第181話 伊武 光秀
(何故に、己はこうなった?)
光秀は。自らの置かれた境遇を自問せずにはいられなかった。
「この国の警備は一体どーなってるネ? こんな虚弱的賊如きが軍の施設を我が物顔でチョロチョロしてるって、こんなの絶対おかしいヨー?」
「めーめーすごーい! つおーい!!」
(…こんなの絶対おかしい。確かにその通りだ)
…どうしてこうなった?
再び光秀は、自らの胸に問い質す。
あの時、この幼女と関わりさえしなければ、こんな事には。
…悔いた所でもう遅い。光秀は心の中で慟哭した。
『…おじちゃん、だあれ? なんでこんなところにいるの?』
人のまず居ないであろう軍の宿舎の一角に身を潜めた筈なのに、まさかあっさりと発見されてしまうとは。光秀は驚きより先に困惑をしてしまった。
更にその発見者が、軍の施設に居る筈のない幼女だ。光秀の困惑はより深くなった。
「…小娘よ、己は”おじちゃん”ではない。まだ齢80を超えておらぬわ」
「あー、ごめんなさい。はちじゅうって、いっぱいのかず。おじちゃんは”おじちゃん”じゃなくて、”おじいちゃん”さんだねっ」
背に翼持つ人種は、帝国に住まう多種多様な人種の中でも屈指の長命を誇る種族だ。それは世界人口の大半を占める人類種の平均寿命の、4倍以上もある。
光秀の齢は81。人類種に当てはめれば、18~23歳辺りに相当する。当然、”おじちゃん”だの”おじいちゃん”と呼ばれるのは、まだまだ100年以上先の話だ。その筈である。
だが、その様な話を順を追って、懇々と丁寧に説明したとして、果たして目の前の幼女が納得し理解できるのかと言えば…
(…うむっ。無理だ)
光秀は説明する必要をあっさりと諦めた。
年端もいかぬ幼女に”おじちゃん”と呼ばれ腹は立つが、世の理も理解出来ぬ餓鬼を相手にしている時も惜しい。今は追っ手から安全に身を潜める場所の確保が先決だ。
(…待て。この幼女の口から己の行方がついと漏れてしまうやも知れぬ。そうなっては面倒よ)
だが、この幼女をこのまま捨て置く訳にはいかない。
見た目、数え7つといった所か? 身に纏った装束は、かなり上質な布を使っている様だ。少なくとも、質の良い身形でいるということは、幼女はそれなりに高い身分の子弟である証左だ。
舌足らずな言動から察するに、どうやら頭の出来の方はあまり良くなさそうだ。先程の会話からも娘の頭の”残念さ”が充分伝わり過ぎる程滲み出ていた。
『女子なぞ所詮、子を産めさえすれば良い。無駄な金をかけて教育するに値せぬ』
そう割り切って、本当に必要最低限の教育しかしない家も多いと聞く。目の前の幼女の家も、恐らくはその類いなのだろう。なれば相手するだけ時間の無駄だ。光秀は頭を振った。
(すまぬが、己がこの場を離れるほんの僅かの時を眠ってて貰おうか…)
残念過ぎる幼女が騒がぬ様に、大人しくさせる必要がある。そう判断した光秀は、幼女に睡眠術をかけた。
「…う? おじいちゃん。なんか、した?」
「…なん、だと…?」
『お前、相手は幼女だからと心の何処かで侮っていなかったか?』
…そう問われてしまえば、否とは言えなかった。確かにその通りと言えばその通りだ。光秀は自身の驕りを認めざるを得なかった。
だが、それでも中級魔術の一部までをも修めたの一介の魔術士が全小節を完璧に詠唱して発動した睡眠術を、年端もいかぬ小娘如きが抵抗できる筈はない。
睡眠術の発動は、術者の光秀の目から見ても完璧だった。なのに完璧な筈の術は、確かに小娘の手前で術がかき消えたのだ。
(…そもそも己の術は、娘に届いてすらおらなんだというのか?)
目の前で起こった”現象”を冷静に判断すれば、その結論しか光秀には出せなかった。
だが、それであっさりと片付けてしまうには小娘如きに”おじいちゃん”などと呼ばれる訳にはまだまだいかぬ、若き光秀の持つ”魔術士”としての矜持が、決してそれを赦さなかった。
(なれば、今度は中級の深睡眠術ならばっ!)
睡眠術の上位術の詠唱をすべく、光秀は両手を広げ周囲のマナを集めだした。
魔術士の本能で、ついつい無意識で集めてしまうマナの総量程度では、上位術の行使にはまだ全然足りない。
敵の目の前で悠長に長々と呪文の詠唱をする魔術士は、ただの自殺志願者なのだと常日頃から祈は愛弟子達にそう教えていた。
接敵した状態で魔術を行使しようとする無様を、祈は決して赦さない。敵の隙を作り、発動時に僅かにできる隙を、自らでカバーできねば魔術士の名乗りすらも認めないという程に、だ。
もしこの場に祈が居合わせた場合、間違い無く光秀は落第だと言われた事だろう。いくら目の前に佇んでいる者が、ただの無力な幼女であったとしても。
「おー。おじいちゃん、なんかおもしろそうなことはじめたー?」
光秀は魔術を修めた歴とした魔術士の端くれだ。皇族である以上、自身の素養の有る無しに関わらず、魔術を学ばねばならぬ。これは必須項目である。光秀はそんな皇太子候補の中でも高い素養を示してみせた。劣等感の塊である光秀の、唯一誇れるモノ。それが魔術だった。
だが、ここでも光秀は、この世に生まれ出でてから80年余りの人生の中で最早馴染みにすらなってしまった大きな挫折と、劣等感を味わう羽目となった。
「わたしもやるーっ!」
光秀の動きを真似る様に幼女が両手を広げたかと思えば、光秀の魔力の腕の中でしっかと確保されていた筈のマナが一瞬で消え失せ、光秀の魔力の腕は空を泳いだ。
それどころか、光秀が周囲に伸ばした魔力の腕は、虚しく空を掴むのみであった。それは、今この周囲にフリーのマナが一切存在しない事を意味する。その事を知覚した時、光秀の頭は一瞬で真っ白になった。
(まさか…この幼女…が?)
万物の根源たる周囲のマナを、目の前の幼女が全て支配下に修めてしまったという事だ。
魔術士同士の戦いは、周囲のマナの支配率でほぼ決まる。マナを持たない魔術士は、ただの一般人と、何ら変わらない。光秀は魔術士の戦いにおいて、敗北したのだ。
「あは。あははははははは…」
まさか、自身の唯一の取り柄の筈が、無価値であったなんて。
光秀は啼いた。
泣いて、目の前の幼女に殴りかかった。
もう、それしか光秀には残されていなかったからだ。
こちらは大人で、男。向こうは子供で、女。如何に自身が痩身で凡そ肉弾戦に向いていなくとも、子供に負ける訳は無い。それだけがボロボロの精神の支えで。
「ウチのかわいいかわいい静に、何するねっ!」
後頭部に感じた痛みと、女の怒鳴り声。それをそうと知覚する前に、光秀の視界は一瞬にして上下が入れ替わった。
目の前にいる”のっぽの女”に瞬く間に取り押さえられ、縄で縛られ転がされた時の事を思い出し、一人頷いた。
帝の勅の拒否、及び逃走。
軍の施設への無断侵入。
幼女への暴行。
思い返してみれば、確かにお縄についてもおかしくない事を幾つも光秀はしでかしている。
だが、光秀を拘束してのけた目の前の女の出で立ちは、どう見ても正規兵のそれではないし、便女や女房衆のそれでもない。
ましてや、光秀の記憶が確かであればここは軍の施設の筈だ。そもそも、幼女がチョコチョコ気楽に遊び歩いていて良い場所では、決して無い。
「静、もっともっとワタシ褒めると良いヨー。美美は、褒められて伸びる子ネ」
「わたしもそーだよー! かあさまにいっぱいほめられると、もっともっといいこになれるー!」
「そかそかー、美美も静いっぱい褒める-よ。もっと良い子になるカ?」
「うんっ! もっといいこなるーっ!!」
青竜の眷属を見上げ、屈託無く笑う静の表情を見ていると、内から沸々と沸き上がってくる得も言われぬ感情に任せ、美龍はそのまま静を抱きしめ、優しく頬を合わせた。
「ホント、静はかわいーねー」
「うきゃー!」
静も嬉しそうに美龍の抱擁を受け入れ、何度も頬ずりを繰り返す。”他人”を敵視し、その存在一切を無視しようとさえしていたあの時の面影は、今の静にはなかった。
(…一体何なのだ、この茶番は?)
縄で雁字搦めにされて転がされている自分と、目の前に繰り広げられる”のっぽ”と幼女の派手な竜の亜人だろう親子(?)の交流。そのギャップに、光秀は目眩すら覚えた。
(目の前の”のっぽ女”と幼女は、己が何者なのも知らぬ様だ…)
紅の翼を持った光秀の姿を見ても、ただの不審者としか思っていない。その時点で、目の前の”のっぽ”と幼女は帝国の常識を知らぬ者である事は明白だ。
(蛮族の”草”が、すでに宮殿に…? こんな事なら、御所の奥で引き篭もっていれば良かった…)
両手を縛られ動けない光秀は、ここで自身の命運が完全に尽きたのだと嘆くしかできなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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