第189話 その後始末的な話14
「かあさま、おかえりなさーい☆」
「ごめんねー、静ちゃん。良い子にしてたかなぁ?」
勢いよく胸に飛び込んできた愛娘をしっかり抱き留め、祈はさらさらで艶やかな黒髪を優しく撫で梳いた。
急な事だったとはいえ、何も言わず娘を二日も放ってしまったのだ。いくら馴染みの女房を幾人も連れてきてはいても、”母”が娘を放置して良い理由には、当然ならない。
祈は、静の頭を撫でながら何度も詫びた。
「ふん。二日も娘を放っておいて、暢気なものだな。己がおらなんだら、この娘、ずっと泣き喚いておったぞ?」
口の端を吊り上げながら、光秀は吐き捨てる様に祈に声をかけた。
母親からの愛情は、子にとっては掛け替えのない財産だ。
そう信じて疑わない彼にとって、仕事の為とはいえ二日も娘(?)を放置する祈の姿勢が許せなかった。
例えそれが自身の”評価”に直結する行いであったのだとしても、まず娘を優先しろ。本当はそう言い放ってやりたい。だが、それを口にするのには、光秀の立場と自尊心が絶対に許さなかった。
だから光秀は、祈が不在の間、静を構ったのだ。ただ、本人にその自覚は全く無かったのだが。
「ああ、光秀様。我が愛しき娘のお世話、本当に有り難うございました…良かったねー、静?」
「うんっ。おじちゃん、いいひとー☆」
「…ああ、そう。おじちゃんで確定な訳ね…」
光秀は何度か『おにいさん』と静に呼ばせようと画策してみたのだが、その努力はどうやら無駄に終わった様だ。
(くそ。『おじいちゃん』と呼ばれなくなっただけマシだと割り切るしか無いのか…)
光秀は心の中でさめざめと泣いた。
祈は”海魔”を屈服し従わせはしたが、厭くまでも彼らは内海に面した死国の一角に棲まう”蛮族”の一部族でしかない。
だが、祈は死国を完全に征する気なぞさらさら無かった。『内海を安全に輸送する手段さえ手に入れれば』それで良かったのだ。
そもそも祈は、蛮族なぞ端から無視するつもりでいたのだ。あちらから要らぬちょっかいをかけてきたから、懲らしめてやった。その程度でしかなかった。その後の交渉の結果、”海魔”の持つ内海を征する力を借りる事ができただけに過ぎないのだ。
だが、ここで一つ、祈にとって大きな誤算があった。
”海魔”達はどこまでも蛮族だった。という、正にその一点だ。
力こそ正義。より大きく強き力に従う事を至上の喜びとする彼らにとって、四海竜王という圧倒的な戦力で集落を蹂躙し尽くした尾噛祈という”災害”は、正に神の啓示そのものだったのだ。
(しかし…これ、どう説明したら良いのかナー?)
Q:どうして、あの”海魔”が、帝国側へと付いたんでしょうか?
A:腹が立ったので徹底的にいぢめてやったら、何故だか妙に懐かれてしまいました。
(…うん。やっぱり良く解んないや…)
本来ならば一度帝都へと戻ってしっかりとこれまでの経緯を説明し、帝の裁可を仰ぐのが筋なのだろうが、どうしてもその間、また静と離ればなれになってしまう。それでは何の為に静を倉敷まで連れてきたのか解らなくなってしまう。本末転倒だ。
(どうせ何を言っても無駄に時間がかかるんだろうし、結果さえ見て貰えばいいや。もう、全部が面倒臭いし…)
この際と、祈は完全に割り切る事にした。
そのまま海魔達に帝都近くまで行ってもらおう。帝達へ説明させるのに”適切な人物”が倉敷には居るのだ。無駄飯喰らいで、位だけが高く、平時だけでなく、緊急時でも全くクソの役にも立たぬ、都合の良い人物が。
丁度祈の、すぐ目の前に。
「光秀様。この”倉敷”の街の為、その統治者であらせられる貴方様に、是非にもお願いしたき儀がございます…」
「…あん?」
この時、愛娘の頭を撫でながら、という無礼者の”お願い”なぞに耳を傾けなければ良かったと、光秀は後々まで悔いる事となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
北の港近くに船団の影があり。
その報は、帝都の上層部に多大なる戦慄と衝撃を与えた。
「まさか、中央大陸からかっ?!」
”帝国”を討ち、追いやった後の中央大陸は、帝国を討ち滅ぼした英雄達が各々覇を唱え、正に戦乱の世となっていた。
漏れ聞こえてくる様子には、大陸に在るどの国も未だ統一への筋は無く、合併吸収しては、分離独立を繰り返しているらしい。とても海を隔てた他の島まで侵略の手を伸ばす余裕なぞ、今は無い筈だ…ある国を除いては。
「どうやら、予想より早くその日が訪れてしまったか…」
帝国にとって、正に凶報だろう。態々、海を渡ってまで列島に攻め込んできたのだ。中央大陸に住む彼らは、未だ帝国を憎んでいるというこれは確かな証左なのだ。
逃げる際に、幾つかの技術は持ち出せたが、200年余り経った今日ですら未だ再現できぬ技術が多数あるのだ。
”魔導士殺し”や、散々軍の眼を欺いてきた偽物魔導士達が手にしていた魔術の出る”短杖”を見ても、列島と大陸の技術力の差は、歴然として大きく横たわっている。
ましてや、向こうは戦乱の世だ。こと戦に関する技術の躍進が目まぐるしく起きている可能性は大いにあり得るのだ。
「…で、大陸の何処の国だ? ”辰”か? ”淘”か?」
どちらであったとしても、今の国力で彼の国を退けられるかは解らない。だが、敵が何処の誰なのかをしっかりと把握するだけでも心持ちが変わってくる。半ばヤケになりながらも、物見の報を聞き、現実を受け入れるしかない。
「いえ。それがどうやら、大陸の船では無い様で…」
「どういう事だ? この列島に、船団を抱える程に力がある国なぞ…」
…ある訳がない。翔はそう続けようとした。
「…それが、船団の先頭を走るひときわ大きな船に、何故か…光秀様の部隊を、示す旗が…」
今回軍を発する際に帝は、倉敷、米子に駐留する各部隊に軍旗を贈っていた。
第四皇子光秀率いる倉敷の部隊へは、朱に金糸で縁取りした旗を。第五皇子光雄率いる米子の部隊へは、蒼に銀糸で縁取りした旗をそれぞれに。
軍旗とは、戦場で目立ってなんぼの代物だ。乱戦の最中にあっても、遠目から見てもしかとそれと解る位に、大きく派手であればあるほど良い。敵がそれと見る事によって畏れを与え、味方は誇りを持って掲げてこそのものなのだ。
それが、何故か所属不明の船にデカデカと掲げられているのだと云う。
当初の予定通りならば、そろそろ光秀達は倉敷に到着し、粛々と任務に励んでいる頃合いの筈なのだから、物見達が混乱するのも仕方の無い話だ。
「…さて。これはどう判断すべきだろうね、光クン?」
「…もうありのままを受け入れれば良いんじゃないかなぁ…その方が楽でしょ、翔ちゃん?」
背に翼持つ二人のおっさんの脳裏には、いくつもの『どうして?』が飛び交う。
だが、幾らここで解の無い問答を続けても、時間の無駄でしかない。ならばもう現実を受け入れる方がよっぽど早いし建設的だ。
「…だねぇ。どうせ、後で聞いてみたら『なんだー』で、済みそうな気も、しなくはないしねぇ…」
「でしょでしょ? どうせコレも、祈ちゃん絡みの話なんじゃないかなと僕は思うんだよねぇ。あの娘が絡んでいると考えれば、どんなに心配したって無駄だよ。無駄」
光輝は、半ば諦めた様に手をぱたぱたと振る。今までの経験則上、尾噛祈が咬んだ話は、大体こちらの予想の斜め上を大きく越える。良い意味でも、悪い意味でも。
守り神様からの神託が無かった以上、多分今回は吉報なのだろう。そう無理矢理思い込む。そう思い込まねば、即座に胃に穴が開いてしまう。そんなのはやってられない。
「祈クンを倉敷にやって、正解だった…かな? だとしたら、ボクは嬉しいんだけれど…」
「もし翔ちゃんのその判断が大間違いだったとしたら、多分僕ら、年内にも命が無いと思うよ?」
(…あの大船団が、その答えだったら嫌だなぁ)
自分の想像で少し怖くなった帝だった。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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