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第193話 八尋栄子2



「断れ」


「…デスヨネー」


海魔衆宗主の八尋(やひろ)栄子(えいこ)が、一族全員の永久の忠誠を見返りに祈に願い出た条件とは、帝国による死国(しこく)の完全統治であった。


確かに、海魔衆の海上戦力は内海において無敵を誇る。帝国の支配領域が以前とは比べるべくもなく拡大した現在、海運能力の面からみても海魔衆の力は喉から手が出る程に欲しい。


だが、海魔衆の願いを聞き入れるという事は即ち、帝国が死国の地へ侵略する事を意味する。その様な判断を行う権限は、一貴族にしか過ぎない祈に当然ながらある訳が無い。


であれば”形式上”の上司に報告し、その判断を仰がねばならない。どちらかと言えば、”責任を擦り付ける”という意味合いの方が遙かに強いのだが。


「確かに、海魔の力は喉から手が出る程に欲しい。これは幾ら言葉を重ねようとも、決して繕えぬ帝国側の本音よ」


二日酔いによる頭痛に顔を顰めながら、床に付いたままで光秀(みつひで)は言葉を続けた。


「だが、それと天秤にかけるには、海魔の願い、あまりにも荷が勝ち過ぎる。はっきり言ってしまえば、全然割に合わぬわ」


内海の複雑な潮の流れを完璧に読み切り、さらには帝国にも無い優れた造船の技術を持つ海魔衆の合力。これが無条件で手に入るのであれば、諸手を挙げて歓迎したい。


だが、彼らの忠誠を得る為には、死国に在る他の5種の蛮族全てを征服せねばならぬ。そう彼らが言うのであれば、帝国としては流石に割に合わぬのだ。


海魔衆とはすでに金銭による雇用関係が成立している。資金(かね)は余分にかかるが、危険を冒してまでも海魔との距離を無理に詰める理由が、帝国側には無い。


「他国へ攻め入るというのは、正に博打よ。しかも、かなり分の悪い方の、な。今回の米子、倉敷への侵攻はそれこそ例外中の例外だ。何せ、明確な敵はおらなんだ訳だからの」


まぁ、倉敷は野盗もおれば海魔もおった訳だが。そう言いながら光秀はのそりと重い身体を上げ、吸飲みを掴んで水を一口含んだ。どうやら二日酔いの症状は、かなり深刻な様に祈の眼には見えた。


「聞けば死国の地とは、山林が大部分を占めているそうな。雨は少なく、土地は耕作に向かぬ。更にはめぼしい資源も無いとなれば、()(おれ)と同じ判断をする筈よ。その様な土地、(いたずら)に兵を死なせてまで、獲る価値なんぞ無い」


多数の兵を差し向ければ、現地の住人との戦になる。当たり前の事だ。


戦とは、乱暴に言ってしまえば経済活動の一種だ。仕掛けるからには、()()()()()()()()()()()()


この場合、帝国側にとっての”得”とは、海魔衆の忠誠と、死国の土地全て。


それと天秤に掛けるのは、兵達の命と、そこにかかる費用の全て。そして、海魔衆以外の死国に棲む蛮族達の恨みだ。


住人達に恨まれたままで行う統治は、さぞかし熾烈を極める事だろう。それにかかる労力に見合う利益が得られるのであればまだ良いが、死国の地にそれ程の価値がある様には到底思えないのだと、光秀は指摘する。


「…そういう訳だ。己からは『断れ』と。そうとしか言えぬな」


もう一度吸飲みで水を飲む。光秀はかなり辛そうにしていたが、祈は自業自得の結果だからと特に心配はしていなかった。精々、私の目の前で吐くなよ。と、その程度でしかない。


「貴重なご意見、有り難うございました」


祈は光秀に深々と頭を下げた。


()()()()でも、やはり”皇太子候補”だ。少なくとも情報を吟味し、判断できる頭を持っている。祈は光秀の評価を改めた。ただの馬鹿ではない。それが解っただけでも僥倖と言えた。


「それに…」


「…はい?」


「海魔の願いを聞き入れたら、貴様、また”娘”を放ることになるのだぞ? しかも今度は死国の地、その奥の奥までも、だ。さて、全て成し遂げるまでに、どれだけの日数がかかるのやら…の?」


祈の返事を待たず、光秀は顔の位置まで布団を深々と被った。今日の業務をサボる腹積もりらしい。すぐに寝息が聞こえてきた。


光秀の言葉に、祈は身動きがとれなかった。


そうと指摘されるまで、祈には全くの慮外だったからだ。


(ごめんね、(しず)…)


愛しき娘の事を忘れていた訳では当然ない。


静を戦場(いくさば)へ連れていくという選択に、何の違和感も抱いていなかった自分に対し、祈は強い恐怖と衝撃を受けていのだ。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「…やはり、速まったか…のぉ?」


八尋栄子は、係留した自身の船を眺めながら、少しだけ後悔をしていた。


如何に帝国…尾噛祈とその従者達の”戦力”が強大であろうとも、一族の忠誠と引き替えに死国の統一をしてくれとお願いされて、ホイホイ聞き入れてやる訳が無い。


そこまでの価値が海魔衆にはある。その自負はあるつもりだ。


だが、その判断を下すのはこちらではない。皇帝だ。


その返答如何によっては祈に愛想を尽かされ、海魔衆の命運も同時に尽きるのやも知れぬ。そう思えば、あれは早計過ぎたのではと、栄子は頭を抱えたくなる。


「いや、あそこでの話は間違いではなかった。その筈じゃ…」


虎の子の飛竜(ワイバーン)海竜(サーペント)の悉くを、祈達の手によって潰されたのだ。今の海魔衆の戦力では他の部族が侵攻をしてきた場合、到底止める事はできぬ。その様な状況に在っては、とても集落を空け帝国の仕事なんぞができる訳も無いのだ。


「せめて、帝国の兵を幾らか貸して貰えれば…」


要は他の部族へ隙を見せねば良い。少なくとも飛竜の数が、ある程度確保できるまでは…


狸と天狗共はまだ大丈夫だとしても、こちらが弱体化したのだと知れば、熊と人は確実に攻め入ってくるだろう。奴等は欲深過ぎる。


そして、そこに必ず乗じてくるだろう蜥蜴共には特に警戒せねばならない。奴等はあまりにも冷酷だ。対応を誤れば、待つのは一族の滅亡なのだから。


「ちょっとした火遊びのつもりがこうなるとは、のぉ…」


突如支配者が消え失せた倉敷の地に、海を知らぬ帝国の兵が大量の食糧や珍しい物を持って現れたのだから、海魔衆にとって正に良い鴨だった。


あれだけ何度も凹ませてやったのに、彼らは倉敷に居座るつもりなのか、定期的に物資を持ち込むのだから、笑いが止まらないとはこのことかと、絶頂に調子に乗ったが末の今回の始末だ。


まさか、それがそのまま一族滅亡の危機にまで発展してしまう事態になるとは。宗主である栄子にも想像がつかなかったのだ。


我が手によって海内統一すら成せるのでは? とすら思い上がっていた当時が懐かしい程だ。


海魔衆にとって、力こそが正義であり全てだ。


その力を様々と見せつけた竜の娘に対し、海魔の誰も恨みに思ってはいない。逆に畏怖と憧憬の念がない交ぜになった、何とも表現し難い情すら抱いている。


だからだろうか? 祈の手によっての死国の統一を願ってしまったのは。


「だが、今更撤回なんぞもできぬし、のう…」


あの時は個人的な面談の席であったとはいえ、一族を代表した人間の発言である。当然、信用問題に関わってくる以上、おいそれと撤回する訳にもいかぬだろう。


だが、このまま捨て置く訳にもいかないのも事実。もし栄子の”願い”を帝国に聞き入れて貰えねば、今の帝国との奇妙な雇用関係すらも失いかねない。例えそのはじまりが、棚ぼたによる出来事に過ぎなくとも。


「これ、もしかせんでも、妾って進退窮まったのかや…?」


このままでは栄子が”先代”と呼ばれてしまう日が近いやも知れぬ。次代の”八尋”を背負える人材は、まだまだ在るのだから。


「…まだ妾が”高松”に戻る訳には、いかぬのぉ」


何らかの色よい返事を帝国から引き出せねば、それがそのまま栄子の破滅へと繋がってしまう。


後ろに固く縛った金色の髪を揺らし、黄金色に輝く7つの尾をそれぞれにくねらせながらも、栄子はもう一度倉敷の街へと足を向けた。


もう一度、竜の娘…尾噛祈に会いに行こうと。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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