第180話 新たな国境4
「さて、光クン。ボクの予想通り…いや、遙かに斜め下の展開になってるいんだけれど、それに関して、何か申し開きはあるかい?」
「…無い、です…」
光輝の鶴の一声によって新たな国土となった占領地の統治計画はスタートしたのだが、責任者決定の段階ですでに頓挫しかけていた。
”米子”と”倉敷”の二都市の先に陣を布き、国境の砦と壁を築く。その先まで侵攻を進めるかは、その時々の状況を見て判断する。大凡の計画骨子はそんな所だ。
役人主導による計画立案としては余りにも大雑把過ぎるが、刻々と変化し続ける戦局では、どうあっても行き当たりばったりになってしまうのが基本だ。綿密に立てた所で、結局は糞の役にも立たない。
極端な話、そんな雑過ぎる計画の頭に据える責任者なんぞ、名前さえそれと通る人物であれば、誰であろうと構わない。それこそ、新たに手中に収めた土地さえ最後まで無事に確保できれば。
余程のしくじりをやらかさねば、まず失敗の為様の無い”簡単なお仕事”である。
だからこそ、光輝は自身の”ボンクラ息子共”に、その任を充てたのだ。
なのに。
「土壇場であの野郎、逃げやがったかー…」
「彼なら、”断固拒否”くらいは言うかナー? とは、ボクも思っていたんだけれどさ。現実はまさかまさかの斜め下だよ、うん。そんなクソ度胸あったんだね、彼…」
今回の”任”を充てるのは、第四皇子の光秀と、第五皇子の光雄の次代の帝…”皇太子候補”の二名だ。
有力貴族の後ろ盾を失ってしまった、無力な彼らの”実績”と”名声”を与える為の策だったというのに。
勅書を送りつけた翌日に、光秀の姿は奥の御所から完全に消え失せていたのだ。
「…ああ、僕もびっくりだよ。あの糞餓鬼なら、もしかしなくとも散々ごねるだろうとは、僕も思っていたけどさ。まさか”家出”までするとはねぇ…」
「それだけ彼も嫌だったんだろうねぇ…で、どうする光クン?」
帝の鶴の一声以降、宰相代行の鳳翔にとって、この計画は半分他人事になっていた。どう考えても、計画は失敗するだろう事が目に見えていたからだ。
その一番の”戦犯”と成り得る人物が、事に当たる前にまさかまさかの敵前逃亡。腹を抱えて大笑いしたくなる衝動をどうにか堪え、翔は至極生真面目な顔を崩さぬ様に努めた。ここで喜色満面に光輝をからかっては、軽く200年以上も続く友情すら簡単に崩壊しかねない。
「どうもこうもないよ…全力でアレを捜して。こうなったら首に縄付けてでも、あンにゃろを倉敷送りにせにゃ…」
「了解したよ。でもさ、これはボク個人の見解になるんだけれど、もう彼に見切りつけて、新たな候補を探した方が、良くない?」
『第四皇子の光秀は、第二皇子の光路よりも出来が悪い』
これは貴族間の共通認識だ。
粗暴で、短慮の光路よりも、光秀の評価は一段更に低かった。
彼の努力と姿勢、それ自体は誰もが認めた。だが、その努力や覚悟は決して実る事は無かった。
確かに彼の能力は、皇家の血の証が示す通り、きっと高いのだろう。
彼の問題は、何をやらせてもとにかく間が悪過ぎた点だ。
そして、元来のコミュ障が、事態の悪化に拍車をかける。
光秀が関わった案件は、どれもこれも必ず泥沼に陥る。貴族社会では、もっぱらの評判なのである。
『己が動けば動いただけ評価が下がるのであれば、もう何もしない方がマシだ!』
光秀は拗ねた。
それからというもの、彼は御所に引き篭もり、決して表舞台に出て来なくなった。
その様な経緯を知っているからこそ、翔は今回の計画において、光秀を使う事に難色を示したのだ。
「特に”倉敷”の地は、内海からの襲撃にも備えなきゃならないんだからね? ”獣の王国”の脅威は無くなったとしても、死国の方の蛮族は、そのまま健在なのを忘れてもらっちゃ困るよ、光クン」
「それは重々承知しているつもりだよ、翔ちゃん。内海側の脅威も承知しているし、外海側の脅威にだって、僕は侮ってなんか無いさ」
死国の地。
”海魔”の棲む修羅の地と言い伝えられる、正に死の国だ。
列島と死国を隔てる内海は、潮の流れが激しく、とても複雑で読みにくい。帝国の船乗りなぞは、絶対に内海に入らない程だ。
そんな荒い内海を自在に駆ける事から、彼らは”海魔”と呼ばれていた。
彼らは内海から攻め上がっては略奪と殺戮をまき散らし、血に飽きた頃また内海へと去っていく。内海に面した地は、彼らの暴力という脅威に対し、常に怯え暮らさねばならぬのだ。
そんな地を光秀に任せるなんて…と、立場上はっきり言う訳にいかない翔は、迂遠な言葉で繰り返す。
「だからこそ…なんだよ、翔ちゃん。確かに倉敷の防衛は、とても難しい筈だ。そこを守り統治ができれば、あの子の確かな”実績”になる」
この任を全うできれば、光秀の評価は劇的に変わるだろう。第一、第二皇子の背後に隠れているつもりになっている貴族共の危機感を煽るくらいには。
「でもさぁ…いや、分かった。皇子を探そう」
翔はこれ以上の親友に言の葉を募る無益さを感じ、押し黙った。
倉敷統治の責任者に光秀を据えるのは、この際仕方が無い。諦めよう。
勅を前にして姿を眩ます様な臆病者だが、帝の決定である。仕方が無い。だが、だからと云ってそれが原因で、折角占有せしめた豊かな倉敷の地を失う訳には、帝国の政を一手に受ける身として、決してあってはならない。
ならば、どうするか?
帝国の一番の、”最強の戦力”を、光秀の下に付ける。だが、指揮権はくれてやる必要なぞ無い。
指揮権云々と言っても、その”最強の戦力”は、帝国宰相代行である鳳翔相手ですらも、平気で無視して退ける様な人物なのだが。
「まぁ、祈クンが素直に従ってくれるとは…ボクも思ってないけど、さ…」
彼女を怒らせて以降、翔はずっと針の筵に座らされていた。
凍ってしまいそうになる程の冷たい瞳で射抜かれ、言葉を交わす以前の問題になってしまっている彼女との楽しき上下関係は、未だ継続中なのだ。
その様な状況で、果たして彼女が命令を聞き入れてくれるかどうか…
翔はその光景を何と無しに想像しただけで、胃がしくしくと痛み出して挫けそうになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
紅の翼を持つ青年は、現実から逃げ出さずにはいられなかった。
帝の勅は、どうしても彼には受け入れ難いものだった。成功して当たり前、もし失敗すれば、それを理由に消されるのだから。
彼は、自身の間の悪さと運の悪さをよく弁えていた。
多分、今回の勅に従い彼の地へ赴いた所で、自分が関われば失敗する事はまず間違い無いだろう。
一晩かけて”倉敷”の地に関する資料を色々と漁ってみたが、そのどれもが彼の”予感”を補強するのに充分だった。
(なれば、己は逃げる。暫し姿を眩ませば、何れ父も諦めてくれる筈さ…)
だが、御所から外の世界を殆ど知らない光秀は、太陽宮から出るという発想は全く無かった。
だから、宮の中の施設に隠れた。
なるだけ、人の居ない筈の施設に。
だが、その判断は、どうやら失敗だったのかも知れない。
光秀の表情は、困惑の色を隠せなかった。
ここは、軍の施設だ。士官宿舎は言っても当直者が利用するのみで、基本空きスペースだらけの施設の筈だ。
その、筈なのに。
(何故、この様な所に、幼女が…?)
「…おじちゃん、だあれ? なんでこんなところにいるの?」
薄暗い部屋の机の下に身を潜め息を殺し蹲っていた光秀は、黒髪の幼女と眼が合ってしまい、声を掛けられて困惑の度合いを更に強めた。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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