第219話 守護霊散歩2
突如襲ってきた閃光に目が眩み、足下の感覚が喪失しての浮遊感。
後は、ただ墜ちている。
その感覚だけは、青年にも何となく解った。
永劫とも、刹那とも思われたその墜落感は、眼が慣れた頃に追い打ちの様にまた襲って来た閃光によって、漸くの終わりが訪れた様だ。
「失敗か……此度の”勇者”は、斯様な者では無理であろ……」
「……数多の同胞の犠牲を払い、この地に喚んだのがこれ、ではな……」
「……ははっ。ですが、見た目は確かにそうでございましょうが、この者の生命力の輝きは……」
どうやら数々の落胆の声は、青年の姿を見ての、それ対してのものらしい。
……なんだ、男か。
……ヒョロい、弱そー。
……此奴、魔導士なのか? それにしては、知性も品性も全然感じぬが……?
……妙に(頭の毛が)薄いな。
……顔が……不細工。というか、下品だ。直視に耐えぬ。
……この猿、今の内に処分すべきでは?
酩酊感にも似た目眩を必死に堪えて、何とか両の足で自身の体重を支える。その間、罵倒に等しき数々の声を浴び、青年は段々腹が立ってきた。
「……おい。黙って聞いてりゃ、好き勝手ほざきやがって!」
「……おお。言葉を喋ったぞ。猿と変わらぬ見た目のくせに、どうやら一定の知性は持つ様だ」
腹立ちついでにこの無礼な奴等を、徹底的に口汚く罵ってやろう。そう決めた筈の青年の決意は、しかし、あっさりと折れ曲がった。
(……こいつら、俺を、猿と同列に扱いやがった!)
舌戦を早々に諦め、青年は実力行使に出る事に決めた。
そうせねば、怒りで我を忘れてしまいかねなかったからだ。
人を殺す。それは、人間社会において禁忌だ。少なくとも、青年が生きた世界においては。
だが、青年は禁忌なぞ、何とも思ってはいなかった。
彼の職業でもある”陰陽師”とは、”呪い”の負の側面”呪い”を、主に扱っていたからだ。それこそ、呪い呪われは日常茶飯事である。
当然、その様な闇の世界で日々の糧を得て生きるという事は、禁忌の一切を捨てる事とほぼ同義だ。
(絶対、全員殺す。誰も生かして帰さねぇ……)
手元にヒトガタが無くとも、喚ぼうと思えば、青年は式をいくらでも喚べる。ほんの少しだけ、召喚に必要な霊力のコストが増えて、性能は落ちてしまう。だが、この場に居る人間全員を塵芥に変える程度、そんなもの誤差だ。
師でもあり、天敵でもある烏天狗によって、魂の根底にまで徹底的に刻み込まれた”印”を結び、俊明はこの後に起こるであろう惨劇を想像し、ニチャリとした、いやらしい笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……まさかそン時ゃ、式神だけでなく、呪術の全部が使えねぇ世界だとは思わなかったなぁ……」
艶々とした額を力無くペチペチと叩きながら、俊明はあの日を述懐する。
『殺す』なんて、声に出さなくて本当に良かった。十二神将の召喚が不発に終わったあの当時の絶望感とストレスは、ふと思い出す度に髪の毛全部が抜け落ちてしまうかの錯覚に襲われるのだ。
「……”術”が一切使えぬ、そんな世界に、何故俊明どのが喚ばれたのでござろうか?」
”闇世界”で、天地俊明の名を知らぬ者はいない。それほどまでに陰陽師としての腕は超一流の彼だが、その特異な術の一切が使えぬとあっては、多少勘の良いちょっと動ける一般人。その程度の存在でしかない。
その様な者を喚んだ所で、一体何の役に立つのだというのか? その武蔵の指摘は正しい。俊明は苦笑いしながらも頷いた。
「簡単な話だよ、武蔵さん。この召喚陣は、落し穴と変わんないのさ。異界に強引に穴を開けて、繋げるだけの、な……」
「……ナニソレ? こーんなに複雑で高度な術式がみっちりの魔法陣が、本当にそれだけの機能しか持っていないっていうの?」
「そうさ。宇宙も、その理すらも異なる世界を繋げる。そんな”技術”なんぞ、神様じゃない、ただの人間の手にゃ持て余すってこった。しかもこれ、一方通行だかんな? 落ちたら、そこでおしまい。もう二度と戻れない」
余りにも何気無く軽い口調だったが、俊明の口から出たそれは、二人には途轍もなく重過ぎた。
無作為、無差別に強引に異世界に”拉致”された挙げ句、もう二度と元の世界には戻れない。その”事実”を軽く話せる様になるまでに、目の前で飄々と佇む魂の長兄は、一体どれほどの想いをあの世界に捨ててきたというのだろうか。二人はどうしようもない怒りと共に、底知れぬ寒気を覚えた。
「……ま。だから、こんなモノのがこの世界にも在るってなぁ、俺としてはちょっと看過できない訳だが……」
「然り。ですが、どうやらこの陣、鳴門の烏天狗共は、大事にしておる様子にて。祈どの達がこの集落に参った同じ時節に、その様な仕儀、些か問題がござらぬか?」
「そうね。まず間違い無く、イノリ達に疑いが掛かる、でしょうね……」
魔法陣が布かれたこの場は、洞窟の内部だ。それも、結界が幾重にも張り巡らされた、その奥深くである。ここならば魔法陣が風雨に晒され、風化する危険は屋外よりも遙かに低い筈だ。
……だが、態々、魔法陣一つにそんな細やかな配慮をするとは。
考えてみたらおかしな話だ。集落に住まう者達が、風雨に晒され命の危険をも顧みない、そんな部族が、だ。
どうやら状態保存の術、その類いは鳴門衆の間には伝わってはいない様だ。魔法陣のそこかしこに補修の後が見て取れたのだ。
「……うん? ちょっと待って。これ……」
「どうした?」
「……無理に貴方が壊すまでもないわ。だってこれ、とうに寿命が尽きてしまっているもの」
マグナリアの眼は、マナを捉える事のできる特別製だ。その眼を通して見た”門”には、すでに欠片のマナも残されてはいなかったのだ。
「マナなんて、後から継ぎ足せば良い筈だろ?」
「そうね。確かに膨大な生命力を費やしてマナを送り込めば、大概の魔法陣は蘇る。でも、それは魔術式の刻印が正常な状態で保たれていれば……の話よ」
「……然るにこの陣は、正常ではござらぬと?」
「そっ。魔術式を刻む為には、特殊な素材が必要になるのよ。補修に使ったのは、似た色をしただけの、ただの塗料ね。だからこの魔法陣は、もうすでに死んでしまっているの」
魔術の発動、その一瞬だけの魔法陣であれば、マナを直接空間に刻み付けてしまえば良い。だが、後世にも残る”門”の様な魔法陣を描く為には、マナを魔術式の”回路”内部に留め続けねばならない。
その為の特殊素材とは、マグナリア達も確保する為に難儀した、あのミスリルの同系金属でもあるスターダストサンドだ。その加工法も恐らくは伝わっていない筈だとマグナリアは言う。
「はぁ。もしこの事実を知ってしまったら、ここの人達はどう思うのかしら? ちょっと怖いわね……」
重々しくそう口にした言葉とは裏腹に、マグナリアはとても良い笑顔を浮かべていた。
(……やはり、マグナリアどのが一番の邪悪かと、拙者は思うのでござるが?)
(しっ。そう思ったとしても絶対に口にしちゃダメだぜ、武蔵さん……)
……消されちまうかんな?
魂の妹に隠れて、頷き合う二人だった。
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