第200話 で、どうなのだ?
お待たせしました。難産でした…
200話の記念がこんな話で申し訳無い。
「…で、己が満足できる答えは持って来れたんだろうな、尾噛よ?」
「そのつもりでございます。でなければ、どうして貴方様の御前に立てましょうや?」
(……なんてねーっ?! 全っ然、自信なんかねぇよコンチキショー!)
口では絶対に勝てない。それを嫌と言う程に解らされてしまったせいで、祈は光秀に対し、いつの間にやら心の内に苦手意識が定着していた。
光秀の顔を見ただけで妙に緊張し、今にも口から心臓が飛び出てくるのではないかというくらいに早鐘を打つかの様な鼓動を繰り返す有り様なのだ。
(ああ、もう駄目。私死にそう…)
(ホントお前さん、強く出れない奴相手にすっと、トコトン弱いよなぁ…)
(これを契機に、精神修行の時間を増やすべきでござろうか?)
(あー、あたしそっちの方の修行だいきらぁーい)
(ああ、お前さんは絶対そうだろうな…)
(マグナリア殿は…拙者は何とも…)
(人の事言えないけど、マグにゃんはさぁ…)
(あによー? 皆して言いたい事あるならちゃんと口にしなさいよー)
ついつい後ろに控えるの守護霊達の野次に応えて何時の間にやら雑談に混じってしまっていたことに祈は後悔した。こんな事ができるのは、この世界で恐らく祈只一人だけだろう。だが、所詮これも一種の現実逃避でしかない。
「…どうした、尾噛よ?」
室内に入るなり、扉の前で固まったまま佇む祈を訝しげに光秀は眺め、ついには声を掛けた。
(先日は流石に言い過ぎたのやも知れぬな…ここまで萎縮させてしまうとは、己の不徳故か…)
表情をちらと視ただけで、彼女の緊張度合いは手に取る様にすぐ解り、光秀は少しだけ後悔した。
力は在れど言は無く、知識は在れどさほど経験の無い娘ではこの程度のものであろう事は、光秀も重々理解していたつもりだったのだが、どうやらまだまだ認識が甘かったらしい。つまりは、やり過ぎたということだ。
「あ。ああ、申し訳ありません…それでは、失礼いたします」
光秀に勧められるまま、祈は長椅子に腰を掛けた。気分は完全に判決を待つ罪人のそれだ。
(あー、ホント大丈夫なのカナー? 牙狼様達はこれで良いって仰っていたけれど…)
(ま、やるだけやってみりゃ良いだろ。言うだけならタダだ)
「…茶は出んぞ。己も忙しい身だからの」
光秀は自身も祈と向かい合う様に椅子に腰掛け、恐らくは無意識の所作だろう胃の辺りを軽くさすった。
(…あ、やっぱり胃を悪くしてるみたい。だから言ったのに…)
よくよく検めて視てみると、光秀の血色はあまり良い状態では無さそうに祈の目には映った。これ自体は光秀本人の自業自得でしかないのだが、それでも無事に倉敷の街で新年の宴を迎えられた事に万感の想いが彼の中にはあったのかも知れない。そうでなくば、こうして酒で羽目を外す様なヘマを、そう何度も繰り返す様な人間ではないのだから。
「結構でございます。では早速…」
「おう。早うせぃ」
祈は心を鎮める為に、大きく深呼吸をする。牙狼兄弟は太鼓判を捺してはくれたが、厭くまでもこれは祈自身の戦いだ。自分の言葉で語り、自分の心情を全て光秀に示さねば解決は無いのだ。
「まずは、光秀様にお詫びを。此度の一件、わたくしが間違っておりました」
「…ほぅ?」
祈の言葉が意外だったのか、光秀は片眉を吊り上げる。
「ええ。わたくしめの思い上がりでございました…」
目を瞑り、薄い胸に手を当てて、まるで自分に言い聞かせる様に祈は言葉を紡いだ。
「私は元より帝国に身を置く者。今は他家となりはしましたが、武門”尾噛”の名を許された存在。帝国の庇護を離れ、単身他国に赴くなぞあってはならぬ事でございます」
祈はここまで一息に言葉を並べ、ちらと光秀の顔を見た。光秀が表情だけで祈に先を促すのを確認し、もう一度息を吐く。
「ですので、私はもう一度お願いをしに伺いました。死国攻略の兵を、私にお与え下さい」
長椅子から立ち上がり、祈は光秀に対し深く頭を垂れた。
「海魔衆との約定を果たす機会を、なにとぞ、この尾噛祈にくださいます様、お願い申し上げまする…」
きつく編み込まれた白髪の後頭部をしばし眺め、光秀は深く息を吐いた。
「…ま、及第点には程遠いが、良い。許そう」
光秀はもう一度椅子に座る様に祈に促した。
「ここから先は長くなるか。やはり茶は出してやろう」
「でしたら、私が…」
「よい。己も茶は嗜む。偶には部下に披露してやらんと、の?」
(ああ。この人は、こんな顔もするんだ…)
この時、祈は初めて光秀の笑顔を見た気がした。
◇◆◇
祈の前に出てきたのは、帝がハマり周囲に薦めて回った例の焙じ茶だった。
この世で最も高貴たる現人神がハマっただけに、確かにモノは超一級品だ。だが、問題はこの香気が鼻を擽るだけで嫌でもあの顔が浮かんでくる点だ。帝国に列せられる貴族達にとって、この焙じ茶はいくら美味しかったとしても、正直に言ってしまえば出されて全然嬉しくない逸品でもある。
「今はこれしか無かった…許せ」
苦虫を噛み締めた様な表情を浮かべ、光秀はすまなそうに祈へ湯飲みを差し出した。祈は重職に就く貴族の中でも、特に帝や鳳翔と顔を合わせる機会が多い。であれば例の焙じ茶は、彼女にとって嬉しくない逸品であろう事が馬鹿でも解ろうというものだ。
「いいえ、そんなこと…」
…あるけれど。とは、祈も正直に言える訳は無く。
そもそも、仮にも皇族の手ずから出された茶に文句なぞ出せる訳は無い。流石にそこまで無礼でも不敬でもない。
胃の辺りを撫でながら、光秀は湯飲みを傾ける。中身は恐らく白湯だろうが、それでも祈の湯飲みから立ち上る焙じ茶の香気は、荒れた胃を刺激するには充分過ぎる筈だ。
「…さて。まずは、これだけははっきりさせておかねばな。己は以前話した通りの理由で、死国の攻略には反対だ」
費用対効果の面で言えば、確かにこの時期での死国攻略は、帝国にとって多大な負担であるのは間違い無い。何れは取りかからねばならぬ事業となるだろうが、今すぐに行わねばならぬ理由は何処にも無いのだと、光秀は指摘する。
「光秀様は、私の死国攻略に反対のご意志を示されましたが、それでも臣の立場を慮ってこの席を設けていただけた事に、臣は深くご御礼を申し上げまする」
祈はもう一度光秀に深く頭を下げた。そもそもこの一件は、光秀の却下の一言で終わってもおかしくは無い話である。
だが、祈は海魔衆に頷いてしまった。帝国の軍部を司る第三位に在る人間が頷いてしまった以上、却下したのだからとそのまま捨て置く訳にもいかなくなった所に、今回の問題がある。
「己も立場上気にするなとは言えぬが…ま、そこは良い。貴様の立場も解る故に、な。だが、此は貴様一人だけで責を負える話ではない。である以上、己を、帝国を頼れ。結局はそういう話だったのだ…」
他国への侵略となる以上、一貴族個人の仕業だから…で、済む話では当然ない。
一国を任された立場上、光秀は此に反対を唱えねばならぬ。だが、そこで簡単に引き下がる様では駄目だ。ましてや祈の様に『だったら個人の力だけでやってやんよ』などと、捻くれた答えを出してくる輩は完全に論外である。
光秀は湯飲みを両手で転がしながら、そんな論外の斜め下過ぎる回答を自信満々に持って来た竜の娘に向け、苦笑いを浮かべた。
「…誠に、お恥ずかしい限りで、ございます…」
「ま、恐らく貴様ならやり遂げてしまうのだろうが、の。だが、それでは駄目なのだ」
帝国に名を連ねる貴族である以上、祈は常に帝国の庇護下に在らねばならない。例えそれによって国が不利益を被ろうとも、全ての責と名誉は帝に帰順するのだから、此は絶対のものである。
「…だから、己は貴様の覚悟を知りたかった。確かに今は帝国に不利益だろう択ではあるが、長期的に見れば益は在るのだ」
…出来れば、貴様の口からその”益”を示して欲しかったのだがな。そう光秀は零す。
「まぁ、良い。海魔衆の願い、貴様の力で叶えて来るがよい。責任は己が取ってやる。本国に帰還予定だった牙狼の部隊と、魔導士達から半分を持っていけ。倉敷から岡山の間は、その程度の戦力でも充分に回る」
「光秀様っ…」
光秀からここまでの言を賜るとは全く思っていなかった祈は、驚きと喜びと疑念がない交ぜとなった何とも表現のし難い表情を浮かべた。だが、間違い無く直属の上司が、祈の願いを全て聞き入れてくれた証なのだ。
「おお、やったなー嬢ちゃんっ! 光秀様よぉ、アンタも立派な領主だな。感服したぜぇ」
「流石光秀様はご慧眼であらせられる。この牙狼鉄、一生付いていきますぞっ!」
有り難うございます。
そう祈が礼をする間も無く、牙狼兄弟が酒臭い息を吐き散らしながら光秀の執務室の扉を蹴破るかの勢いでに闖入してきた。
鋼は気安く光秀の肩に右腕を回し、鉄は後背から光秀をしきりに囃し立てた。
「うっ…臭っ! 貴様ら、こんな真っ昼間から酒なんぞをっ…早う去ねっ! うっぷ…おえぇぇぇ」
狼の獣人であるおっさん二人の口から放たれる強烈な酒精の臭いに、弱り切った光秀の胃は呆気なく降参の意を示した。いわゆる胃液の逆流である。
「うへぇっ! 汚ぁっ。い、いきなり吐くんじゃねーよ、この馬鹿ちんがっ」
「おおう、申し訳ありませぬ。やはりこの牙狼鉄、一生は付いていけませぬわ…」
「おろろろろろ…きっ、きさま、ら、あとでおぼえておけよぉぉぉろろろろろろ…」
「うあ。み、光秀さまぁ…」
酒精の臭いと、胃液のすっぱい臭いが混ざり合った室内は、今正に異臭と共に混沌の様相を呈していた。
(まだちゃんとした話、出来てないんだけれどなぁ!)
これはまだまだ時間が掛かりそうだ。脳内で八尋栄子に何度も頭を下げながら、祈は外に控えている女房に向け、部屋片付けるようお願いをした。
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