第224話 牙狼兄弟の策略
雪道の中を、幾つもの大きな台車を牽いて歩く奇妙な一団が在った。
荷台の上には、大きな樽が複数並び、獣道よりかは幾分マシ……そんなデコボコの激しい路面に、台車は軋みを挙げて応え、その上に積まれた樽の中身がちゃぷちゃぷと激しく水音を立てた。
「気をつけろよ。絶対に荷物を落とすな」
遠くの地まで荷を運ぶという”仕事”は、この世界、この時代において途轍もなく大きな危険を孕む、謂わば『博打』の最たるものだ。
ハイリスクに対し、ハイリターン……とまでは行かなくとも、それなりの見返りは充分にある。
ある程度の危険に対処のできる”武力”と危険を察知し嗅ぎ分ける”鼻”さえあれば、一度や二度の失敗なぞ直ぐ取り戻した上で、食っていけるのだ。
そんな”運送屋”達の顔ぶれは、荒くれ者共らしからぬ、理知的な光が瞳の根底にあった。
それどころか、その大半が成人を迎えたばかりであろう少年の色が色濃く残る、若々しくも優しげな顔が並んでいたのだ。
「すまねぇな。お前達の”麗しの上司様”に黙って、こんな事やらせちまってよ」
「……本当に。我が不肖の兄の無茶なお願いに応えて下さって、魔導士隊の面々には、大変申し訳無く思いますよ」
それもその筈。彼らは”運送屋”ではない。戦争屋……陽帝国が誇る実戦部隊。その一員たる”兵士”だったのだ。
「いいえ。”我が麗しの上司様”からは、牙狼様の指示に従う様、我々は厳命されておりますのでお気になさらず。それに、帝国が誇る最強の実戦部隊と呼び名の高い”狼牙隊”のお手並み、しかとこの眼にできるまたとない機会ですので」
祈は、倉敷に駐留する魔導士隊24名の内、半数以上の18名を海魔の本拠である高松の地に連れてきていた。
18名の魔導士達は、拠点防衛の観点から見ても、城責めの観点から見たとしても過剰な戦力だ。それこそ、この半数でも多い位である。
だが、牙狼兄弟は、この18名の魔導士達を全員連れてきていた。
戦力の逐次投入なぞ、事戦術の面でも、戦略の面でも愚の骨頂。初戦において、最大、最強の戦力を持って敵軍を圧倒、蹂躙する。それが結局は、一番自軍の損害を抑える最適解である。
そこに至るまでには、正しい情報の収拾と蓄積があって初めて成り立つ結論ではあるのだが。
当然、帝国に在って、歴戦の将でもある牙狼兄弟に、抜かりが在ろう筈も無い。
敵の戦力を見極め、能力を把握し、そして……例の件の是非をしっかりと確認した上での、今回の”作戦”なのだから。
「伊予の熊の白兵戦力は、死国に住む獣人の中でも、恐らく一番だ。たぶんお前達の”能力”に、全面的に頼る事になる。すまねぇが、合力頼むぜ」
「承知しました。”我が麗しの上司様”に鍛えられし我らが手腕、存分にお使い下さい」
「ああ、頼む」
今回の”作戦”において、死国の地に赴いた帝国軍魔導士総勢18名の全員を投入する。
それは鋼の決意であり、覚悟である。
(伊予の熊よ、テメェらは要らねぇ。帝国の支配にも……いや、生物としても、だ。お前等の存在自体、俺は絶対に赦さねぇ)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伊予の地において、およそ”集落”としてのギリギリの体裁を整えたのは、熊によって掠われた人間達である。
彼らは、不幸だった。
芽吹きの春の頃、ある日突然集落を襲撃され、労働力として彼の地に全員”拉致”された。
蓄えの一切無い熊たちの支配は、過酷の一言だった。
子供と大人、男と女は、熊によって別々に”仕分け”られた。
男の子達は、それから二度と親と対面する日が来ることはなかった。当然である。まずは男の子から、熊たちの胃袋の中に消えていったのだから。
残された人間達は、その僅かな食べ滓を与えられた。それが、自分達の息子のなれの果てなのだとも知らずに。
彼らの手によって”集落”は作られ、不毛な土地に作物を植え付け育てられた。
熊の集落に、通常人類種の子供の影が一切なくなった頃に、収穫の時期を迎える。
栄養の薄い、およそ耕作に向いていない土地であっても、耕せば、そこに実りは確かに在る。だが、それらを彼ら”奴隷”達が口にする機会は、ほとんど無い。
実りの喜びと共に、”奴隷”達は一斉に潰される。冬の間の”保存食”になるのだ。
もしかしなくとも、熊どもが働くのは、この時期の、この時だけなのかも知れない。
残された僅かな見目麗しき女達だけが、この地獄の中で生き残る事が赦される。
だが、彼女達もまた不幸だ。
彼女達が生き残れた理由。望まれるのは、胎としての”機能”だけ。つまりは、熊の子を孕む。その一点のみだからだ。
獣人と通常人類種の間からは、半分の確率で、獣人か通常人類種の二種の子のどちらかが産まれる。
望まない熊との子を求められ、半分の確率で人類種の子が、胎から出て来る。正に生き残る為の『博打』を、彼女達は強制されるのだ。
例え運良く熊の子が産まれたとて、また次に半々の博打を打たねばならぬ。そこに彼女達の心が休まる日々は何処にもない。
「……そろそろ、この女も厭いたな……」
熊の”族長”は、何度も身体を重ね、今も必死に腰を振る通常人類種の女の首を掴んで、一息にへし折ると、そのまま遠くへ放り投げた。
いくら身体を重ねたとはいえ、骸と化した人間なんぞ、熊にとっては食糧と同じだ。それこそ今夜にも、鍋の具材に化ける事だろう。
”族長”は子供が大嫌いだ。五月蠅いし、何より気味が悪い。
この行為も、ただの欲望の捌け口。それどころか、暇潰しの一環でしかなく、結果知らぬ間に八人の子が世に出てきたに過ぎない。
身体に付着した体液を拭うために、族長は近くのボロ布に手を伸ばした。
「”族長”よ。何やら怪しげな集団が、入り口に来たらしい」
「……あん? わざわざワイらの”集落”に足を運ぶ阿呆がおるんかい。それはそれは……」
少しでも暇が潰せれば良い。下っ端の報告に、族長は嬉しそうに顔を歪めた。
◇◆◇
「いやぁ。おまんらが持って来た酒は、本当にうめぇなぁ。ワイはこんな透明で綺麗な酒、産まれて初めて呑んだわい……」
「だろぉ? いやぁ、伊予の族長よ。あんた達が俺らのお仲間になってくれるってんなら、酒なんざ、俺がいくらでも持ってきてやるぜぇ」
茶碗と呼ぶには、少しばかり大きすぎる器になみなみと酒を注ぎ、鋼は陽気に笑った。
血の様な赤髪を持つ熊の族長”赤兜”は、美味そうに茶碗……いや、丼の酒を一気に呷った。
「っぷはぁぁぁぁぁぁ……うまい。おまんら”帝国”ンところの酒、最高だなぁ。こんなうめぇ酒がいつでも好きなだけ呑めるってンなら、おまんらの仲間になるのも、悪かぁねぇ話だな……」
「そうだろう、そうだろう。俺らはあんた達”伊予の熊”の強さに惚れちまってなぁ。態々海の向こうから来たって訳だぁ」
鋼は貼り付けた笑顔を崩す事なく、空になった”赤兜”の丼にすかさず酒を注ぐ。
族長を中心に、今や集落の中はお祭り騒ぎになっていた。
”陽帝国”を名乗る集団が、友好の証とばかりに大量の酒と肴を集落に持ち込んだからだ。
常々畏れられる事はあっても、傅かれるというのは、蛮族達にとって初めての経験だ。彼らの持ち寄った珍しい品々も、当然彼らの興味を惹いた。
山海の珍味に美味い酒。
周囲の貧しい集落を略奪する日々では、決してお目に掛かる事のできぬ、名品、珍味である。そのまばゆさに目が眩まない訳が無い。
「ほぉ? おめぇさん、どこでワイらの実力を知ったのだ?」
「”海魔”って奴を、あんたは知ってるよな? そいつらが言ってたんだよ。”死国に(腕力だけは)最強の部族がある”ってよ」
鋼は一切の嘘を言っていない。ただ色々と省いただけだ。そこに牙狼鋼という男の辛辣さが隠れている。
「ああ、貧弱な狐どもか。あいつら、何やら怪しげな術を使っては飛竜を嗾けてきよったなぁ。まぁ、ワイらにかかれば飛竜の一匹や二匹は物の数ではないが」
「それだよ。それを聞いたから、俺らは海を渡ってここに来たのさ」
今回も嘘は言っていない。話の前後を変えて語っただけだ。
「うむ、うむ。ワイは初めて”友”と呼べる者を見つけたのやも、なぁ」
上等な酒を鯨飲し、髪と変わらぬ程に赤く上気する頬を撫でて、赤兜は真剣な表情で鋼の眼を見つめた。
熊の集落の価値観は、剛さと強さが全てだ。
だが、単純な力の強さだけならば、赤兜に匹敵する”熊”が、片手程度ではあるが存在する。その中で、族長として長く君臨していく為に、時には多少の”腹芸”も必要だ。
長年、そんな生活を続けていく内に、赤兜も精神的に疲弊していたのだろう。鋼の言葉は、そんな荒んだ赤兜の心の内を、清水の如く流れ清めていったのだ。
「……っかー! そう言ってくれると、俺も嬉しいぜ。帝国は頼もしい仲間を迎えられるんだからなぁ!」
(けっ! だーれが、テメーなんぞを”友”と呼ぶかよっ!)
彼の中の”友”とは、苦楽を共にしてきた尾噛の”先代”と鳳翔の二人だ。決して目の前の鬼畜ではなかった。
寒空の中、宴は続く。
広場を中心とした大きな焚き火と、その周りに掲げられた篝火が暖と灯りを兼ねて。
(酒が尽きた時に、テメーらの命運も尽きる。それまでは、精々今を楽しむが良いさ……)
ひょっとしたら、熊達と本当に友誼を結ぶ芽が、実はあったのかも知れない。
だが、それは”六”の口から出た彼らの忌むべき”生態”によって、完全に没した。
だから……
(全員死ね。テメェ達の”罪”、俺が背負う)
一瞬だけ、鋼は牙を剥く様な、獰猛な笑みを浮かべた。
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