第177話 新たな国境
「さて。困ったよ、翔ちゃん」
「そうだね、光クン」
この国で一番偉い存在と、それに次ぐ存在の翼持つおっさんの二人組は、御所の一番奥の部屋で頭を抱え唸っていた。
二人の前には、精巧で事細かに描き込まれた列島の地図が広げられていた。
「今更の話なんだけどさ、ホント帝国って、人材いないよね…」
「うう、ごめんよ。光クン…全部ボクのせいだ…」
翔は光輝に申し訳なさげに頭を下げた。
帝国に、若く優秀な人材は居ない。その直接の原因は、自身の権勢を脅かす存在の台頭を絶対に赦さなかった牛頭豪にあるが、同じ”四天王”の翔が掣肘出来なかったのも悪いと言えばその通りなのだ。
首脳部全員の突然の失踪によって空白となった”獣の王国”の国土を掠め取る。その作戦行動の結果自体は、当初の目標であった”倉敷”の確保も成り、上出来と言えた。
だが、そこで問題が浮上した。
多くの土地を占領したのは良いが、帝国には統治を行える人材が不足していたのである。
「倉敷から先の土地に”国境”を設定する。それは良い。だけれど、倉敷の街とその周辺を統治できる人材が…」
「如何に新たな”国境”となる所だとはいえ、流石に鋼クンを倉敷に置くのは酷だ。彼は一度本国に戻す。でも、変わりになる人材が…」
牙狼鋼は、一兵卒から成り上がった生粋の武人だ。兵の心理を良く掴み、戦場で多大な功績を残してきたが、厭くまでもその手腕は戦場でのみ輝く。
統治は内政に重きを置いた能力が必要で、当然彼には向いていないだろう。副官であり弟の鉄ならば、その才を十二分に活かせるのだろうが、鉄が兄の鋼の元を離れる気が無いのは、翔も重々承知している。
内政と云えば、領地経営に確かなノウハウを持つ者が適任だ。何れ恩賞として、貴族共に土地をくれてやるのは構わない。だが、今は直轄領として確かな支配と足場の確保が必要である以上、この任に中るのは、帝国内で役職を持った人物でなくてはならないだろう。
領地経営のノウハウを持ち、帝国内に役職を持つ優秀な貴族となると…光輝の頭に、一人の名前が浮かんだ。正確に言えば、その一人だけだったのだが。
「…尾噛の、望君を使う訳には…当然、いかない…よ、ね?」
「ちょ、ちょっとそりゃあ困るよ光クン。彼はもうすぐ新婚さんになるんだよ? 君さ、ボクに孫、抱かせる気無いでしょ?」
望はもうすぐ翔の娘である空を娶り、鳳家と親戚の契りを結ぶ予定だ。
なのに、丁度今のタイミングのここで、何時終わるとも知れない”戦場”の国境の防衛と統治を命ずるなんて、外道になれる訳は無い。そんな事、近い将来に親戚となる身でなくとも、ましてや他人であってもあり得ない。あってはならないと翔は思う。
「国替え…」
「そんなの、もっとダメでしょ!? 今の”尾噛の荘”は、望君の苦労が漸く実って豊かな国になってきているんだから」
尾噛の里は、今年も豊作が見込まれる豊かな国だ。また、簡素ではあるが湾港の整備も着実に実を結び、海運事業にも乗り出す計画も挙がっているとの報もある。
ここで国替えを帝の勅によって強引に行っては、その手柄と実利全てを帝が掠め盗る形となって、非常に体裁が悪い。
更に言えば、倉敷とその周辺は豊かな土地であるとは聞き及んではいるが、蛮族がどの様な政を布いていたかは、良く分かっていないのだ。その様な所と交換しようねと言われて、誰が納得できようか。
「…ダヨネー。さて、本当に困ったな…」
「…光クン、本当に頼むよ…今みたいな事言ったら、ボク本当に望クンに縁切られちゃうよ…」
望が単身倉敷へと赴く事になれば、下手をすれば縁談が白紙になる可能性すらある。両家にその気が無かったとしても、他家の横槍が入りかねない非常事態になるのだ。
空も同行する方向で考えても、安全の面から言っても父親としては承服しかねる。彼の地の安全がどこまで担保されるか、それは未知数だからだ。
「もういっそのこと、若手の子にやらせちゃう?」
「…いくら何でもそれはダメだよ、光クン。お試しでやるには、あまりにも危険が大きすぎる」
他国との無駄な衝突を避ける為、安全を取って倉敷までで侵攻の足を止めた以上、そこまでの土地の支配の確保は最重要命題だ。である以上、そこを実力未知数の者に任せる訳には絶対にいかないのが、政を預かる身としての本音なのだ。
「…しゃーない。ウチのボンクラ息子共を行かせるかなぁ…」
「えぇ-? それなら、まだ若手使った方が…」
『…まだマシだ』
そこまではっきりと翔は口にしそうになって慌てて噤んだ。
帝は未だ次代の皇帝を指名していない。
第一皇子の光公、第二皇子の光路はすでに妻帯しており、帝国の公務に従事し、第三皇子の光義が謎の失踪を遂げてしまったが為、恐らくはこの二人のどちらかが次代の皇帝になるのだろうと、貴族達の間では思われている。
第四皇子の光秀、第五皇子の光雄は、取り潰されてしまった伊武家、牛島家という、有力貴族の後ろ盾を失ってしまった皇子であるが為、皇帝レースから脱落したものと見られていた。
例え未だ伊武、牛島の両家が健在であったとしても、人物評が二人ともあまりにも低いので、そもそも芽は無かったのだが。
光輝の言う”ボンクラ息子共”とは、この両名を指している。それが嫌と言う程に分かりきっている翔は、どうしても首肯できないのだ。
「うん。君の言いたい事は解るつもりだよ、翔ちゃん。でもね、いい加減あのボンクラ共に、何かしらの”実績”を求めてかないとね…」
後ろ盾を失ってしまったにもかかわらず、光秀と光雄は何も行動を起こさず、彼らは御所の中で日々を無為に過ごすだけなのだ。父親としても、帝としてもそれを見逃し続ける訳にもいかなくなっていた。
「でも、光クン。だったら…」
『別に倉敷行きを実績にしなくても良くない? あの二人じゃ、絶対失敗するよ?』
翔はそこまで言い切ってしまいたい衝動を、ぐっと堪えた。確かに翔は、光輝を公私共に支える存在だ。だが、彼の息子達…皇子達となると話は変わってくる。臣下としての立場で、物を言わねばならないのだ。
「本音を言えばね、翔ちゃん。僕は一光を出したいんだ。でも、それは流石に…ね?」
第六皇子の一光ならば、能力も実績も申し分無い。恐らくは大過なく勤めを全うするだろう。ひょっとしたら、その先の土地にまで支配域を広げる可能性すらある。一光の手腕なら、そこまで求めてしまっても良い位だと光輝は思っていた。
だが、それでは一光の功績だけが突出し過ぎてしまう。容易に暗殺をも計画する有力貴族達の眼を逸らす腹積もりもあって”魔の森”の掃討の任を半ば強引に押しつけたのに、それでは本末転倒になってしまう。
「だけれど、もう伊武はないんだよ、光クン。もう古賀のボンを皇太子に指名しちゃっても良いんじゃないかな?」
「いや、まだそれは時期尚早だよ翔ちゃん。まだ徳田と蘇我が残ってる」
光公の後ろ盾となっている徳田と、光路の後ろ盾の蘇我。この両家の存在が一光の身に影を落とすだろう。そう光輝は見ていた。である以上、すぐに皇太子の指名を避けるのは当然の事である。
「…あの二人がもう少し能力あったら、こんな事で悩んでなんかないんだけれど…」
光公は広い視野を持ち、それなりに見識も深いのだが、そのせいだろうか優柔不断で、ここぞの決断力に欠け、また人の話を聞き過ぎるが為、思考の迷路に簡単にハマり込む。補佐にするには良い人材なのかも知れないが、およそ頭に立たせてはいけない人物だ。
対して光路は単純に短慮だ。この二人に至尊の冠を戴かせては、帝国滅亡の日はすぐそこに迫る事だろう。
「だからね、あの二人に、一応の機会を与えてやらないとダメなのさ。”魔の森”掃討と、斎宮周辺の再開発で、一光の評価が上がりすぎている。このままではあの子の身が危ないからね」
倉敷までの占領は、元々棚牡丹の事だったんだから、大目に見てやってよ。
そう光輝は翔の肩を叩きながら苦笑いを浮かべた。
「でもさ、補佐をする優秀な人材って、もっと帝国に居ないんじゃないのかな?」
「…うっ…」
翔の指摘は、光輝にとって最も痛い所を突いたらしい。呻く様に一言口にしただけで動きが止まってしまったのだ。
「そこかー、そこなんだよなぁー。それを指摘されると、僕としては一番辛い…」
「でしょ? 多分、そのまま統治できる人材を捜した方が早いまであるよ」
できればそっちで検討して欲しい。あの二人の能力は確かに未知数だ。だが、それを天秤にかけるのには、倉敷までの土地は、政を任されている翔にとって、あまりにも魅力がありすぎた。
「いや、でもこれは決定でお願い。もういっその事、この件は”人材育成”って事で割り切っちゃって欲しい」
「なら仕方無い。それじゃ、その補佐の人材を早急に見繕わなきゃ、だね…」
(でも、それのせいで、ボンクラ共の世話を押し付けられる羽目になった周りの人間達が、より不幸になるんじゃないかな…?)
そうは思っても、立場上それと口に出せない翔は胃が痛くなる思いだった。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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