第176話 その後始末的な話13
「かあさま、それなぁに?」
「うん? これはね、あなたのお着物。今から縫ってあげるからねー」
「おおー…」
静の魂の内から戻ってきた祈は、今まで以上に”母”であろうと心に固く誓った。
何故そう思ったのか。静に対して同情や哀れみが一切無いと言えば、それは確かに嘘になる。
死するその時を待ち望んだ筈の静が、”祈”の魂の光に、救いを、生きる意思を見出したのだ。
その気持ちに報いてやれずに、どうして静の母を名乗れようか。ただ、それだけの事であった。
(でも、あれで良かったのかな…?)
邪竜は、静の母が病死してから後の、記憶一切を消し去ってしまった。
(ええに決まっておろ? あの様な忌む記憶を抱えて、生きていける筈は無し。全ての責は我に在る…それでええさ)
確かに、あの様な凄惨な記憶を抱えて一生を歩み続けるのは辛かろう。それは祈も分かる。
だが…その是非を決めるのは、唯一本人のみ。その様な考え方を、どうしても祈は捨て切れないでいるのだ。
(…ほんにお前は頭が堅いの。此度の一件、全て我が勝手にやった事じゃ。ま、娘の母として我に文句があるならば、特別に聞いてやっても良いぞえ?)
(もぅ…ありがと…)
祈は、感謝の気持ちを込め、心の中で何度も何度も邪竜に頭を下げた。
静を想う邪竜の気持ちは、もしかしなくとも”母”を名乗る祈よりも深いのだろう。
そうでなくば、危険を承知で静の精神世界に飛び込める訳が無いのだから。
「みんな、すごいすごい!」
静のためにと、琥珀や蒼が幾つも布を用意しては裁断し、美龍は祈と同様に布を縫い合わせる。
布を裁ち、縫い合わせる祈達の手は一切の淀みが無く、徐々にそれと分かる程にかたちが出来上がっていく課程を、静は嬉しそうに眺めた。
「静さまがもう少し大きくなったら、一緒にやりましょうねー?」
「いいねソレ。美美、静にコツ、いっぱいいっぱい教えるヨ!」
「実はアタシ、縫うん苦手なんっちゃんね。静ちゃんと一緒に教えてくるぅと嬉しかばい」
「良かったねー、静? ほら、お姉ちゃん達が教えてくれるってさ」
「おおー。おねえちゃんたちありがとー!」
静は祈以外の人間を敵視する様子も無く、今では屈託無く接する事ができる程になっていた。確かに邪竜の判断は間違っていなかったらしい。…甘えん坊さんである事に変わりが無いのだが。そこは静本来の性なのかも知れない。
琥珀や美龍と競う様にご飯をかっ込み、呪術を学ぶ蒼の横に机を並べて読み書きに励む。
祈達の手が離せない時なぞは、女房衆に遊んで貰う事もある。
静は祈の知らぬ間に、尾噛家関係者全員のアイドルになっていた。
「そりゃあねぇ。あんなに可愛いんだから、そうなっても不思議じゃないってゆうか、てゆか…」
立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿はめちゃ可愛い。
静を語る際の祈の幸せなニヤけ顔は、まるでトロトロに溶けていく様で、端的に言ってしまえば果てしなくダラしなかった。
「…”目に入れても痛くない”とは、ああ云う人が吐く台詞なんでしょう、ねぇ?」
「なー? アタシ、ちょっと引いたけん。親バカって言うんやろ? ああいうの」
「静、良いなぁ…美美も、主さまにいっぱいいっぱい可愛がって欲しいヨー」
そうと雑談を続けている間も四人の手は一時も止まる事は無く、静の着物を次々と量産していく。
そんな様子を、静は飽きること無く、大きな瞳をきらきらとさせながら興味深げに見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まさか、大魔王のかたちを真似てくるってなぁ…」
邪竜が語った顛末に、俊明はいつもの様に額をぺちぺちと指で叩きながら唸った。
「またえらく器用な真似をする。人の持つ”悪意”とは、そこまででござるか」
「てゆーか、ホント大魔王どこまで祟りやがるんだって…」
武蔵もマグナリアも流石に驚きを禁じ得なかった様で、言葉を最後まで紡く事は出来なかった。
「ほんにな。異界の”魔王”とやらめ、何処までも我らの前に憚りよる」
邪竜も苛立ちを露わに、かの”大魔王”を罵った。
静の事だけに関して言えば、そのお陰で今の”静”が在るのは間違い無い。悪し様に言い募る訳にもいかぬ所が、邪竜にとってまた憎たらしい。
「これ以上は我慢ならん。彼奴、完全に滅せぬのか?」
「…それができりゃ、生前のあたしだって苦労してないわよ。てゆーか、アレを完全に駆除するって、きっと無理でしょうね…」
自身の”因子”を接触者の魂の内に強制的に植え込み、そうと知られる前に存在全てを乗っ取る。そんな能力を持つ化け物を、一体誰が相手できるというのか。マグナリアは嘆息した。
「俺達や、祈達の誰か一人でもアイツと対峙できさえすれば、確実に滅ぼす事はできる。だが、ここまで蔓延ってしまったら、もう完滅は無理だ。それこそこの間やったアレを、全世界規模でやらんとなぁ…」
八幡の街とその周辺の村々全てを覆い尽くした奇襲。あれすら<五聖獣>の祝福があったからこそ成功しただけに過ぎない。それを全世界規模にとなると、印の完成だけでどれだけの時間がかかる事やら…まずその前に、祈達の生命力が保つ訳が無い。俊明はつるりと額を撫で上げた。
「確かに、如何に祈どの達が<五聖獣>の祝福を受け超越の存在に成ったとて、その規模は流石に無理がありましょうな…」
「そういう事。物理的に不可能だ。まぁ一応、五聖獣達が言うには、列島の駆除だけは終了したらしい。新たに入ってこない限りはもう気にする必要は無い筈さ」
「…それ、『フラグ』って言うんじゃなかったかしら?」
「あー、あー、やめて。聞きたくない」
「あ。もぉー、ちょっと-、ちゃんとあたしの話を聞きなさいよー」
「…ほんに此奴等は、緊張感が全っ然保たぬの…」
じゃれ合う二人を横目に、邪竜は溜息を吐いた。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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