第198話 牙狼兄弟
更新開いてしまいましたがお待たせしました。
「はぁ…海魔の八尋様には、何て言えば良いんだろう?」
「…それは、お前が考えなきゃ駄目な奴だぞ…」
そんな事まで俺に聞くんじゃねーよ。そう冷たく俊明は突き放した。
祈が栄子の願いを安請け合いしてしまっての現在がある。これは祈自身の手で解決せねばならない話だ。
祈単身での死国入りの案を、直属の上司でもある光秀によって却下されてしまった以上、その決定を覆す訳には絶対にいかない。そこが宮仕えの辛い所だ。
「行っちゃ駄目って怒られちゃったんで、行けなくなりました。ゴメンね? …なんて言える訳ないよ…」
「…はぁ。だから俺がいっつも口を酸っぱくして言ってるだろぉ? ちったぁ考えろってよ」
後退著しくつるりとテカった額をピタピタと軽く四本の指の腹で叩きながら、俊明は嘆息する。
育ての娘は、全てにおいて優秀過ぎた。過ぎるが故に、事態の見積もりが少々甘くなるきらいがある。そうしては、こうしていつも盛大に溜息を吐く羽目になるのだ。
「…ちゃんと考えたつもりだったんだけど、なぁ?」
「お前さんの場合は、前提条件からすでに間違っているからなぁ…」
”自身の持つ強大な力を背景に、全てをゴリ押しする”というトンデモ前提で物事を考える時点で、常人には理解ができない。できる訳がない。自身の戦力を正確に把握しているのは良い事なのだろうが、それを他人に話した所で理解できるかと問われれば、当然否だ。
それを俊明は何度か指摘しているのだが、当の本人には一向に改善の兆しが無い。その時点ですでに見込みは無いのだろう。
「それはともかく。どう伝えれば良いのか解らないからって、狐女への報告を後回しにすんなよ? 長引かせればそれだけややこしくなるんだかんな」
祈の快諾もあってか、栄子の機嫌はすこぶる良かった。その状況を土壇場でひっくり返されては、あまりの急転直下の事態に栄子の嘆きは深く激しいものとなるのは明白である。早めに事情を説明し、協力を仰ぐべきなのは言うまでも無い。
「…だよねー。ああ、ホントどうしよう…」
幾重にも固く纏め編み込んだ頭を抱え、祈は長い廊下で一人煩悶する。だからこそ、祈は思い悩むのだ。どの口で協力要請ができるというのか。
今の祈は帝国軍第三位の高い地位にある。そして、倉敷・鳥取間に展開する統治軍の中では最上位だ。その地位に在る者が私的な場所での口約束であるとはいえ、一度首肯した話を簡単に翻す訳には絶対にいかない。対外的に体裁が悪いだけではなく、これは信用問題に関わる話なのだ。
栄子は明日の昼には倉敷の港から出て、海魔の本拠地である”高松”に戻る予定になっている。それまでに問題を解決せねばならない。少なくとも、栄子との約束を履行する形には。
(ホント、何処でこいつの育て方間違ったかなぁ…?)
(…この問題は、俊明どのだけでなく拙者達全員で考えねばならぬ事でござろうて)
(あによー? あたしも悪いっていうの?)
((…一番の原因だと、思うんだが(でござる))
「おう、尾噛の嬢ちゃん。そんな所で何モジモジしてンだい?」
「…鋼様、鉄様…」
統治部の廊下で頭を抱え一人悶絶する小娘の姿があまりにも珍奇に映ったのか、牙狼兄弟が祈に話かけてきた。
◇◆◇
牙狼兄弟の勧められるままに、祈は彼らの部屋に招かれた。
帝国に並ぶ者無しとの評判通り、酒豪である彼らの部屋には、一体何処から持ち込んだのか酒の入った瓶が所狭しと置かれていた。
近く本国へと帰還する予定の筈の彼らがこの酒をどう処分するつもりなのだろうか…まさか全て呑みきるつもりなのか? 想像するだけで祈は胃の辺りがムカムカしてきた。
「…嬢ちゃんよぉ…もうちょっと、考えようや…」
「ううう…」
今までの経緯を包み隠さず話してみた所、兄貴の方に盛大に呆れられてしまった。
地位が上がれば、その行動と発言には責任という名の重圧が重くのし掛かって来る。”四天王”として生きてきた鋼に言わせれば、今回の祈の発言は”考え無し”の結果にしか映らなかったのだ。
「お前さんの親父の垰は、そんな時絶対に確約しなかった。充分に根回しをして、結果が出るまでは絶対にな。地位在る者の言葉は重い。嬢ちゃんはそれを自覚してねぇからこんな事になるんだぞ?」
「…はい。鋼様の仰る通りでございます…」
目上の人間からほぼ同じ内容の説教を何度も喰らっては、祈に反論などできる筈も無かった。
ふと振り返ってみれば、この様な事を言い含められた事など祈の人生において一度も無かった。世の常識としてちゃんと頭の中に入れ理解していたつもりでいても、所詮つもりでしかなかったという事だ。
だからこそ、余計に祈は凹んでいるのだが。
「いやいや、兄者。そんな事言ってやるなよ…そもそも海魔衆の合力が得られたのは、祈様の手柄なんだぜ? お陰で俺達も漸くお役御免なんだからさ」
祈が海魔との蜜月を続ける為に動くのは当然の事だろう。そう鉄は擁護する。
「鉄、お前の言いたい事は解るがよ、倉敷の領主様はそう言ってない訳だ。だったら俺達がなんやかんや言った所で何も変わりゃしねぇぜ?」
ましてやこのままでは海魔衆との約定を違える事態となってしまう。そして外野が何と言おうが意味が無いのは、鋼の指摘の通りだ。
光秀の考え方そのものには鋼も深く頷ける所が多々あった。何だかんだと理屈を捏ね回そうが、究極的に戦とは損得勘定の賜物でしかない。国として得が少ないのであれば、回避して然るべきものなのだ。そういう意味では、光秀の反対意見は真っ当で正しい。
だが、今回はそれだけで終わる話ではない。統治軍のトップである祈が海魔の協力要請を受け入れた以上、これに応えるのは当然の話である。いくらその上役の光秀が反対した所で、すでに覆してはいけない話にまで発展してしまっているのだ。
「いや。光秀様はちゃんと祈様に解決策を提示している。うん。やっぱりあのお方は”皇族”だわ」
後継者レースでの下馬評では、あの第二皇子の光路よりも評価の低い光秀だが、やはり皇族としての能力はしっかりと持ち合わせているのだと一人鉄は感心していた。
「? 何言ってンだお前ぇ。頼むから俺らにも分かる様に話せ」
「いや、光秀様はすでに死国への介入を容認してるんだって。後は祈様のお覚悟次第って話さ」
鉄は酒の入った瓶の中に茶碗を入れ酒を汲み出し、それを美味そうに一気に呑み干した。
「っぷはぁ。美味い…『己が満足できる返答を持って来い。そうしたら認めてやる』…つまりは、そういう事だよ」
「ははぁ、なるほどなぁ。良かったな、嬢ちゃん。これで問題解決だわ」
弟の言葉に一人納得したのか、鋼も同じ様に茶碗を手に持ち酒の入った瓶の方へと伸ばす。この先は酒の臭いに顔を顰めながらの問答となるのか。祈はがっくりと項垂れる思いだった。
「…すみません鉄様、私には全然理解しかねるんですけれど…?」
「うん、そうですね。貴女には解らないかも知れませんね、祈様。何でもお一人の力で解決なさろうとお考えになる貴女では…」
「…まぁ、そういうこった。たまには俺達相手に借りを作れってな」
美味そうに喉を鳴らし、牙狼兄弟は浴びる様に酒を呑んだ。
「そうそう。尾噛様を手助けして差し上げる俺達。中々に良い響きじゃないか、なぁ兄者?」
「だなぁ。酒が美味くて仕方がねぇ」
酒臭い息を吐きながら大声で笑い合う牙狼兄弟の痴態を目の当たりにして、祈の笑顔は完全に引き攣っていた。
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