第213話 脳筋共の遭遇戦
「なるほど。ここの式は、そういう意味があるんかいな……」
「弥勒の術式にダメ出しをしたのは、そういう事なんだ。その結果どうなったのかは、私の口から言わなくても、もう解るよね?」
弥勒衆の誇る使役術には、重大な欠陥があった。
術式の中には、術の持続、それに関する保護の類い”保険”の一切が含まれていなかった。
祈は初見でそれを見抜くと、弥勒の意思を挫く為に、情け容赦無く目の前で従獣術を書き換え乗っ取ってやった。
嗾けた獣達の支配権を完全に奪われ、逆に喉元に突きつけられたのだ。祈の言わんとする事を、弥勒衆筆頭の信楽百合音は、すでに嫌という程に思い知らされている。首を何度も上下に振る事しかできなかった。
「……だから、本当はね」
紅玉色の瞳の中に見た憤怒の炎を、百合音は今の娘に感じる事は無かった。
穏やかな理性の光を湛えた視線を向けられ、娘の言葉の続きを促すかの様にこくりと百合音は頷く。
「この術、もう二度と使っちゃダメだよ……って。そう言うつもりだったんだ」
使役術の危険性を、百合音は祈から何度も聞かされた。
獣の支配権を失う事が、そのまま敵の戦力増強に繋がる点。
それは今回の事でもう対策済みの筈だが、これは厭くまでもその場で書き換えられる事を防ぐ程度の”保険”なのだと祈は言う。瞬間で発動し消える攻撃術とは違い、効果の持続する類いの術は、常に解析される危険が伴う。多少術式が複雑になっただけで、絶対ではないのだ。
もし使役術の全貌が解析され、敵の手に渡ってしまった場合を想定し、その対策を常に頭の片隅に置かねばならぬ点。
狸の獣人の身体特徴は、総じて小さく、非力だ。肉体的不利を補う為の”戦力”を、弥勒は従獣術に頼った。だが、もし敵もこれを使用した場合はどうなるのか? 戦略とは、常に最悪の場合をも想定していかねばならない。百合音は頭を抱えた。
もし仮に、この術を人間に使用したらどうなるのか?
先代の弥勒の筆頭、百合音の祖母が試したという記録が残っているが、効果無しだったと記述が在った。
だが、祈はその話に静かに首を横に振った。
「如何に野の獣といえど、彼らにも、ちゃんと生きる”意思”はあるんだ。それを、この術はねじ曲げ支配する。当然、人間にも同じ効果が望める筈なんだ」
確かに人間の方が、野の獣より”自我”は強いし、醜く生き汚い。その分だけ、術の効果は薄くなるだろう。
だが、精神支配の術の効果は、確実に”自我”の内に食い込み蝕んでいく。その帰結は、摩耗し擦り切れた末の、精神の死だ。
「……私が今一番恐れているのは、この術を人に向けて放つ者が出る。それなんだ。だから、この術は絶対に使っちゃダメって、そう言うつもりだったんだ」
だけれど、背に腹は変えられない。
もしかしたら、先代の筆頭は、使役術を人に向けて使わせない様に、敢えて『効果無し』と記録を残したのかも知れない。祈は、そう思いたかった。
弥勒の集落の者達の身体のつくりが、白兵戦に向かない事は百も承知だ。
幸い狸の獣人は、狐と同じ位かそれ以上の良質で多くの生命力を持つ。式神の技術を伝えれば、数と肉体的不利を補って余り在る筈だ。
だが、鉄兵の式神では、拠点防衛の様な、その場その場で多岐に渡るif構文を含む判断を強いる煩雑な命令を処理する事はできない。
だからと言って、例え味方であっても”護鬼”クラスの式神を与えるつもりは、祈には無い。
それ一体だけで、恐らくはヒトガタに与えた生命力が完全に尽きる前に、集落の皆殺しができてしまうからだ。鬼クラスとは、それほどの”戦力”を有する。
(確かに、言われてみりゃ丁度”中間”の戦力にあたる式って、いねぇんだよなぁ…両極端っつーか)
上は十二神将に代表される文字通りの”神”クラス。下は魑魅魍魎が跋扈する”雑霊”。だが、中間である筈の”鬼”ですら、人の手には持て余す。だからなのだろうか? 呪術の”理”、その系統一切を使えない世界が多いのは。俊明は何となく納得できた気がした。
(一度覚えちゃえば、この術体系って本当に便利過ぎるからね。あまり高度な術は、私も伝えたくないなぁ……)
戦とは、自身の命もかかっているからこそギリギリで成り立つ人類の”生命活動”だと、祈は考えている。戦いを忘れる事ができない以上、人間とは業が深い生き物なのだ。
式神とは、仮初めの肉体に、仮初めの魂を吹き込む、謂わば”道具”に過ぎない。
そんな”道具”が、勝手に動いて命を根こそぎ刈り取るのだ。しかも、一方的に。それが式神を戦場に持ち込んだ場合の、結果である。そこに命のやり取りは、一切存在しない。やられる方にとっては、理不尽の極みでしかない。
どんな難しい技術であっても、使い続ければ、当然何れは流出する。
祈が恐れるのは、式神だけで戦が成り立ってしまう未来だ。
軍の消耗は式のみ。だが、そこに巻き込まれる民草は、反抗する事もできず、もし仮に反抗したとて、敵軍に与えられる損害は所詮ヒトガタ一枚だ。命を賭けるには、余りにも割に合わない。
(俺達が前も言った筈だが、お前がそこまで気にしても仕方が無いぞ? どんな技術でも、人間は戦いに転用してきたんだ。いずれより強い力を、人類は戦いに使うに決まってる)
(……それは、解っているつもり、なんだけど……)
でも、できればその引き金が、自分の手ではありたくない。
これは、人類史に対しての、僅かながらの反抗。もしくは、ただの責任逃れ。その程度でしかないのだと、祈は自覚をしている。
「……それでも、私は……」
「うん? 祈ちゃま、どうかしたかえ?」
「ううん。なんでもないよ」
より強大な破壊の力を持つ者だからこその、これは責任感なんだと思いたい。できれば、今この瞬間だけでも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おっし。手前ぇら、間違っても、絶対に奴の正面にゃ立つなよっ! 死ぬぞ?!」
牙狼鋼の号の下、兵士達は訓練の通りに見事な動きを見せる。
鉄の鎖で幾重にも縛られ動きを封じられた魔猪が、抗議の雄叫びを帝国兵に向ける。だが、鋼はそれを黙殺した。折角の食糧を逃がすつもりは、端から無いのだから。
「んじゃ、トドメといくぞ。的は動けないんだから、手前ぇら、しっかり狙えよー」
外したら腕立て、腹筋、膝折りの筋肉鍛錬の全部が待っている以上、兵達は焦らず目の前の魔物の急所に向け、しっかり狙いを定める。
「撃てっ!」
必殺の鏃が、猪の形をした大型魔物に向け一斉に大雨の如く降り注いだ。
魔物の断末魔は、そう長くは続かなかった。全身に矢を浴びハリネズミの様になった大型魔物の骸は、直ぐ様兵達の手によって、血と内腑を取り出され食肉の体裁を整えられる羽目になった。
兵達は雄叫びを挙げ、自身の手によって得られた”戦果”を目の当たりにし、何時になく興奮していた。今までならば、幾人かの戦友を失っていてもおかしくはない、それほどの強大な相手だったというのに。
「上手く行った。この調子で、できりゃあと二頭は欲しい所だな」
「ですな。それだけの量があれば、集落の人達の腹にも、充分に行き渡らせられましょう」
副官の鉄も、今の成果に満足していた。
尾噛の姫のもたらした”美味なる魔物肉”お陰で、兵士達の”食い意地”が、こうして良い方向に働いた事が、今正に証明されたのだ。
手強い筈の大型魔物”魔猪”の順調な討伐、それでいて兵の損耗は一切無し。指揮官として、これ以上望むべくも無い”戦果”だ。
「尾噛の嬢ちゃんにゃ、ホント頭が上がらねぇぜ。この肉の美味さを知ったからこそ、アイツ等、冷静に対処したんだからな」
恐怖に足が竦み、半歩動作が遅れたが為、死ぬ。
そんな刹那の誤りによって、人の生死その瞬間が分かれる事は、戦場では多々在るつまらない話だ。
だが、大型魔物相手にそんな”ヘマ”をする奴は、今の帝国軍には居ない。大型魔物の肉は美味い。その事実を、兵達は知っているからだ。
帝国兵にとって、大型魔物とは極上の”食糧”だ。食糧如きに恐怖する者は、当然居る筈も無い。
だが、食糧如きに死ぬ様な間抜けには、絶対になりたくはない。その為、帝国兵達は、大型魔物という名の食糧相手には、かつてない程の集中力を示す。それが、今の魔猪相手に見せた丁寧な立ち回りに現れたのだ。
「しかし我ら、本当に食い意地だけで生きておる様なモンですなぁ……」
「人の”欲求”ってなぁ、そんなんで良いんだよ。だからこそ、それを純粋に出せる奴は、本当に強いんだ」
それに、変に理屈を捏ね続ける様な奴より、素直に出す奴の方が好感が持てる。
鋼は面倒臭い事を特に嫌う性格なので、その傾向は顕著だ。弟である鉄も似た様なものなので、苦笑いするしかできなかった。
「……兵を訓練し、舌と腹を満たしつつ、ついでに敵の意思をも挫く。ホント兄者は、欲張りな性格してやがンなぁ……」
今回の作戦行動、鉄は兄の意図をほぼ見抜いていた。
大量の魔猪の肉を集落に持ち帰り、里の者達に配る。それだけで、集落に隠れる”草”に帝国兵の練度と強さを教えてやる事ができる。その能力を測り知った草は、さてどういう反応をするだろうか? それを想像するだけで、鉄は痛快だった。
「そらぁな。ちょっとくらい働いてやらんと、尾噛の嬢ちゃんに後で何て言われっか、解んねーしなぁ……」
「……だなぁ」
今は弥勒の里に在るだろう、尾噛の女当主の顔を思い浮かべ兄弟は少しだけげんなりとする。
あの可憐な顔に似合わず、結構痛烈な皮肉が飛んでくるのだから。精神に負うダメージは割かし深いのだ。
「伝令っ! ここより西に敵影アリ。魔物では無い。繰り返します。西に敵影アリ。魔物では無い。以上ですっ!」
鋼と鉄の間に、戦慄が走った。
一応は想定していたが、こういう時に限って、”凶兆”は訪れる。
「しゃーねぇ。遭遇戦ってなぁ、俺ぁ好きじゃねぇが……」
「……やるしか、ありませんな」
年が変わって一発目の戦だ。
気負う必要は無いが、ただ戦うだけで済ませてはならない。死国攻略を行う上で、今後の帝国軍の趨勢を占う、そんな重要な戦になる筈である。
鋼はひび割れた下唇を舐めて潤いを足し、気合いを入れ直した。
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