第190話 その後始末的な話14-2
(何で己は、ここに一人で…?)
男は改めて周囲を見渡してみた。確かにこれは帝国にも無い立派な船だ。
「…おい」
(これが所謂、縦帆船という奴だろうか? ふむ。所詮は蛮族と侮っていたが、どうしてどうして。この様な威容を持った船を造り上げし技術力は、なかなかのものよ…)
だが、男は立派な船の艤装に、ただただ感心しているだけという訳にはいかなかった。
そもそも、何故に仇同然の”蛮族”の船に護衛の一人も付かぬまま、こうして一人乗り込む羽目になったのか? 男の疑問を解く事のできる者は、当然ながら誰も居なかった。
「…おい。ごらぁ、テメェ」
(クソっ。己はまたしても尾噛の小娘に謀られたというのか…娘共々、本当に忌々しい奴だ)
「くそ、この野郎。無視かよっ」
娘をほっぽり出して二日間も留守にしていたかと思いきや、突然ふらりと戻ってきていきなりの『お願い』だ。
あの時は”倉敷”の街の”統治者”などと煽てられ、ついつい気分良く頷いてしまったが、どう考えても、我が身最大の危機はまさしく今だ。そうとしか、男には思えなかった。
男の周囲には誰も護衛がおらず、忙しく船上をちょこまかと動き回る人間は、全員”海魔”を名乗る蛮族どもだ。このまま抵抗らしい抵抗もできずに誘拐されて、帝都へ身代金の要求をされても、決して可笑しくはない異常事態なのだ。男は自身の脳裏に描いた最悪の事態に、ぶるりと身を震わせた。
(うむ。如何にアレがどう為様の無い程に幼き童女であろうとも、あの様な可憐で麗しき見た目をしておっては、のぉ…女に慣れておらぬ己には、難しい話よ)
今のこの身に降りかかった結果という名の不幸は、男が尾噛の女当主に良い様に弄ばれた、その帰結だ。幼女の煽てに乗って、その掌の上で勝手に激しく踊ったが為に起こるべくして起こった現実。その程度の話に過ぎない。
(己に幼女趣味は、無い…そう思いたいのだが…些か自信が無ぅなってしもうた…)
瞳潤ませながらの美女からの”お願い”。これを聞き入れぬでは、どうして男子を名乗れようかっ!
…等と開き直っても、どうにも様にならない。そもそも対人の経験なんぞは、世に生まれ出でてからの80有余年で、本当に両の手の指だけで事足りてしまうのだ。ましてや、女子と会話した事なんぞは、母親や便女以外では、記憶にすら無い。
「テメェ、ごらァ! ええ加減にせんと食ってまうど、ワレェっ!」
「五月蠅いわっ! さっきから己の耳元近くで怒鳴るでないわっ! もめ事なら他所でやれ、他所でっ!!」
下賤な船乗りのがなり立てる品性の欠片も無い大声に、一人思考の海へと逃避していた光秀もとうとうキレた。嫌な結論が導き出されそうになっていたから、八つ当たりという名の皇族の逆ギレだった。
「もめ事なんかじゃねぇよ。俺が用あんのはテメェだよ、テメェ。さっきから何無視してやがんだ!」
例え相手がやんごとなき身分の者であろうとも、”海魔”には何の関係も無い話だ。船乗りの男にとって、目の前の自称:皇族の男なんぞ何も怖くはない。
「テメェみてぇなひょろっちぃ野郎なんざ、俺達の船に乗せたかねぇが、これも”竜の女神様”のお言いつけだ。我慢してやっから、チョロチョロせずにその辺で大人しくしてろ。危ねぇしな」
(…竜の女神様、だと? まさか、あの童女の事かや…?)
確かに、あれは見た目だけなら”女神様”で通用するやも知れぬ。だが、それは口を噤んでいれば…という大前提が必要ではないか。そう光秀は思う。
しかしまさか、見た目厳つい船乗りの男の口から、よもや”女神様”などという単語が出て来るとは。光秀は、祈の顔を思い出し、思わず吹き出しそうになってしまった。
(危ない危ない。もしここで己が盛大に吹き出してしもうたら、確実に己は死んでおったな…)
船乗り達が、あの尾噛の女当主に心酔しているのは、彼女を語る時の彼らの顔を見れば、それこそ空気の読めぬ馬鹿でも感づくだろう。
(貴様ら、アレの何処が良いと云うのか…そう聞きたくもあるし、聞かぬとも解る気もしなくもないし…ああ、やはり己の中に幼女趣味でもあるのというのか、のぉ…?)
何度も自問自答を繰り返しては、自己嫌悪に陥る第四皇子。彼の思考の海はしかし、認めたくはない。認める訳にはいかない。だが、でも…を、厭きること無く延々と繰り返し続けた。
こうして、光秀は帝都に到着するまでの暫しの間を、悶々と過ごす羽目となった。船酔いすらも忘れたままに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、お前達。急な命令変更で悪いけれど、国境の壁の建設は、ここで一端やめだよ」
愛弟子達を一同に集め、祈は新たな命令を発した。
「私達はこれから、”倉敷”の街を作るよ! 皆が安心して住める様な、立派な街をね。それと同時に港も、だよ。これから必要な物資が、どんどん内海から来るかんね。ゆっくりとしてはいられないよ、覚悟してね皆っ!」
”我が麗しの上司様”の言う事は絶対。
帝国の魔導士達は、骨の髄にまでそれを深く刻み込まれている。誰も否などとは、絶対に言わない。
「それじゃ、今からお前達を土地の整地、港の整備、材木確保の3つの班に分けるかんね」
焼け野原となり、今は廃墟同然となってしまった街は、逆に言えば計画的な開発が容易な環境だ。
「ちゅう訳で、まず皆には火災に強か街ば考えて欲しかばってんが」
蒼は、都市計画に置いて絶対に考えねばならない”火災”への備えを計画の柱に位置付ける事にした。増えるに任せた無計画な街は、些細な火災であっても、あっと言う間に燃え広がる。言い換えれば、海魔と野盗による襲撃は、そういった教訓を残したのだとも云える。
土の術で綺麗に整地をしてしまえば、後は完全にゼロからのスタートになる建設事業だ。様々な災害に備える為の多少の無茶な都市計画でも、遙かにやり易い。
先遣隊の中には、建築・土木の技術の粋を叩き込まれた高級士官が数名居る。この手の都市計画を任せれてやれば、きっと大いに張り切る事だろう。
湾港の整備も急務だ。
「はぁい。それでは、皆さん。土の術で、岸壁を整地していきましょー♡」
琥珀の号令で、一斉に魔導士達が詠唱を開始し、ゴツゴツと大小様々な形の岩が折り重なる様に切り立つ岸壁を、土の魔術によって強引に真っ平らな岩板の港へと加工する。
”我が麗しの上司様”の右腕であれば、即ちそれは”我が麗しの上司様”と同じ。琥珀は魔術士達からそう思われていた。いや、むしろぶるんぶるん揺れる巨乳のお陰か、逆に祈の方が残念に見られる事の方が多い位だ。
当然、その様な不埒な者共は、後に祈の手でしっかりと『再教育』を受ける羽目になるのだが、それは今の話には一切関係が無い。
内海を俺の庭だと豪語する”海魔”達が全力を持って輸送を担当するのだから、予定通りの日数で帝都から必要な物資を持ってくるだろう。この場で入手できない建築資材をも用立てしてもらう手筈である以上、物資の入り如何によっては、後々にまで計画に遅れが出かねない。
港とは街の復興においても、今後の統治の面においても、最も重要な役割を担っていくのだ。その第一陣が来る、それまでに港として最低限の体裁を整えねばならない。多分、ここの部署が一番ハードになる筈だ。
当然の事であるが、建物を作るには膨大な数の材木が要る。
周囲を深い森林に覆われたこの地は、それこそ木ならば掃いて捨てる程ある。だが、問題なのは、建築には”しっかりと乾燥させた木”が大量に必要な点であり、水分を多く含んだ生木は、建物に歪みが生ずる原因となる。要するに、使い物にならぬのだ。
間に合わせの掘っ立て小屋程度であるならば、それで全然構わぬだろうが、今後100年単位での都市計画で考えていけば、芯までしっかり乾燥させた物を用いねば、まともな建物を建てられぬのだ。
「本当はこの権能、使う訳にはいかないんだけれどね…」
風の術によって切り倒された樹木を、祈は次々に念力を使って水分を飛ばしていった。
こんな事に<五聖獣>からの祝福の力を使うのは、当然反則だ。だが、これは人助けも兼ねているのだから、できれば大目に見て欲しい。そう心の中で言い訳をしながら、切り倒された木は、祈の権能によって次々と材木へと変化していく。
「はいはーい。それじゃ美美達で、コレ運んでいくヨー」
大きな荷車を何頭もの牛で牽き、街まで資財を運び込む。
ちょっとした反則を用いてでも、急ピッチで復興を為さねばならない。冬は、もうそこまで来ているのだ。
民達を無視し、シコシコと国境の壁を作り上げるよりか、そこに住まう民の為に、良い街を造り上げる方が防衛上、遙かに理に適う筈だ。
「こういうのって、意外と楽しいなぁ…」
祈にとっての仕事といえば、ずっと机に齧り付いての終わりの一切見えない書類整理の事だ。
やっていく内に、眼はしぱしぱと霞み、肩は懲り、腰が曲がる。夜にもなれば、一気に20は老け込む錯覚を覚える程だ。今後もこのまま時が過ぎていくのかと恐怖に駆られる日もある。
(だけれど、こうして皆と一緒に汗水流すというのも良いな。ああ、でもできればこの後汗はしっかりと洗い流したい。ああ、お風呂が欲しいなぁ…)
”倉敷”の都市計画の中に、絶対に大衆大浴場をねじ込んでやろう。そうしよう。
風呂好きの帝国人として、これだけは絶対に。そう決心せずにはいられない祈だった。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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