第197話 その頃、帝国では
「ああ、本当に疲れたなぁ…」
「ホントホント。でも、今日はこれでおしまいだよ」
毎年恒例となっている新年祝賀の儀を終え、帝光輝と鳳翔は、御所奥の院に入るなり備え付けのクッションへと疲れた身体を投げ出した。
ただでさえ国土が倍近くに膨れあがった為、ここ二ヶ月近くの間その対応に終始追われていたというのに、毎年恒例の行事が待っているときた。
新年祝賀の儀は半日以上も続く。その間、身動ぎさえも許されぬ無為な時間を過ごさねばならない。咳は勿論、拘束中は厠にも行けない地獄。悲しいかな、これが陽帝国の皇帝の姿なのだ。
「こういう恒例行事は、もうちょっと時短を考えた方が良くない? もしくはさ、休憩時間を設けるとか、さぁ? …僕、もうちょっとでお漏らししそうになったんだよねぇ…」
流石に”現人神”たる帝が行事中にお漏らししたとあっては、帝国として史上類を見ぬ程の恥だ。もしその様な状況に陥ってしまった場合、参列者全員の首を刎ねてでも口封じをせねばなるまい。
だから、そうならない様にしよう。そう光輝からの提案という態のお願いだった。
「うん。ボクも苦しそうにもじもじする光クンの後ろ姿を見てて、ずっとヒヤヒヤしたから…そうだね、宮内尚書と一緒にちょっと考えてみる…流石にこんな事で貴重な人材を断処する羽目に陥りたくないしね…」
「お願いだよ、翔ちゃん。僕だって”お漏らし帝”なんて恥ずかしい二つ名なんかで、歴史に名を残したくないんだからね?」
代々の皇帝は、その生死に関わらず退位時に、それまでの功績に基づいた”二つ名”が与えられる。光輝の父でもある先帝の二つ名は”不滅帝”である。
無駄に格好良い名だが、実際は『一度国を滅ぼしかけたから』等という大変不名誉な史実から来ている。本人は名の響きが良いと、その不名誉な筈の二つ名が大層お気に入りで、自身を示す印鑑の銘にすらしている程だ。それが余計に光輝には腹立たしかった。
「たぶん、そうなった場合の二つ名は”水流帝”って辺りかなぁ…? 直接表現はなるだけ避ける傾向にあるし」
「…それ、何の慰めにもならないよ…」
”人を駄目にするクッション”にもたれ掛かり、光輝はダラりと身体の力を抜いた。如何に湾曲的な表現にした所で、史実は残るのだ。その様な不名誉な事で誰も名を残したくはないに決まっている。
「ごめんごめん。今後は最悪の事態を想定して、光クンの手の届く範囲に溲瓶を用意しとくから。それで、何とか…」
「嫌だよ、そんなのさぁ…」
宮内庁の長である宮内尚書は、慣例を重んずる人間だ。とにかく変化を嫌い、慣例通りに物事を恙なく、滞り無く行う事を美徳とする。その為、この手の行事の変更事を嫌う。いくら現状を伝えお願いをした所で、すぐには改まる事は無いだろう。その為の用心が、冗談気味に翔が言った”溲瓶”なのだ。
「まぁ、そのままお漏らしするよかマシって事で、光クン一つ…」
「うわ、マジかよ…」
行事の前日から水分を控えたりと”対策”を取ってはいるが、やはり歳には勝てないらしく、最近、色々と身体のあちこちに無理が利かなくなってきていた。本当に翔の用意したソレに頼る日が来てしまうかも知れない。それを使用している光景を脳裏に思い描いた途端、光輝はやる気がみるみると消え失せていくのを自覚してしまった。
「ああ、早く後継者を指名して隠居したくなってきたぞ…」
「本当にね。ボクもね…」
二人ともとうに後進へと道を譲り、隠居をしていてもおかしくはない年齢なのである。この発言自体、何の問題も無いくらいだ。
「でも、光クン。その為の”策”が、アレなんでしょ? まだそれを君が言うの、早くないかな?」
「…うん、それを言われちゃうと弱い。でもさ、思いの外上手く行きすぎていて、逆に怖くなってきたよ…」
「確かにね。ボクもここまで一気に領土が広がっちゃうとは、思ってもみなかった」
脳裏に列島の地図を広げながら、翔は現在の”国土”に印を付けてはしみじみと思いやった。
確かに当初描いた米子、倉敷の南北を結ぶ防衛ラインは”政治的妥協”の産物だ。
だが、第五皇子の光雄は、鳥取にまで帝国の支配域を東へと押し広げ、第四皇子の光秀は内海を統べる”海魔衆”をその配下に治めるという、首脳部にとっても嬉しい想定外の偉業を成し遂げるに至った。
「…でも、ここらであの子達の手綱を絞らないと、些か不味いんだけれどね」
「だねぇ。まさかここにきて、予算を使い切りそうになるとは…」
支配域の拡大と共に、扶養家族が倍々と増えていくという、そんな無間地獄に帝国は陥っていた。
先行投資だと頭では解っていても、その回収が見込めるのは、来年の収穫期とほぼ一年先の話だ。それまでは、帝国の国庫に一銭たりとも入っては来ない。
「…だからね、光クン。君には、非常に残念なお知らせがあるんだ」
「…そのお知らせってのは何かな、翔ちゃん?」
翔は一つ咳払いをしてから、声色を一段落として、ゆっくりと言い聞かせる様に言葉を発した。
「うんとね、来月から、君のお小遣いが、更に半分になるから」
「なるからって…ちょっ、もはやそれって決定事項なのっ?!」
光輝にとって、それは死刑宣告にも等しいものだった。
今ですら、お忍びでの甘味屋巡りが月に三度できるかどうかの予算しかないというのに、ここに来てそれが半分…だと? 光輝の目の前は真っ暗になった。
護衛の数を今までの半分に減らす、もしくは護衛を店の外に置いたままにすれば、以前と変わらない回数行けるだろうが、護衛の者と一緒に愉しむまでが光輝流だ。護衛を外に待たせるなんて外道は、以ての外である。光輝はそう信じている。
「本当にごめん。来年までの我慢になる様に、精一杯努力する。だから、赦して欲しい」
土下座にも近い勢いで、翔は光輝に頭を下げた。最前線への補給を絶やす事ができぬ以上、本国の運営費を徹底的に削らねば今までの”先行投資”が全て無駄になってしまう。それだけは政一切を預かる翔にとって、絶対に許されないギリギリのラインなのだ。
「…まぁ、仕方無いか。そもそも僕もその片棒を担いだ訳だし…」
今回の問題は、新たな領土に住む民がここまでも困窮していた事を全く把握していなかった帝国側の失態だ。
である以上、拡大政策を採った帝国は、自らの首をキツく締めただけに過ぎない。
誰が悪いかと言えば、きちんと情報を集めて精査しなかった自分達が悪い。ここで怒った所で、詮無きことなのだ。
「その代わり来年には、今回のボクら我慢が実を結んでくれる筈だよ。まぁ、それまで何も無ければ…なんだけれど」
「…やめてよ、そうやって不安を煽るのさぁ…」
翼持つおっさん二人は、将来に不安を感じて同時に身震いをした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…で、これで良いかの?」
「うむ。流石は一光様じゃ。此方の要望通りの、良い仕事じゃて」
「愛茉がそう言ぅてくれると唔も助かる。指宿には、少しばかりツテがあるからな。このくらいは造作も無き事よ」
「あそこの土地は良い作物が育つと此方も聞いておる。これだけあれば、”最前線”にいる兵達の腹の足しにもなろうて」
鬼の住まう地でもある指宿は、今や様々な農産物の一大産地となっていた。
大量の魔力を帯びた湧き水が川へと流れ込み、それが作物の成長を大きく促進させる。
指宿産の作物は他の産地の物よりも大きく、栄養価に富み、味も良い。さらには鮮度が保つと良い事づくめだ。
「一光様もお忙しい身であるじゃろうとは、此方も承知はしておったのじゃが…ほんにあいすまなんだ」
愛茉は一光に深々と頭を下げた。身分でいえば、愛茉はもう一つの帝国の頭である斎王だ。帝と同等の権威を持っている為、本来であれば、一光に頭を下げる事自体、あってはならない。
だがそれは厭くまでも公的な席においての話だ。今は、私的な席であり非公式の場ともいえる。そして、腹違いではあるが、仲の良い兄妹の交流の場面なのである。
「これが”ご神託”ならば、唔も協力を惜しまぬさ。それに…尾噛には借りがあるのでな。少しでもその借りを返さねば、”古賀”の名が泣くというものさ。だから、愛茉からこの話を貰えて逆に有り難いくらいよ」
この国の守り神でもある”朱雀”からの神託は、この国の行く末をより良き方向へと導いてくれる大事なものだ。
朱雀が言った。
『指宿の作物を、より多く集めよ。帝国の安定のため、すぐに必要となるだろう』
聞けば、帝国は列島の東の方へと支配域を拡大しているのだという。
現状、補給線が長く伸び、更には必要な物資が雪だるま式に増えているらしい。何時破綻してもおかしくない水域に達しているのではないか? そんな噂も出てきているのだとも。
「朱に金で縁取りした旗を掲げた巨船が近くこちらへと来る。それに運び込んで欲しい」
「承った。唔が責任を持って成し遂げよう」
愛茉が言うには、船の行き先には尾噛祈が居るのだという。
彼女と鐙を揃えて魔の森を駆けた日々を思い出し、一光は心が震え沸き立つ懐かしさに暫し身を浸した。
(あの者は、遠き倉敷の地で戦っておるのだな。唔も負けてはおれぬわ…)
噴煙のせいで少し陰った東の空を見上げ、一光は遠き地に在る”戦友”へと、その思いを馳せた。
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