第173話 母親
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静は、養母の祈に依存し、他者には一切心を開かない。それどころか敵視さえしている。
…どうしてそうなってしまったのか?その原因を、邪竜は娘の魂の内に在る”記憶”に求める事にした。
娘の魂の内に、深く深く潜る。それは、邪竜にとって造作も無い事だ。
邪竜は寝所へと向かう。静の内に潜り込む為に。その後ろには、俊明達守護霊が控えていたが、その誰もが緊張によってか表情が硬い。
その中でも特にジグラッドとセイラの二人の心理的負荷は、途轍もなく大きなものとなっている筈だ。護らねばならぬ娘の魂の内に、今から異物が入るというのだから。
「…で。こんな時間に、何の用かな?」
いつもの様に部屋の壁をすり抜けてみると、そこには養女を守る様に祈が正座をして彼らを待ち構えていた。
静の元へ向かうという事、それ即ち祈の元へ赴くという自明。邪竜の計画は、”祈”という最大の障害がある事を失念していた時点で、最初から破綻していたのだ。
「デスヨネー」
皮脂で微妙にテカる額を4本の指でピシャりと叩き、俊明はからからと笑った。
祈は一度深い眠りに入ってしまえば、自身が生命の危機に陥る様な事態に直面しない限り、まず起きる事はない。だが、その傍らには愛すべき娘が眠っている。”母”が絶対気を抜く筈はないのだ。
ふと周囲を見渡せば、守護霊達は全て不在。さらはに静の守護霊までも居ないとなれば、異常事態とみて間違い無い。祈が不寝の番を覚悟するのも当然の事である。
俊明達が不在になるのは毎度の事なので、それだけならば祈も特に気に留めはしなかっただろうが、ジグラッド達まで呼んだのは、どうやら不味かったらしい。邪竜は愛娘の律儀さに舌打ちをせずにはいられなかった。
「うぬ、何を言っておるのだ? 我らは楽しい楽しい歓談を終え、今戻ってきたところじゃよ?」
そう嘯く邪竜の後ろには、ぞろぞろと守護霊達が全員揃っていた。確かにこの場面だけを切り取れば、邪竜の言う通りの様に見えなくもない。
「嘘だ。あなた達の顔は、全然そんな事言ってないよ。ほら。皆、今から戦いに赴くみたいな、怖い顔…」
血を連想させる様な、深い深い紅玉石色の瞳に見据えられては、到底隠し事はできぬ。祈の言葉に、思わず表情を検めるかの様に頬を撫で上げてしまっては、言い訳なぞできはしないのだから。
「…やっぱお前さんにゃ敵わねぇな。ああ、そうだ。今から俺達は、戦いに赴く」
考えてみなくとも、祈は当事者の一人だ。全てを終えるまで隠し続けるなんて、最初からできる訳がないのだ。少し寂しい前髪をかき上げながら、俊明は降参した。
「…戦場は、静…かな?」
「…ご明察。お前さん、最近ホント可愛げ無くなったよな…」
こちらの思惑が全て筒抜けてしまっている。
娘の成長を素直に喜べば良いのか、手元を離れてしまった事に嘆くべきか。育ての親として複雑な心境を抱え、俊明はついつい憎まれ口を叩いてしまう。
「そりゃあ…ね? もう私だって”母親”、なんだかんね」
安らかな寝息を続ける養女の髪を優しく撫で梳き、祈は慈愛に満ちた母親の顔を、確かにみせた。
(母は、子によって本当の母となる…か。言葉の通りだな)
つい先月まで見た目通りのただの小娘でしかなかったというのに、娘とほんの数日暮らしただけで、こうも時々はっとする様に急に大人びた女の表情を浮かべてみせる。これが男の子では、なかなかこうはいかないだろう。
「…そんな訳じゃ。我とそこのハゲ眼鏡が今から娘の中に入るでな。邪魔立てせんでくれよ」
「邪魔する気は無いよ。けれど、私も連れてって。私も、魂の内に入った経験があるんだから、役に立たないって事は無い筈だよ」
静の身を案じているのは、邪竜だけではない。
あの街で、祈の袖を引っ張り精一杯の救いを求めてきたのは、確かに静の意思だった筈だ。
それに応えた以上、彼女の生に責任を持つ。その覚悟をもって、祈は静の母になる決心を付けたのだ。ただ指を咥えて見ているだけ…なんて、絶対にできない。できる訳が無い。
「…おい、祈も良いよな?」
「…ね? お願い」
『否である』
邪竜は、即座にそう返答するつもりだった。
だが、まさかハゲ眼鏡の方から”祈も連れていこう”…なんて、言ってくるとは邪竜は全く思っていなかった。
(むう、計画が狂った。このままでは、色々と不味いのぉ…)
祈だけは、絶対に巻き込みたくない。それが邪竜の本音だ。
今から入る娘の内に在るであろう”記憶”を、祈にだけは見せたくなかったからだ。
恐らくは、凡そ考え得る人間のあらゆる”悪意”、その縮図を様々と見せつけられるだろう。
静の肉体その内には、幾つもの死病に冒されていた。
それだけでなく外傷によるものであろう、肉体のあちこちが腐っていた。
そのどれもが、ただ普通に暮らすだけの町娘にあって良いものではない。
人の持つ”悪意”の記憶。 果たして、それに祈の心が耐えられるのか? 正気を保っていられるのか? 邪竜には自信が無いのだ。
「お前さんの心配事は俺も何となく想像付くけどよ、祈はそこまでヤワじゃない。お前さん、過保護過ぎンだよ」
「なっ…?」
ずっと『ハゲ眼鏡』と侮っていた。そんな男の言葉が、邪竜の図星にグサリと深く刺さった。
永い刻の間に散々見続けて来た、げに醜き人の”悪意”を、ずっと知らないままでいて欲しい。それは保護者としてのエゴだ。
「それ、アンタが言えた台詞じゃないと、あたしは思うのだけれど?」
「折角の場面だっつのに、茶化すな」
(そうじゃの。娘も、すでに”母”であったわ…)
縋る様に自身を見上げる娘の視線を受け、邪竜は観念するかの様に吐息を漏らした。
「ほんに為様の無い奴じゃ。連れていってやるわいな。じゃが、定員があるでな。ハゲ眼鏡、貴様はやっぱり留守番じゃ」
「えぇー…」
強制的に連れていくって話だったのに、ここに来て急に掌返してイラネと言われては、俊明も泣きそうになった。
サッカーの面子が集まりすぎて、『やっぱお前いいよ』と言われた小学生の頃のトラウマが蘇り、俊明は急な吐き気に襲われた。
「最近、ホント良いトコ無しよね、あんた…」
「…言うな…」
「じゃ、いこうか…の?」
「うん。いこう」
邪竜と祈は手を取り合い、静の枕元に座る。
今から潜るのは、八幡の街に生きた娘の半生。蛮族が暴れ回り、廃墟と同然となってしまった交易都市。その中で生きた娘の”記憶”。
5人の守護霊達は娘の内に入る二つの魂を、見守る事しかできなかった。
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