第184話 急に話が進んだ話
「…此度の我が家人の無礼、平に、平にご容赦を…」
「うむっ。苦しゅうない」
宿舎に戻った祈の最初の仕事は、土下座だった。
どうしてこうなったかの前後の事情なぞ、祈には一切解らぬ、知らぬ。だが、知らぬ間に家人の一人になっていた楊美龍が皇族のお一人に無礼を働いたのは事実なのだ。である以上、主の祈が頭を下げるのは当然の事である。
この一件を表沙汰にされては、新たな名乗りを赦された祈の”尾噛家”の取り潰しは必至だ。
それに関して正直に言ってしまえば、もうお腹いっぱい過ぎてもうどうでも良い気持ちが祈にはある。それどころか、背負う物無く身軽になりたい。そう心底思う程だ。
一家取り潰しイコール家と財産、そして帝国貴族としての身分を失うだけでなく、その命すらも失う事を意味する以上、そんなお気楽な話では当然ながら無い。
その様な事態を回避する為には、事を内々に処理し、目の前で踏ん反り返る皇族のお方には機嫌良くお帰り願わねばならない。まだ祈の胃は、穴を空けて苦しむ訳にはいかないのだ。
祈の記憶が確かならば、第一皇子の光公と第二皇子の光路は齢100を超えるのだが、目の前の男性は、まだそこまでには達していない様に見える。
第三皇子の光義は継承権を放棄し、今は斎宮に在る。消去法でいけば、目の前の男は第四皇子の光秀か、はたまた第五皇子の光雄なのか。まずは確かめる必要があるだろう。
自身より遙かに身分が高い相手の素性を探るというのは、無礼であり不敬である。だが、相手が皇族の誰なのか解らない以上、無礼にならない範囲でそれを確かめるスキルが帝国貴族には求められる。もしまかり間違ってしまった場合、最大級の無礼を働いた事となるリスクを負ったまま。
(ああ、もうほんっとに、貴族って面倒臭いなぁっ!)
平伏したまま相手に表情を隠せるのを良い事に、祈は盛大に顔を顰めた。
(なんでこう権力者って奴は無駄に子沢山なんだっ! 帝、種蒔き過ぎっ!!)
祈はこの場にいない帝に対し、心の中で壮絶に悪態を吐いた。もしこれが声に漏れ出ていたならば、祈は確実に不敬罪で斬首だ。
「その方は尾噛…といったか。貴様、家人の躾がなっておらぬぞ? 至高の紅の翼、その意味を知らぬとは…」
帝国に序列を持つ貴族とそれに仕える家人である以上、紅の翼を持つ者が何であるか。それを知らぬ存ぜぬでは通用しない。皇族の男の言う通りだ。
「それは、確かに。正に臣の不徳にござります…何の申し開きもできませぬ。ですが、無礼を承知であえてお願い申し上げまする。全ての咎、臣が受けとうございます。なにとぞ、我が家人には…」
家人の罪は主人の罪。封建の社会において、これは常識である。その枕詞に”建前上は”が付くという現実がある訳だが。
自分の首一つで事が納められるのであれば、祈は自らの首を喜んで差し出しても良い。そう思っている。本当にそれで解決するのであれば。
「ふん。斯様な綺麗事なんぞ口では何とでも言えようさ。今まで働いた無礼を黙っていて欲しくば、己を盛大に歓待してみせよ。満足すればその方の願い、聞き入れてやらんでもない」
ついさっき家人共と口にした辛子明太子と白米の味を思い出し、光秀の口内は溢れそうな涎で満ちた。
素材が良かったのか、はたまた調理人の腕なのか。それは光秀にも解らないが、あの様な粗末なものであってもあれだけ美味かったのだ。これが贅を凝らした宴席の膳なら、一体どうなるのか。期待に胃袋が鳴るというものだ。
(こっちが下手に出ているからって、何とも図々しい奴ネ。主さま、こんな奴ブッ殺そうヨー。髪の毛一筋も残さなきゃ、きっと無問題ネ♡)
(一体誰のせいでこうなったんだと…少し黙ってなさい、蛇おんな)
(本当にそれだけで済むなら安いモンだけれど、ねぇ…?)
祈はもう一度、皇族の男に向け頭を下げた。
家の存亡がかかるだろう一大事が、たった一度の宴席で助かるのであればそれに越した事は無いのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…む。ここは…? 己は…今まで…?」
どうやら酒に酔って正体無く眠りこけてしまっていたらしい。薄暗い部屋の真ん中で、光秀は目覚めた。
上等で珍しき数々の料理と、美味い酒。そして少しばかり幼過ぎたが、美しい女主人の酌も中々に良かった。そんな非日常のお陰もあってか、ついついはしゃいでしまい己の限界を超えて呑んでしまった。
貴族相手ならば、紅の翼をついと見せて少しばかり脅してやるだけで、こうして幾らでも贅沢ができるのだ。それが解っただけでも今回は儲けモノだ。後ろ手に縛られ床を舐めさせられた屈辱の時は、無駄ではなかったと云えよう。
(うむ。こうやって当分の間、貴族の家を渡り歩いてみるのも良いな。どこが一番か、それを確かめるってのも…)
確実にかかっているであろう追っ手から逃げている現状すら忘れ、光秀は自分の都合の良い妄想を頭の中で巡らせた。
酒を呑むのは久しぶりであったが、何とも気分の良いものだと改めて思う。ただ、些か自分の限界を超えて摂りすぎた様で、頭が重いのだけはマイナスであったが。
「おはようございます。み・つ・ひ・で・さ・ま♡」
未だ酒精の抜けきらぬ呆けた頭のままの光秀の眼前に、金髪の男が覗き込む様に顔を出した。
「うおっ! 何だっ?! 貴様っ、何なのだっ?!」
「嫌だなー、臣の顔をお忘れですか? 鳳翔でございます。貴方様の、忠実な臣の、鳳でございますよ♡」
翔のドアップに驚き戦き咄嗟に身体を引こうとした光秀は、僅かな身動ぎすらも許されぬ程にがっちりと捕縛されている自身の状態に愕然とした。
「…うーん。こうやって近くでそのご尊顔を見つめる等という機会は今までありませんでしたが、光秀様って、本当に整ったお顔をしてますねぇ…」
”忠実な臣”の唇が、自身のそれに触れてしまいそうなすぐの距離にまで迫り、光秀は鳥肌と同時に恐怖が浮かんだ。当然、光秀に男色の気は一切無い。
「くそっ! 尾噛っ。貴様、謀ったなっ?!」
「ええ。してやりましたよ、勅命に背き逃亡中の、お尋ね者の、光秀様」
家人の犯した不敬を殊更に強調し、脅してきた人物が光秀で本当に良かった。祈は内心ほっとしていた。
家の為には、あのまま言いなりになるしか祈には手は無かったのだ。そう思えば、幾らでも卑怯にも、残忍にもなれる。
男の度が過ぎれば、美龍の言う通りに髪の毛一筋残す事無く”ブッ殺し”たのだろうが。
「祈クン、通報ありがとう。お陰で表沙汰にならずに済んだよ。今回の一件、本当に皇族の恥になるから、ねぇ」
「いいえ、鳳様。これも帝に仕える臣として当然の責務を果たしたに過ぎませぬ。ですので…」
『光秀に働いたであろう尾噛家の数々の無礼に目を瞑れ』
そう言外に込め、祈は翔に恭しく頭を垂れた。
「くそっ! 嫌だっ! 己は”倉敷”なんぞに行かぬっ! まだ死にたくないっ! 死にたくないのだっ!」
「…はぁ。勅を拒否した時点で、貴方様のお命は、もう無いというのに…」
皇族にあるまじき醜き所行を眼にし、翔は落胆を禁じ得なかった。これでは確かに”皇太子”になれぬのも道理である。倉敷行きの説得を諦め、第四皇子の光秀は早々に切り捨てるべきだ。そう帝に進言せねばなるまい。
(ねぇ、とっしー?)
(うん? なんだよ祈)
まさかこの様な場面で名を呼ばれるとは全く思っていなかった為、俊明は祈の意図がさっぱり分からなかった。
(複製人形型式って、すぐ出せる?)
(ん、まだ封印してねぇからすぐ出せるが…何に使うつもりだ?)
(ちょっと、ね…)
意図は全く読めないが、この際育ての娘の好きにさせてやるか…俊明は半ば諦めの境地でマグナリアの胸の谷間に腕を突っ込んだ。
◇◆◇
「んおっ。なんと奇っ怪な…」
自身の姿そのものの、もう一人の”光秀”の姿を目の当たりにし、光秀は怖気立った。
「光秀様、今からお二人で争っていただきます。敗者は必ず勝者の言う事を聞く事。それで良ぉござりますね?」
「「おっ…応…?」」
光秀も、複製人形型式から派生した光秀’も、理解が全く追いついていなかったが、有無を言わさぬ祈の迫力に、ついつい頷いてしまった。
「ごっ! お、おのれーっ!父にだってぶたれた事が無いというにっ!」
「それは己も同じだっ! クソっ。痛いではないかっ!」
真贋の違いは確かにあるが、どちらも同じ”光秀”だ。姿形だけでなく、その能力も、性分も。全くの生き写しである以上、それと解る様な明確な決着が付く筈も無い。
なのに、あえて祈はそれをやらせた。
光秀の濁った瞳を一目見ただけで、祈は『こいつはダメだ』と、そう思ってしまった。一度も全力を出した事が無い奴特有の、捻た眼だった。
一度全力を出してみれば良い。痛い目を見ながら。同じ能力、同じ精神の者同士であれば、それも叶うのだから。我ながら底意地の悪い事だなと苦笑しながら、祈は事態を見守る事にした。
◇◆◇
「も…もう、限界…だ…」
最後の気力を振り絞って繰り出した光秀の拳が、何の偶然か複製人形型式のリセットスイッチに触れてしまったらしい。息も荒く、気力無く倒れ込んだ光秀と、初期化された式だけがその場に残されてしまった。
「おめでとうございます。光秀様の勝利にございます。”敗者は、勝者の言う事を聞く”。その約束の下の勝負でした。さぁ、なんなりと…」
祈の想定外の事態であるが、約束をしてしまった以上は、それを守らねばならない。恐らくは、光秀’が倉敷行きになるだろう。
あんな出っ張りに重要なスイッチがあるのだ。今後も同じ様なトラブルがあるやも知れぬと解った以上、フォローするために自分も付き合わねばなるまい。祈も覚悟を決めた。
「ほ? そんな話だったか…まぁ、良い。己は初めて全力を振り絞った。あちこちが痛いが、何だか良い気分だ…」
「うん。よく解らないけれど、倉敷に行ってくださいますよね? 光秀様??」
空気を読まず、翔は光秀に問うた。疲労困憊の今ならば、正常な判断がつかないだろう。それもあって言質を取るつもりでの、厭らしい問いだ。
「あー、わかった、わかった。倉敷だろうが、明石だろうが行ってやる。父の言いつけ通り、な?」
”自分”との戦いは、正に死に物狂いだった。あそこで死んだと思えば、これからの事なぞ、軽いものだ。そう光秀は思った。
「あー、よかったー。重ね重ねありがとうね、祈クンっ!」
「え、ええ…まぁ…」
良く分からないが、勝手に最上の展開になった事に戸惑いの色を隠せないが、当人達が良いなら良いか。内心ほっとしながら祈は翔の謝辞を受け入れた。
「あと、ここまでガッツリ関わったんだから、光秀様と一緒に、倉敷行きもよろしくねっ!」
「…はぁぁぁ!?」
…やっぱり美龍の言う通り光秀を始末しておけば良かったかも知れない。
後悔してももう遅い。祈の出陣はこうして決まった。
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