第226話 牙狼兄弟
兄弟の策は成った。
だが、ここまでやったというのに、やはり伊予の熊どもは化け物なのだと牙狼鋼は痛感させられた。
酒に酔って足下すら覚束無い状態だというのに。念には念を入れて、酒にくすりを仕込んでいたというのに。
もう後が無いと悟ったのか、熊どもの抵抗は苛烈を極めた。
空になった樽を投げ、篝火を掴んで振り回し、仲間の骸を盾にしては、必死の抵抗をしてみせたのだ。
「拡大麻痺術三重唱。放て」
だが、僅かにある生存の可能性に賭けた、そんな必死の抵抗すらも18名の魔導士達の前では、ただの時間稼ぎにもならなかった。
次々に状態異常の魔術に呑まれ、熊どもは無念の呻きを挙げる事すらも叶わず、死するその時までただ……
『なんで、おれたちが、こんな目に?』
それだけを、思考の全てに埋め尽くして。
◇◆◇
「集落の熊は全員殺せ。隠れている奴を絶対に見逃すなっ!」
一族郎党、全てを殺す。
この機に”人食い”熊どもを完全に根絶やしにせねば、何れまた今までと同様の悲劇が繰り返されるだろう。
後の歴史において、この一件が非人道的、惨たらしいと幾ら誹られようが、これを成さねば死国の地の安寧には繋がらぬ。兄弟は徹底的に殺るつもりでいたのだ。
それに、どうせそんな評価が下される頃には、すでに二人とも墓の中で仲良く(?)眠っている筈だ。だったら、何も気にする必要は無い。
「”拉致”された人間の生き残りはいたか?」
「はっ。4名、女性が……ですが、その……」
報告の兵が表情を歪め、少しだけ言い淀む。
「……保護しろ」
「……はっ」
鉄は、それが何を指すのか充分過ぎる程に理解していた。
(胎の子が熊なら、当然……”始末”せねば、な……)
この世に新たに産まれ出でる無垢なる生命たちに、一切の罪は無い。
それは理解している。解っている。そのつもりだ。
だが、血とは、一族の本能と記憶を運び、後世へと伝えるのだ。
”人食い”という、およそ人の世で考え得る最大の”禁忌”を、何の躊躇いも屈託も無く行える”伊予の熊”という獣人種の中に、連綿と受け継がれてきた”本能”が。
「……恨むなら、持って生まれた獣の血を恨んでくれよ……」
母体から産まれて来る、その確率は半々。
母親には一切望まれぬであろう不幸な命だとはいえ、胎の子達が通常人類種の色を含んで出てくれる事を、鉄はただ祈るしかなかった。
熊どもの骸は一カ所に集められ、魔導士達の炎の魔法によって、大半が灰となった。
このまま大量の骸を捨ておけば、何れこの地は屍毒が回るだろう。屍肉の掃除屋である野の獣すらも熊どもが食い尽くした以上、この周辺で自然の循環は望むべくもない。
ただでさえ不毛なるこの大地を、これ以上穢す訳にはいかぬ。これは当然の”処置”だ。
「……兄者、本当にこれで良かったのか?」
屍肉の焼ける臭いに顔を顰めながら、鉄は両手を組んだまま、燃えさかる火柱の様子をただじっと眺める兄に問うた。
「あん? 何がだよ」
「いや、さぁ……祈様に、何の相談もせずに……」
新倉敷の代官でもある、第四皇子の光秀から死国攻略の任を負ったのは尾噛祈である以上、この地で軍を掌握する最上位に在るのは、当然祈なのだ。
如何に鋼自身が帝に次ぐ権威を持つ”四天王”の一人であったのだとしても、ここ死国の地に駐留する軍の中では、祈の方が位が上になる。
そんな祈に対し、何の報告も相談も無しに軍を動かし、他の部族の領域を”侵略”し剰え、その”種”を皆殺しにまでしてのけた鋼は、罪咎を突きつけられても何らおかしくはないのだ。
「……ああ、そんな事か。おめぇは何も気にする必要なんざねぇよ。おめぇは俺の命令に逆らえなかった。それで通せ」
「んな事できっかよ、兄者。俺を舐めンな」
鉄は、常に鋼と共に戦場を駈けてきた。
互いが互いの背中を守る。その確かな信頼、安心感は、それがただ兄弟だから。そんな理由だけでは決して片付けられないほどの、深い深い絆で結ばれている。そう鉄は信じている。
だのに、このボケは、何を言うのか。
「俺達はずっと一蓮托生。そう言ったのは兄者、あんただぞ? こんな所でいきなり梯子外すンじゃねーよ」
「けっ。何をえらそーに。おめぇも、尾噛の嬢ちゃんの気性、知ってるだろ? ありゃ、一種の”鬼”だ。自分の意に添わぬ奴は一瞬でコレ、だぞ?」
そう言いながら、鋼は手刀で首を斬る仕草をする。つまりは、そういう事だ。
兄の言わんとする、その意味を正しく理解した鉄は、ただゴクリと唾を飲み込んだ。
「ってー訳だ。何らかの咎を負った時は、『ごめんなさい、ごめんなさい。ボク、怖い怖い兄上様に脅されて仕方無く、やっただけなんですぅぅぅ!』とでも言っとけ。それで万事済む」
「はあぁぁぁ? 誰が、誰を、怖いってぇぇぇ? ……ざけンなっ! 誰もてめぇなんざ怖かぁねぇよっ!」
「ほぉほぉ? いつもピーピー鳴きながら俺の後ろを付いて歩いてたのは、一体誰だったかなぁぁぁ?」
「ばっかやろう! それこそ、何時の話してやがんだっ?!」
兄弟間で、言い合いは何時もの事。
兄弟間で、殴り合いも何時もの事。
長年兄弟の下で戦ってきた狼牙隊の面々は、その様子を見て「ああ、またか……」と一瞥をしただけで自分達に課せられている作業を黙々と続け、18名の若き魔導士達は、軍の序列に在って雲上人たる筈の、二人の乱心に、ただ困惑の瞳を向けるのみであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……さて。どうする、”四”姉?」
「どうしよう、ねぇ、”五”?」
”父”の命令に嫌々姉妹二人で狩りに出かけてみたが、考えてみれば、同族達の煩わしい眼を一切気にしなくて済むのだと、二人はたと気付いてからは、楽しい楽しい自由時間だった。
ついつい時を忘れ姉妹水入らずの周遊行を堪能して、流石にそろそろ戻らねば不味いだろうと、申し訳程度の手土産代わりにとばかりに、走竜をそれぞれ仕留めて集落へと凱旋を果たしてみれば。
まさか、かつての集落の姿は、どこにも面影は無く、見るも無惨にただ焼け野原になり果てているなどとは、思ってもみなかった。
集落の中心部であった筈の広場に奇妙なまでに大きな穴があった。”四”が意を決して覗き込んでみると、そこには大量の灰に埋もれた夥しい数の頭蓋骨やら腓骨らしき物が見える。九以上の数を知らぬ二人は、ただ、沢山ある。そう認識した。
姉妹共々、人類種の頭蓋骨は見慣れている。だが、この大きさは、どう見ても”食糧”共のものではなさそうだ。
「……まさか……?」
「でも、それしか考えられへん。そう思わない、”五”?」
二人が留守の間に、この集落は滅んだのだ。そう考えるべきではないか? そう”四”は結論付けた。
「いや、ちょっと待て”四”姉。ワテらに勝てる奴ぁ、この地におると思うんかい?」
考えられるとしたら、土佐の人間……は、絶対にあり得ない。奴らは”贄”だ。群れでもしたら、流石にチョイと厄介だが、それでも一方的に負ける情景は全然浮かばない。その程度だ。
「高松の……」
「ああ、確かに飛竜は厄介だけどよ。それでも集落の者どもが一方的に負けるなんてのは、絶対無いと思うんだ、ワテ」
「……だよ、ねぇ?」
”四”は周囲を見渡しながら、少しだけ思考の海に漕ぎ出す。
集落は完全に焼け落ちており、何も無い状態だ。風雨を凌ぐ建物が残っていない以上、此処に留まる意味も、理由もない。
「ここにおっても仕方無し。また周遊に出よっか、”五”?」
「……だなぁ。どうっせ、ワイらは集落の奴らにゃ、何の義理も、義務もねぇし。なぁ……」
もし”父”に見つかったら何を言われ、どんな因縁を吹っ掛けられるか解らない。だったら、もう集落と一切の関わりを断っても良いのではないか? そう”五”は考えた。
姉妹二人ならば狩りで食うに困る事も無いし、それが面倒だったら、通常人類種の集落を襲ってしまえば良い。
その場合、少しばかりは作戦を立てねばならぬだろうが。
「じゃ、もう此処は良いね? 行こ。”五”」
「おうさ。行こう、”四”姉」
”父”である族長の命令に従い、その命令を忠実に守らなかったが為に生き残った二人は、こうして野に下って行った。
人類種にとっては天敵とも言える、謂わば”災厄”が、だ。
「”三”兄なんかは、どうでも良いけれど。”六”は今どうしてんだろう……?」
遠く東の空を見上げながら、”四”は小さく呟く。
沢山の兵隊を連れた弟と反対の方角に歩を向けてしまった事を、彼女は少しだけ後悔していた。
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