第18話 なれば、ここで死ぬるか?
「てめぇはぜってー許さねぇ。俺の仲間を傷つけた事を、死ぬまで後悔させてやんよ」
沸き上がってくる怒りと反比例するように、徐々に思考が冷めていくのを雷太は知覚していた。
冷静に状況判断する能力は、闇に生きる者にとって必須技能だ。
怒りに我を忘れる様では、戦場では決して生き残れない。ましてや、目の前の小娘は、仲間を無力化してみせた手技から判断する限り、かなりの手練れであるのは明白だ。
(とんでもねぇぞ、この女ぁ……あいつの四肢の付け根の腱に、鏢を正確に撃ち込んでいやがる。完全に手足を殺されてやがらぁ)
こんな重い太刀を抱えていては、どう足掻いても状況は好転しないだろう。雷太は腹を括る事にした。
太刀を放り捨て、腰に差していた小刀を抜く。
「ほほう、許せぬとな? では問うが、勝手に我が家の邸内に入り込み、家人たる二人を殺し、さらには蔵を荒らす。そして見つかれば問答無用で襲いかかる狼藉三昧。挙げ句降りかかる火の粉と払いのけてみれば、こうして逆恨み。そこに何ぞ申し開きはござらんのか?」
「ごちゃごちゃうるせぇ! そんなの簡単に入られる方が悪ぃんだよ! おめぇは俺の仲間を傷つけた。それが許せねぇって言ってんだ!!」
「……なんと。盗人如きと思おておったが、ここまで言葉を交わす価値のない狂犬とはな……殺す楽しみのみを知り、殺される覚悟の無いただの屑か」
所詮盗人なぞ、こんなものであろうよ。溜息をつきながら、武蔵は祈へ語りかける。
(さて、補習の続きでござる。こちらの動きを警戒している敵と正面きって相対する場合、先ほどの様な手裏剣の投げ方では、まず当たらぬ。ではどうするか? 無駄な動作を極力減らし”起こり”を相手に気取らせない投げ方をする必要がござる。つまりは手首、肘、肩、腰の4カ所の関節のみを用いた投擲法にござる。当然威力が落ちるので、狙う箇所は守りの薄い所が基本となり申す。眼、首の急所や、鎧の隙間など……あと、目の前の愚か者には特に有効な箇所が……)
「っごっ?!」
一瞬、娘の手が煌めいたと思った時には、激しい痛みと共に雷太の下腹部に2本の鏢が生えていた。
(全く見えなかった……何だ? 早すぎるなんてもんじゃねぇ。もしかして俺はこの娘の前に立った時点で、すでに化かされていたとでも云うのか?)
「阿呆ぉが。敵に正中線を晒したまま惚けるとは、貴様戦いを舐めておるのか?」
(この様な下腹部、股間辺りにござる。例えばでござるが重鎧に身を包んだ騎士の中でも、ここはほとんど装甲の無い部位に成り申す。足の動きを阻害してしまう為か、前垂れの無い鎧は割と多いので)
雷太の構えは両手を脱力し、敵に正面を向けて立つものである。それは敵の動きに即座に対応できる、経験則に基づく彼のオリジナルだった。しかし、それはあくまで、”敵の動きに反応出来れば”という大前提があって初めて成り立つ。本当に不確かなものでしかなかったのだ。
武蔵にレベルの達人にとって、雷太の取った決死の構えは、無為に人体の急所全てをさらけ出している阿呆の行為そのものでしかない。
戦いにおいての構えとは、自身の急所を隠し、敵の攻撃の被弾面積を減らすのが主目的である。現代に続いている武道の大半が、眉間、喉、みぞおち、金的の通る正中線と、顎、心臓を隠す為に、右半身の構えを主にしているのには、ちゃんとした理由があるのだ。
(斯様に、下腹部とは正面を守る骨が無く、筋肉の層が薄い為、容易に内腑に刃が届き申す。人間案外頑丈だと先刻申しましたが、臓腑が傷つけば、存外あっさり死ぬ生き物でもあり申す。ちなみに今撃ち込んだ箇所は、小便が詰まった腑にござる。ここが傷つけば、即座に小便の毒が身体に回るのでござる)
(武蔵さん、あんた本当にえげつねぇよな…)
(それは、褒め言葉と思うてようござるか?)
(あたしちょっとアンタとの今後の付き合い方考えるわ…なにこの脳筋こわい)
(拙者、マグナリア殿だけには、本当に言われたくないでござる。脳筋度はそちらの方がよっぽどによっぽどでござれば……)
「ち、ちくしょう。痛ぇ……一体、何が、何があった? 痛ぇ」
未経験の痛みに、雷太は小刀を落とし膝から崩れ落ちた。血と小便の混ざりあった液体が股間を濡らす。あまりの痛みと、小娘如きに何もできないまま無様を晒す情けなさに、どうしようも無く涙がこみ上げてきた。
「下郎が。大人しく縛を受けよ。まだ抵抗する様なら、奥の二人同様、このまま地獄へたたき落とす」
「う、うる、せぇ……どうせ、こ……このまま大人しく捕まっ……ても、最後は、殺すんだろ? だったら、死ぬまで暴れてやんよ」
脂汗を垂らしながらも、祈を睨み貫くかの様な視線の中に籠められた殺気はとても強かった。
「左様か。なれば、ここで死ぬるか?」
娘が放り投げた太刀の所へ瞬間移動した。雷太には、そうにしか見えなかった。
雷太が全身に気合いを込めて、両手でなければ持ち上げられなかったあの重すぎる太刀を、娘が片手で難なくヒョイと拾い上げるのを見て、雷太はもう渇いた笑いしか出なかった。
(ああ、ここまでバケモノだったのかよ……すまねぇな…お前の忠告、素直に聞いてりゃ良かったわ……)
傍らに倒れたままの仲間の姿をちらりと見る。まだ微かに息がある様子に安堵し、手にする太刀の長さと身長がほぼ変わらない小さな死神の歩み寄る気配に、雷太は静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「武蔵さん、そこに正座な?」
「その前に、そこ一帯に毒の沼作り出しても良いかしら?」
「それは流石に困り申す。マグナリア殿の作る毒は、魂魄すら腐り果てるので…」
あのあとの処理が大変だった。
盗人の頭目を鞘で打ち付け昏倒させ、警備の人間を呼びつけてみたら、何故か望までが飛んできての質問攻め。これはたまらんと、祈に身体の主導権を戻してみれば、急に祈が大泣きし始めてしまい、なだめすかしても一向にとまることのない少女の涙に、全員で頭を抱えた数刻。
離れに戻ってしばらくし、ようやく泣き疲れ眠った祈を、家臣の言葉に後ろ髪を惹かれる思いで渋々従った望が帰った後の、訪れた平穏であった。
「今回の件は、さすがの俺も黙ってる訳にいかない。やり過ぎだ、武蔵さん」
「そうね。あたし達守護霊の範囲を大幅に逸脱してたわね…ってーか、ズルいわムサシ。あたしもイノリちゃんと合体してみたいわっ」
「その件に付いては、拙者何も言い訳はござらぬ。拙者がああせねば、祈殿は軽く数度死んでおったのは否定せぬよ」
守護霊の本懐は、『危うきに近づかせず』が鉄則である。危険が起こる前に、そもそも危機が起こりうる場所に、行かせない様に仕向けるのが仕事なのだ。
今回の様に、火中に望んで飛び込むなどもっての外。ましてや危機に対して、守護霊自ら率先して首を突っ込むなど前代未聞の出来事なのである。
「まぁ正直言えば、今回祈が取った行動は、色々足りない説教ポイントだらけだったのは否定しないがな……あと確かに武蔵さんの言う様に、『祈に覚悟が無い』のが一番の問題っちゃ、問題だなぁ」
誰かを守る為に戦うということは、危害を加えてくる明確な敵を相手に戦う事でもある。
常に戦いの人生を歩んできた三人にとって、戦うということは「敵を殺す覚悟」を持つ事。そして当然、返り討ちに遭う可能性もある訳で「殺される覚悟」も極々自然の事として受け入れていた。
覚悟さえできていれば、刹那の判断で迷いが起こる事はほぼ無くなる。
刹那の迷いによって、人は簡単に死んでしまう。
迷いは動きを、判断を鈍らせる。
自分が死ぬだけならまだ良い。それによってパーティの仲間を、所属する部隊を、危機に晒す事態もあり得るのだ。
だから、覚悟の無い者がノコノコと戦場に出て来るのは、”戦士”たる三人にとって軽蔑するには、充分過ぎる理由になり得たのだ。
「そこはそれ。祈殿が『もう二度と戦いたくない』と言って下されば、それで済む話にござる。祀梨殿が望んだ、女の幸せという生き方をしてくださるのならば、それに越したことはござらぬ」
だから、無理矢理祈に人を殺すという経験をさせたのだ。
そう武蔵は嘯く。
「でも、それってイノリにできるのかしら……あの娘、わりと理想高いわよ?」
「ああ、出来過ぎたあの異母兄が基準じゃ、確かにそうだろうなぁ……あれ、時代が時代ならマジでリア充だぜ?」
リア充大爆発しろ。俊明は諸手を挙げて、どかーん。と叫んだ。
過去に色々やらかした結果、立派なヒキコモリニートにジョブチェンジを果たした俊明にとって、望の様なキラキラした充実人間が一番嫌いであったのだ。
「まぁそんな事はどうでも良いけど…どーすんの? イノリのコレ…」
「う゛ぅん……あぁぁぁ……やだぁ、やめてぇ……」
先ほどの殺しの感覚を反芻しているのか、祈は酷く魘されていた。
額には珠の様な汗が浮かび、必死に首を左右に振る。
「……これさ、完全にトラウマになってね? 武蔵さん、やっぱり正座な?」
「それじゃ、毒沼作ろっか?」
「「やめて」」
「うあああああああああっ!!」
祈の叫びと共に、大きな音を立てて、木の床に鋭い刃が突き刺さる。
床に突き刺さったそれは、祈の腰部からぬるりと伸びていた。
真っ白で鋭く尖る鱗に覆われた、立派な立派な尻尾であった。
「「「どーすんべ……(でござ)」」」
誤字脱字あったらごめんなさい。




