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第216話 天狗の領域



「いやぁ、今日も晴れてくれて助かったわいな」


弥勒衆(みろくしゅう)筆頭、信楽(しがらき)百合音(ゆりね)は、雪の様に白い狼に跨がり晴天を仰いだ。


日の光は偉大だ。


うず高く降り積もり、その勢力を誇った氷の結晶達は、太陽の光に灼かれ、徐々にその支配域を失っていたのだ。


融けた水によって、未だ街道は所々ぬかるんではいたが、それでも雪上の行軍を強行するよりかは遙かにマシだ。祈達は、”鳴門”に在る八咫衆やたしゅうの集落へ向けて、着実に歩を進めた。


狸の特色を色濃く持つ獣人は、総じて身体の()()()が弱く、小さい。


その中でも、特に百合音の身体は小さかった。身長が四尺(約120cm)にギリギリ届かない祈よりも、である。


如何に百合音の体格が、弥勒の中でも特に小柄であるとはいえ、それを背に乗せたまま平然としているこの狼は異様であった。


「うん。”白狼(はくろ)”は、特別じゃからの。あちしにとって、無二の友達なのだ」


聞けば元から白狼は、弥勒が誇る使役術の影響下に無い特別な個体なのだという。つまりは、白狼が自ら望んで、百合音の下についているという事だ。


「わたしも、おおかみさんにのってみたい…」


労る様に白狼の首筋の豊かな冬毛をモフモフと撫でる百合音の様子を見て、指を咥えながら羨望の眼差しを(しず)は向けた。


「静、美美(メイメイ)の背中じゃ、ダメなのカ?」


死国(しこく)の地に上陸してからというもの、半ば”静専用”になりかけている美龍(メイロン)は、悲しげな瞳を主の愛娘へと向けた。


『静、ワタシ撫で撫で待ってるヨー』


”眼は口ほどに物を言う”……まるでそれを体現しているかの様に。


「ううん。メーメーはいつもがんばってるからえらいよー。でも、わたしもゆりねちんといっしょに、おおかみさんモフモフしてみたいっ」


美龍の大きな背中は暖かくて安心できる。でも、それとこれとモフモフは別なのだ。そう静は力強く主張する。


「ほんに、こればかりは仕方が無い。モフモフは正義、じゃからのぉ。じゃが、この白狼。特別とはいえ、その背はもうあちしだけでいっぱいじゃわいな」


まるで勝ち誇ったかの様に、百合音は狼上で踏ん反り返り、静に向けべろべろと舌を出してみせた。


やれ一族の筆頭だ。等と日頃から威張ってはいるが、どうやらその精神年齢は、尾噛家の養女とさほど差は無いらしい。それどころか、ひょっとしなくとも、それよりも下かも知れない。


童女(わらしめ)のちょっとした他愛ない求めに対し、まさか、意地悪で返すなどとは……そんな情けない義妹の振る舞いを目の当たりにし、八尋(やひろ)栄子(えいこ)は疲れた様に首を左右に振る。


「これ、百合音。その様な意地悪を申すでない。静様を白狼に乗せて差し上げろ!」


そして、そんな童女と同じ土俵に立って張り合う大人げなき”弥勒衆筆頭”を叱りつけた。


「わかったよ、栄子ちん……」


義姉のあまりの剣幕に驚いて百合音は頷いてはみせたが、不満を顔いっぱいに表してしいた。


帝国からの使者である尾噛祈の強大な能力(ちから)の前に、為す術も無く屈してしまったとはいえ、百合音にも弥勒を束ねる”自尊心(プライド)”が心の奥底には未だ燻っている。帝国の、それこそ”尾噛”の関係者相手にマウントが獲れる機会があるならば、それを逃さず徹底的にやってやりたい。そう思っていたのだ。


だが、どうやら義姉は、それを絶対に赦さないらしい。百合音は口を尖らせたまま黙り込んだ。


白狼はそんな”背中の友人”の心情を想ってはいても、『流石にこれはどうなんだ?』と、まるで百合音を責めるかの様に、低く唸る様に喉を鳴らした。


「……解っておるわいな。あちしが大人げなかったってのは……でも……ぬうぅぅ」


周りに”味方”が皆無。そんな四面楚歌の状況が、小さな百合音の心をあっさりと折った。


頬を限界いっぱいに膨らませながらも、百合音は白狼を地に伏せさせてから、無言のまま静を手招きした。


「……え? ゆりねちん、いい、の?」


百合音が叱りつけられたのは、自分がふと漏らした我が儘のせいだ。黙っていれば、言葉にしなければ。誰も困らなかったというのに。


静は自身の何気無い言葉で人が傷ついた、その帰結を目の当たりにし、深い反省と共に、酷く後悔していた。


だから、手招きする百合音の行動を、静は信じる事ができなかった。彼女は絶対に怒っている。そう思ったから。


「……モフモフは、正義。じゃからの……」


どこか泣き笑いの様な、奇妙に歪んだ無理矢理な笑顔を、百合音は作り出した。


栄子ちんの言う通り、意地悪が過ぎた。


白狼の言う通り、大人げが無さ過ぎた。


未だ拭いきれぬ”恨み節”が残る”尾噛”の関係者だとはいえ、この童女には、何の罪咎も無いのだ。


「……わあぁぁ。モフモフだぁ……」


白狼の全身を覆う白き毛の質は、少しだけ固い。中に手を差し入れれば、その形の通りのまま、もこもこと沈む様子に静は感嘆の声を挙げた。


冬の厳しい寒さを凌ぐ為にこさえた、天然の防寒具だ。埋没した手は、白狼の”熱”に温められ少しだけ汗ばんでくる。静は手を抜き、白狼にお礼を言いながら、雪の様な純白の毛皮を優しく撫でた。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



八咫衆の持つ土地は、海魔(かいま)や弥勒とは比較できない程に、広大な支配域を誇る。


だが、その大半が山野であり、凡そ産業に適していない死国の地に在って、利用できる面積はそこまで大きくはない。


「不思議なことにの、奴らは荒れた山野を、そのまま生活の場にしておる。前に一度妾は見た事があるが、掘っ立て小屋が点在するだけの、”集落”とは呼べぬお粗末な代物じゃ」


先代筆頭である祖母から、次代の”海魔”の指名を受ける前に、栄子は一度だけ鳴門の長が居るという”集落”を訪れた事があるのだという。


「当時は。我が”海魔”も百合音の”弥勒”も、今ほどの力は無かったからの。いつ滅んでも、さして不思議は無かった程じゃ。吹けば、飛ぶ。じゃから、妾は八咫衆…”天狗”に合力を願ったのじゃ」


その答えが”否”。


それどころか、『時間の無駄だ』とすら言われ、問答無用で追い返されたのだという。栄子は苦々しく口角の片方を釣り上げた。


「”海魔”も”弥勒”も、あの当時のそれとは違う。今なら、奴らも話を聞いてくれようて……」


「……うーん。やっぱり美美はそこまでして、その”天狗さん”達と話をしなきゃいけないって、全然思えないんだよネー?」


「ふむ。そこな竜の人の言う事も、あちしは判らんでもないがの。じゃが、味方は少しでも多い方が良かろうて?」


百合音の言葉は確かに尤もな意見だ。美龍も頷く。


「確かにその通りヨー。味方は多い方が嬉しいネ。でも、無理に味方に引き入れようとして、失敗したら元も子も無いネ。敵を増やす結果にもなりかねないヨー」


美龍は、海魔の集落で栄子から聞かされた『周囲に感心を持たず、自らを追い込む激しい修練をただひたすらに続けている』という、その情報が根底にある為、八咫との接触には懐疑的だ。


如何に彼らの妖術が優れていようと、無理に接触を焦って、その矛先がこちらに向く次第となってしまっては、面白く無いのだ。


「まぁ、結局はどっちも”もしも”の話だかんね? もうさ、そうなったらそうなった。だよ。ここまで来たら、やるしかないんじゃないかな?」


祈はどちらかと言うと、美龍寄りの意見なのだが、死国の内情をより理解しているのは、この中では栄子なのだ。その意見を尊重してゆかねば、そもそもが立ち行かなくなる。


「……そだネ、主さまの言う通りヨ。美美、ちょっと意地になりかけてたネ」


「いやいや。妾も貴公の言いたい事は承知しておる。正直に言えば、迷ってはおるのじゃ……」


ここから先は、天狗の棲む領域だ。


激しい修練の末、様々な妖術を習得したという、八咫の支配域。


鬱蒼とした森の中に、ぽっかりと開いた口。そこに向けて”獣道”と表現した方が良いのか……街道と呼ぶには、少々心許ない細い細い、粗末な一筋の道が伸びていた。


突入前に、過度の緊張に耐えかねた海魔と弥勒の兵達が、一斉にごくりと唾を飲み込んだ。


(……どうも監視の眼が、あるみたいだけれど……?)


(左様にござるな。数は3。今のところ敵意は無い様子でござるが……さて)


今は敵意が無くとも、警戒だけはした方が良さそうだ。


祈は周囲に意識を薄く拡大し、有事に備える事にした。



誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。

評価、ブクマいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

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