、兄者」
「糞。尾噛の嬢ちゃんを舐めてたわ。まさか、こんな”罰”で来るたぁ、なぁ……」
弟の真っ正面からの正論に何も言えなくなった鋼は、がっくりと項垂れるしか無かった。
「しっかし、祈様も本当に意地がお悪い。俺達にとって覿面過ぎる”罰”を、思い付かれるんだからなぁ……」
牙狼兄弟による伊予攻略。
祈は当初、全員に恩賞を与えようとすら考えていたのだが、兄弟共々それを固辞し、独断専行による罪咎を求めてきた。
鋼の求めそれ自体は、組織運営に当たっては確かに必要なものだと言わざるを得なかったが、その罪を償って余り在る賞があるのも事実であり、祈も頭を痛め悩ませた。
「だからって、なぁ……」
「……俺達にとって、酒は命の水にも等しいからなぁ……」
『次の補給の便が来るまで、お二人には、お酒を断っていただきましょう。それが今回の”罰”です』
祈から牙狼兄弟へと出された”罰”は、期限付きの『禁酒令』だった。
「……畜生。そもそもお前が俺の言う事聞いてりゃ、こんな事にゃならなかったってのによぉ」
「うるせぇ。兄者が祈様にしつこく食い下がりやがるから、俺も巻き添え食ったんだぞ」
緑茶を啜りながら、恨みがましい目を兄に向ける鉄。
茶碗の中身が酒だったら、きっと今宵は充実した眠りにつけた筈だ。それ程に、豪華で美味な晩餉の膳だというのに。
「……あの作戦で、備蓄の酒の大半を、使っちまったからなぁ……」
「あいつら、弱い酒しか呑んだ事なかった筈だっつのに、がぶがぶ呑みやがったモンなぁ」
念の為に、集落にあるだけの酒を積んでいって正解だった。まさか、それが自分達の首を絞める結果になろうとは、その時は思ってもみなかったのだが。
「数が残り少ないから、当然、管理の眼も行き届く。兄者、絶対に変な気は起こすんじゃねーぞ?」
「するかよ。もしそれが尾噛の嬢ちゃんにバレたら、本当の意味で俺の首がトぶ。できる訳がねぇ」
鋼は、速さはほぼ互角。剣だけの技量であれば自分の方がやや上だと見ている。だがそれは、日頃の祈の所作を見ただけの予測でしかないし、そこに魔術を重ねられでもしたら、もう鋼に勝ち目はないだろう。
勝つ情景が浮かばない以上、逆らうだけ損だ。そう鋼は結論付けた。
「なぁ、次の補給ってなぁ、何時来るんだ?」
要は、次の補給船が来るまで我慢すれば良いだけの話だ。
「……二週間後。兄者、耐えれるか?」
「無理だ。俺ぁ、ここで屍を晒す羽目になるやも知れん……」
そこに一縷の望みを賭けて鋼は弟に問うたのだが、まさか半月後とは。鋼は力無く項垂れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……せめて塩が欲しいな。”四”姉?」
「そうだねぇ、”五”」
獣人の中でも凡そ白兵戦に特化した熊の身体能力を持ってすれば、野の獣を狩りその肉を確保する事は容易い。
だが、如何に血抜きや腑抜き等の処理を上手くやってのけた所で、所詮は血肉の味以外には決してならぬ。
”奴隷”達から奪った塩や香辛料の味を覚え、熊本来の持つ闘争心を呼び起こす血の味以外を知ってしまったが故に、熊達はただ腹を満たす為だけの食事から、舌が肥えて味を楽しむ方向へ変質ってしまっていたのだ。
魔猪の肉は、多少の癖はあるが軟らかく、焼けば滴ってくる脂が美味い。
「ここに塩と胡椒があれば、もっと美味くなった筈なのに」
”五”は悔しげに、極上の魔物肉に齧り付いた。
「塩は何とかなる思うけんども、胡椒は難しいんやないかな?」
人類種の集落に行けば、少なくとも塩は手に入る筈だ。
奴らは、菜っ葉如きの腹に全然貯まらないつまらない物を漬ける際に、態々貴重な塩をふんだんに使う。
脆弱な肉体しか持たぬ奴らに、この魔物肉を見せてやれば、塩は望む分だけくれるかも知れない。そう”四”は”五”に提案してみた。
「えぇ? 何でワイらが人如きと交渉なんぞせにゃあかんのや? 奪えば済むやないか」
「何言うとんの”五”? それは”みんながおってできた”話や。今は”五”。あんたとウチの二人しかおれへん。大勢に囲まれたら痛い目みるえ?」
焼け野原と化した集落の様子から察するに、種族は全滅したと考える方が自然で現実的だ。今後は、”熊”の集団戦闘力を背景に、通常人類種を脅すのは難しいだろう。そう”四”は考えている。
なればどうするか?
”熊”個人の戦闘力を売りにする以外に、方法は無いだろう。
集落を襲撃し、略奪を生業とする事もきっと可能だろうが、こちらの戦力は”四”と”五”の二人のみだ。人相手に不覚を取る事態に陥る事はまずあり得ないだろうが、絶対は無い。
”もし仮に”の事態を想定しておかねばならぬ。そう考えるのは、年長者たる”四”にとって当たり前の事だった。
「せや。こっからウチらは、生きるために考えていかなあかん。考え無しに暴れるだけじゃ、何れ死ぬよって」
集落での集団生活が窮屈だ窮屈だと、常々思ってはいても、考えてみれば護られていた所は多々あるのだ。人間の集落を襲う時だって、何十人と兵を集めてから行っていたのだから。
「……なんだか、面倒だな……」
「せやね。でも、ウチはそれでもええかなって思っとる。少しばかりの不自由も、きっと楽しいモンやで?」
冷めた肉を頬張り、”四”は少しだけ嬉しそうに、楽しそうにはにかむ。
「そうかいなぁ? ワイは、全然そう思えへんねやけんど……」
”四”姉は変わってるな。”五”は残りの肉を獣の皮で包んで懐にしまう。姉の指示通りに交換のために取って置くのだ。
「まだ”五”は若いからわからんだけ。これからやで?」
火の後始末をしながら、”四”は妹に言い聞かせる。
「まずは、人の集落を探そか? 塩くらいなら手に入る筈やて」
「そいつらを喰っちまった方が早い。ワイはそう思うんやけんどなぁ…?」
腹を満たした”熊”の姉妹が次に目指したのは南の方角。土佐の在る人類種が治める領域であった。
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