第188話 蛮族懲伏
死国は、”内海”を支配する蛮族”海魔”達の棲む島国だ。
島の地形の大半が山林であり、また降雨量も非常に少ないがためにこの土地は農耕にあまり適さない。また資源も乏しく、人が日々の糧を得て生活するには難渋する土地柄だ。
そんな過酷な環境下でも、彼らは強かに生き抜いてきた。
先祖代々受け継がれてきた、内海の潮流を読みきる”目”と、日々の研鑽によって身につけた”従魔”の技術によって、彼らは独自の”産業”を手に入れた。『略奪』という、非情なまでに効率の良い業態を。
自らを海の魔物…”海魔”と名乗り、当初は拙くも粗末な造船技術で作り上げた”船団”は、いつしか内海の脅威へと成り仰せたのだ。
略奪を生業とした”蛮族”にも、当然ながら最低限の法はある。
宗主家の八尋を筆頭に、安倍、三好、越智、片岡の”親方衆”の合議制によって、一族の意思が決定される。
その意思に背く者は、一族から爪弾きにされ二度と浮かび上がる事は無い。閉鎖された場所に居を置く集団は、往々にして相互監視による行き過ぎた恐怖の自縛の軋轢を生む。その良い例だった。
「越智の親方ぁっ! 内海の空に…空に…」
「一体、何だってんだ…ありゃあ…」
物見が震える指で示した方角には、4頭の竜が内海の空を舞うかの如く駆けていた。その下には、恐らくは同胞のだろう粗末な一隻の船が見えた。
蒼、朱、黒、白の艶やかな色の竜は、雷光を伴いながらも長大な巨躯をくねらせ優雅に空を舞った。それは異界の、畏怖すべき美を正に体現しているかの様だった。
(あれはどう見ても、飛竜でもない、海竜でもない。おいが婆さまからちっこい頃から聞いた、本物の幻想種…”竜”だ)
越智はカラカラに干上がった喉を潤すか為に、強引に唾を飲み込んだ。
あれが見た目通り本物の竜ならば、抵抗するだけ無駄だろう。あれは、自然災害であり、神災だ。どうあがこうが絶対に誰も勝てぬ。在るのは、万象が平等に訪れる”死”のみだ。
それが、はっきりとこちらへ向かってきているのだ。もう、どう為様も、無い。
「テメェら、迎撃の用意だっ! ビビんじゃねーぞっ! それとそこのテメェ、今から”親方”達の所へ走れ。良いな?」
だが、仮にも”親方”である自分が早々に諦める訳にはいかない。端から見てどんなにみっともなくとも、足掻けるだけ足掻いてみせねば、下は絶対に付いて来る訳が無いのだから。
(だからって、こんなの相手なんてよぉ…)
相手は空からやってくる以上、越智達に逃げ場は存在しない。自分達が飛竜を使って散々やってきた行いの”報い”がこれであると云うならば、何と神とは底意地が悪いのだろうか。越智は拳を固く握りしめた。
「ぃよぉーっし。今から相手すんのは確かに竜だが、おいらの飛竜や海竜とそんな変わりはねぇだろさ。飛竜は美味い。ってこたぁ、きっとアレも食ったら美味い筈だ。全部終わったら、皆で食っちまおうぜ!」
「「「「おおっ!」」」」
足下は滑稽なまでにガクガクと震わせながらも、越智は声だけは威勢良く、部下達を最後まで鼓舞、叱咤し続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「我々は降伏いたします。どうか、どうか…命ばかりは…」
”四海竜王”を背後に従え、祈は”海魔”達をたった一日で懲伏せしめた。
結局のところ、陸に上がってしまえば”内海の支配者”なぞは、ただの蛮族でしかなかった。
祈達は、蛮族の”頭領”が住む本拠地を、徹底的に蹂躙し尽くした。心折る、その為だけに。
死国がいかに広大な土地の島であるとはいえ、人が住むに適した土地というものは、そう多くはない。産業を持たぬ彼らは、厭くまでも”略奪”という稼業に比重を置き依存している以上、当然”内海”に面した土地に住まうのが道理なのである。
祈達は、蛮族どもの抵抗を文字通り一蹴し、それで全てが終わった。所詮ただの人間程度では、今の祈達の敵には、到底なり得はしなかったのだ。
海竜は海から出て来られず、頼みの綱であった飛竜は、竜王の一睨みで瞬時に無力化されてしまった。どうと足掻いてみせた所で”海魔”達には、そもそも勝ち筋なんぞ全く在りはしなかった。それだけだ。
「ほお。降伏とな? …それはそれは…」
”海魔”は性酷薄にて、慈悲は無し。例え食糧財産の全てを差し出し、頭を下げ赦しを願い請うた所で、一度彼らを怒らせてしまえば、その悉くを殺し尽くされる。との評もある程だ。
「お前達の性は、私も充分承知しているつもり。その口で、よもや降伏とほざくとは、な…」
内海からの襲撃の危機を無くすには、いっそのこと”海魔”の頭領と親方達を皆殺しにしてしまう方が手っ取り早く確実だろう。
仕方無しにここで降伏を受け入れた所で、後に裏切る可能性を常に考慮に入れておかねばならないのだから。はっきり言ってしまえば、そんなのただひたすらに面倒臭い。
「その性は、我らが故意に流した評判でございます。一度でも舐められ侮られては、この”稼業”、到底続けてはいけませぬので…」
宗主の”八尋”が額を地に擦りつける様に頭をもう一度下げた。
確かに『最初から無駄な抵抗をしなければ、確実に命が助かる』と、そう思わせる事ができれば、これほど楽な話も無いだろう。
如何に飛竜や海竜を操る圧倒的な術を持っていようと、反撃に遭えばやはり痛いのだ。
それを初手から封ずる事ができるのであらば、絶対にやらないに越した事は無い。祈は海魔の宗主の言い分にも一利あるなと思った。
「お前の言いたい事は理解した。致し方なし。その命助けてやるとしようか。その代わりお前達のその”腕”、私に貸せ…」
「…は? 腕、ですか…?」
目の前の小娘が、今何を言ったのか? 海魔の宗主は見当が全く付かなかった。”腕”を請うと言われても、つい先程徹底的に一方的なまでに蹂躙されたというに。彼女に我らの”腕”の必要があるとは、到底思えなかったからだ。
「そう。内海の複雑な潮の流れを読み、自在に渡る…お前達だけが持つ”操船”の、術だよ」
帝国の船乗り達は、決して内海に立ち入ろうとはしない。
潮の流れが速く、あまりに複雑で、見えない浅瀬も所々にあると云う。その様な海、命がいくらあっても足りない。それほど”内海”は危険な海だった。
だが今の帝国は、そんな事を言っていられる状況では無い。倉敷と米子周辺に住まう民が冬を越せるかどうかの瀬戸際なのだ。使えるものは、何だって使ってやる。そうせねば、救えぬ命があるのだから。
「その様なかんたんな事で、本当によろしいので? でしたら海に生きる我ら”海魔”の”腕”、存分にお使いください」
宗主の八尋を筆頭に海魔達が、四海竜王を従えた祈に向け、一斉に頭を地に擦りつけた。
自分の庭をチョイチョイと駆けるだけで命が助かるというのであれば、そんな易い話は無い。
確かにこの”稼業”は嘲られ、舐められたら終わりだ。
だが、死すれば全てが終わるのだ。その様な事なぞも言ってられぬ。所詮、命あっての物種なのだから。
暴力こそが正義。
その信条をもって生きてきた無頼の者共が、より強い者に従っただけ。そんな当たり前の事に過ぎなかったのだ。
この日、帝国に海上戦力を備えた”海軍”が、初めて誕生した。
”内海”に面した国々は永く悩まされ続けた”海魔”の脅威から、漸く解放される事になったのだが、今後は常に”帝国海軍”という名の恐怖に怯えて暮らす羽目となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うにゅ…かあさま、まだおしごと…めーめー、こは、そーもいない…」
布団をめくり、静は一人目を覚ました。
もう冬はすぐそこまで迫ってきているのだろう。布団から這い出た身体から、肌着だけでは一瞬で体温が抜けていく。
覚悟していたとはいえ、母の姿の無い朝を迎えるというのは幼き心にかなり堪えた。
態々この為に馴染みとなった女房集が何人も付いてきてくれたが、それでもやはり”甘えん坊さん”には母の温もりこそが一番なのだ。
着替え、洗顔、髪梳き…女房達の手で寄って集って、一端の子女がこうして出来上がる。
◇◆◇
「…かあさま、まだかえってこないのかなぁ」
静は母達の事が終始頭から離れる事がなく、読み書き計算の修練に手がつかなかった。
「おい、糞餓鬼。今の貴様の仕事はソレなのだ。ちゃんと勤めを果たせ」
指揮せねばならぬ者達が全員出払ってしまっていては、頭は何もすることがない。暇を持て余し引き篭もっていた光秀は、当人にも何故だか知らぬ間に静のお守りをやらされる羽目になっていた。
(こいつに関わって以降、ずっと己は貧乏くじだ。こいつ、もしかして貧乏神では…?)
あの日あの時、目の前の小娘に出会わなければ、きっと今でも帝都におれたというのに。
事実では絶対にあり得ない”妄想”に、光秀は暫し囚われる。逃げ続けておれば、その時点で光秀の命は無かったのだから。それを知らぬは本人ばかりだ。
「ああ、ごめんなさい。おじちゃんのおじいちゃんさん。しず、がんばるから…」
「…もう”おじちゃん”で構わぬ。頼むから、己の呼び名は統一してくれ…」
(…ああ。子守なんぞでなく、己は早く”仕事”がしたいわい)
新天地でも引き篭もりになった光秀は、自身の役目を果たす日が来る事を、一日千秋の思いで今か今かと待ち焦がれた。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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