第171話 静2
「かあさま、かあさまー」
「静ちゃん、どうしたのカナー?」
「ううん、なんでもないー。えへへー」
年相応の甘えん坊さん。そう言ってしまえばその通りなのかも知れないが、静は祈の側を一時も離れる事はなかった。視界の内に常に祈がいないと不安で仕方が無い様子で、姿が見えない時は力の限り祈を呼ぶ。
それこそ昼寝から目覚めた時、側に祈が居なかった際の静の反応はまさに壮絶である。まるでこの世の終わりの如く泣き叫ぶのだ。
根負けしてしまった祈は、毎日静を伴って出仕する程だ。当然業務が滞り、周りにも迷惑をかけてしまっている。唯一の救いは魔導局の職員の大半が、静に好意的な目を持って必要以上に構わず遠くから見守っていてくれている事だろうか。”真性”がいないか不安ではあるのだが。
「確かに静様は、まだ母親の必要なお歳なのでございましょう。ですが、あれでは…」
側付きの女房の言葉に祈も頷く。確かに”甘えん坊さん”と一言で片付けてしまうには、些か度が過ぎている様な気もしなくはない。
祈の側から片時も離れず、人見知りも激しい。ほぼ常に祈の側に控えている琥珀ですら、静とはまともな会話ができていない程だ。
静は自身の過去を多くは語らない。
まだ静は幼く、心の内を上手く表現できる程の語彙を持たないだけだと言ってしまえば、きっとその通りなのかも知れない。
だが、何かしら彼女の心の闇を垣間見る…そんな瞬間があるのもまた事実なのだ。娘の将来を案じ、祈は嘆息する。
(せめて家の者達と会話できるだけでも違うんだけどなぁ…)
自分の味方は、”母”である祈だけ。そんな空気を静は出しているのだ。それどころか、明確に他人を”敵”として認識している様な節もある。
ボロ布を纏い、今にも餓死寸前だった八幡の街にいた以前とは、周囲の環境が全く違う。その頃の記憶が静にそうさせているのだろうが、今のままでは決して誰も幸せになれない。
あの娘は、その身の内に多くの死病を飼っている…邪竜は祈に教えてくれた。その事が原因で捨てられてしまったのか、もしくは親も同様に死病を抱えていたのか…幼い少女に尋ねるのには、あまりにも酷な話だろう。
祈に対しての静の執着から察するに、少なくとも母親の温もりというものに飢えているだろう事だけは解る。問題は、祈自身が母親の温もりを理解できていない点である。
祈自身、物心付く前に母祀梨を亡くしている。
無意識の異能によって、母の霊をこの世に繋ぎ止めてはいたが、それでも数え6つになる頃には、その母の霊と別れを告げた。
父垰の愛を、祈は知らない。それどころか、まともな会話すらした記憶もなかった。
両親の愛に飢えているのは、祈もまた同様なのだ。
だが、それでも祈はまだマシだった。
三人の守護霊達が、常に側にいてくれていたのだから。
だが、静はそうではなかった。その差は途轍もなく大きい筈だ。
「だから、私がちゃんと静の”かあさま”にならなきゃ」
祈は両頬を叩き気合いを入れた。
自身にすら良く解っていない”理想の母親像”を演じる。
多少の無理は承知の上だ、そのくらい出来なくてどうする。
縁談話が何度も挙がるという事は、当然近い未来にこうなっていても可笑しくないという事なのだ。ちょっとだけ、その予定が早くなっただけに過ぎないのだ。
(…てゆか、てゆか。そう思わなきゃ、やってらんない…)
目線が自身とほぼ同じ娘。そんな現実を突きつけられるだけで、少し気合いが抜けてしまう母親であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「悲しいね-、美美、あの子と仲良くなりたいケド、いっつも逃げられるネ」
「あなたはまだマシですよ。私なんて、静様に思いっきり睨まれるんですよ? まるで”親の仇”って感じで…」
この世界、少し裕福な家庭はお昼頃に軽く何かをつまむ事はあるが、基本は朝晩の二食で済ませている。
だが、極端に燃費の悪い身体を持つ二人…白虎の眷属雪琥珀と、青竜の眷属楊美龍は、昼餉をしっかり、ガッツリと摂っていた。摂らねば午後は空腹で動けなくなるからだ。
顔を合わせる度に、些細な事で何となく衝突を繰り返す二人であるのだが、今は共通の悩み事のせいか、奇妙な連帯感が生まれていた。
共通の悩み事とは、二人が敬愛してやまない主君が八幡の街で拾い、迎え入れた養女の静である。
二人とも仲良くなりたいと思っているのに、静は二人を警戒してか、返事どころか視線すら合わせてもくれない。
常に祈の側に控えている琥珀に至っては、祈を絶対に取られたくないとばかりに、敵視すらされている程である。
二人とも静への愚痴をオカズに、白米がすすむすすむ。
食糧危機の大敵が、尾噛家に二人も潜伏していたのだ。
「琥珀っ、おかわりネ」
「はいはい。山盛りどーぞ」
お櫃二つ分の白米をぺろっと平らげ、ようやく満足できたのか二人は少し温めの緑茶を啜り、大きく息を吐いた。
「漬け菜食べたの、美美初めてだったけど、これでご飯をかっ込むって良いねー。ご飯が喉をぐいぐい通る快感…美美感動したよー」
ぽっこりと膨らんだお腹をさすりながら、美龍は満足げに横に転がった。
『食べてすぐ寝たら牛になる』
この国の子供はそう親から叱られるのだが、中央大陸では食べてすぐ横になれば消化が早まり胃もたれしにくいのだと云われている。
(”郷に入りては郷に従え”…とも言うんですがねぇ…)
中央大陸出身である美龍がどちらの常識を取るか…そんな事なぞ分かりきっていたので、あえて琥珀は何も言わないのだが、ここには静という小さな子も居る。娘の教育上、今の光景はよろしくないとは思っていた。
「あなたなかなか解ってますねぇ、美龍。何でしたら、今度辛し明太子でも用意しますよ。あれ一欠片だけで山盛り一杯のご飯が軽くイケちゃいます」
「おおう、琥珀大好きよー。美味しいご飯、美美大好きよー」
いつも昼を一人寂しく摂っていた琥珀は、こうして一緒に食べてくれる人間が居る事が嬉しかった。それが自身に負けないくらいの大食らいなのだから、その喜びはひとしおである。
そして、女房達からの嫌味は半分。そう思うと、喜びは更に倍なのである。
「…でもでもぉ、このままって訳には、いきませんよ、ねぇ?」
急須に残った緑茶を、二人の湯飲みに交互に注ぎながら、琥珀はひとりごちた。
「…うん? 琥珀、いきなりどうしたね?」
「静様の事です。このままでは流石に、私が耐えられません…せめて、同じ場所にいても赦される関係には、なれないかなぁって…」
「ああ。琥珀は主さまの側付きだモンねー…」
公的には”帝国魔導局長”の副官として。
私的には、祈の友人として。
琥珀は、祈に四六時中終始ベッタリの静と嫌でも顔を合わせねばならない。祈が業務に集中できる環境をしっかりと整える。それが琥珀の仕事であるが、今の状況ではそれも儘成らず、更にはその原因となっている静に恨まれると良い事全くナシなのだ。
「このままでは、絶対近いうちに、琥珀の胃に穴が開いちゃういます…」
(あれだけガッツリ食べれるんだから、そんな心配、全くの無用ヨー)
空気を読んだ美龍は、思わずそんな台詞が出そうになるのを堪える為、緑茶を一気に口に含んだ。
誤字脱字があったらごめんなさい。
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