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第165話 八幡の街



獣の王国の首都”八幡(やはた)”は、元々列島の主要街道が交差する交通の要所として栄えた交易都市だ。


この地を治めていた豪族の、地の利を活かし税を優遇した政策が功を奏し、商人の街として大きな発展を遂げたのが始まりだった。


東からは、豊かな穀物が。


西からは、中央大陸伝来の優れた技術や知識が。


南からは、様々な山の幸が。


北からは、新鮮な海産物が。


人が集まり、物が集まる。人が集まれば、それだけ雑多な情報も集まる。


それぞれが八幡の街に集まり、そして八幡の街から拡散していく。


だが、そんな交流の環も、”獣の王国”を僭称する蛮族が占領した事で、脆くも崩れ去ってしまった。


蛮族は、八幡の街が他には無い程に豊かな所だという事は理解していた。だが、略奪と物々交換が日常であった彼らには、貨幣経済の何たるかを一切理解できなかったのだ。


それでも八幡は、東西南北の主要街道が交わる交通の要所だ。周辺の国々を呑み込まんとする獣欲の徒にとっては、この国は抑えておくべき地であることには変わりが無い。


”大魔王”の魂に乗っ取られた獣によって支配されし憐れなる者達の啼く”嘆きの街”は、三日間に及ぶ聖なる浄化の光が消え失せ、今や解放の時が訪れようとしていた。



「解ってはいたけれど、全然活気…無いね?」


知識では八幡の街の情報は頭にあったが、かつては栄華を誇ったであろう町並みが今は無く、寒々しい廃墟に等しい街の様子を目の当たりにしてしまっては、情報は所詮情報でしか無いのだと祈は内心落胆していた。


「そりゃ当然やなかか? だってん昨日までここは蛮族に占領されとった街なんやけんしゃ」


商人の街とあれば朝から市があがり、露天に様々な品物が売買されて…そんな活気溢れるお祭りみたいな情景を思い浮かべていた祈の想像を、(そう)は真っ向から否定した。


蛮族の情報は蒼の元の職場でも度々挙がってはいたが、市の開催を認める様な甘い支配を、奴らはしていなかった。


民を支配する為に苦しめているのではない。


苦しめる為に民を支配していた。


そう表現する事が一番適切ではないかと思える様な、余りにも熾烈なやり方だったのだ。


「でもでもぉ、これからそれも変わる筈…ですよね? もう”魔王”の支配は無いのですから」


「うーん。それはどうかナー? どう考えても、ここに住む人にとって地獄が待ってると美美(メイメイ)は思うネー」


琥珀(こはく)が楽観的な展望を言えば、美龍(メイロン)がそれをやんわりと否定する。


元々八幡の街を治めていた人間達は、蛮族が実効支配する為に粛正された筈だ。大魔王とその側近達…獣の王国亡き今、ここを治める事のできる人間は居ない事を意味する。そうなれば、後は周囲の国々の思惑次第だ。この街を中心に戦火に呑まれてしまう可能性は高い。


「確かに美龍の言う通りかも。この国の異変は周囲の国も解ってるだろうし、裏が取れた所から侵攻してくるか…」


今の状況は正に”早い者勝ち”だ。抵抗できる組織が仮に残っていたとしても、それを指示する首脳部が無いのだ。無血占領も容易だろう。


問題は、侵攻する組織がかち合ってしまった場合だ。この地がそのまま戦場と化すだろう事は目に見えている。そうなれば、この地に住む民は美龍の指摘した通り、地獄が待っているだろう。


「そこば助けてやる道理も義理も、アタシ達には無か。まぁ、今回ん場合は距離も有り過ぎる訳やけど」


八幡の住人には可哀想だが、手を差し伸べる事はできない。蒼は断言した。


帝国と獣の王国は、国境を接してはいるが、八幡の街はその境から遙か東に位置するのだ。助けてやりたくとも物理的にも不可能だ。


「…そだね。そうやって考えると、私達って本当に薄情だなぁ…」


大通りを歩いて行く内に、まばらながらも人の姿を見る様になっていた。その人影を見ながら、祈は声を詰まらせた。


その誰もが虚ろな眼をしたまま、のっそりと動くだけで、そこに意思も知性も感じる事はできなかった。日々の弾圧に疲れ果てたのか、彼らの眼には生気は無かった。


「主さまは優しすぎるネー。助けられる人は助けても良いけど、みんなは無理ネ。みんな助けようとして、自分が溺れたらただのバカよ」


美龍の言葉は、以前に守護霊達から言われたものより辛辣だった。


自身の腕が届く範囲であるなら、やるのは構わない。だが、それを超える範囲に手を伸ばすのはただのバカだ。そう言い切ったのである。


この4人の中で、美龍が一番物事に対してドライで、そして祈が一番甘く女々しい。これは生まれ育った環境というより、もはや本人の性質だろう。


(少しは言い方考えやがれ、この蛇おんな…)


琥珀は批難めいた眼を向けるが、ほぼ彼女と同意見であったので口には出さなかった。だが、この甘さこそが尾噛祈の本質であり、自身が主君と仰ぐに相応しい人成りであると琥珀は思っている。


「…だね…」


自身の無力感に苛まれながら、飢えて死にかけた子供達の前をただ通り過ぎた牛田領での出来事を思い出し、祈は寂しそうに頷いた。


あの時に比べれば祈は遙かに力を付けた。ただ無言のまま指を一差しするだけで何百、何千の人員が動く。だが、それは帝国内部だけでの話だ。遠い異国の地では、何の権力(ちから)も無い。


それでも、帝や(おおとり)(しょう)を介せば、あるいはこの八幡の民の苦境の手助けはできるのかも知れない。だが、それは周辺国の思惑も重なり、終には帝国に要らぬ戦火を呼び込む結果にもなりかねない。果たしてそれだけの覚悟が貴女にはあるのか? そう問われてしまえば、祈は何もてきない。できる訳も無い。所詮この感傷も、刹那の感情に過ぎないのだから。


「…うん。やっぱり悪い”氣”は全然感じないネー。主さまの術、効果抜群ね…効果あり過ぎたと言っても良いね」


「美龍、有り過ぎとはどういう事です?」


「琥珀、そこの人達見て何も思わないか? 霊の眼で視るネ」


美龍と琥珀は四聖獣の血を受け継ぐ直系の子と孫であり、その性質も通常の人間より遙かに()()()寄りであるのは当たり前の事だ。


美龍の言われるまま、琥珀は霊の眼で虚ろに徘徊する人達を視る。


「…ああ、そういう事ですか」


「どげな事と? アタシにも判る様に教えてくれんね」


「…んとね、簡単に言っちゃうと、ここにいる人達全員、すでに魔王に食われてたって事。魂を内側からやられているから、生きているけれど半分死んでるって感じかなぁ…」


彼らの霊体には、所々に穴が開いていた。その(うろ)は空洞。魂は未だ辛うじて残ってはいるが、中身はすでに無い。言ってしまえば、ただ人の形をした生ける肉塊。それが八幡の街を彷徨いあるく住人の真の姿だったのだ。


「主さまの術、綺麗に魔の氣だけを浄化したね。完全に食われたモノは消滅するけども、途中だったモノはそのまま残った。これはある意味残酷ね…」


大魔王の因子が魂を乗っ取る際には、まず人格を食う。そこを食われてしまっては、いくら綺麗に魔王を浄化したとしても、失われた人格が二度と戻る事は無い。残るのは、”自分”を持たぬ生ける屍である。


「あるいは、大魔王が<破邪聖光印>の光から逃れようと、無辜の人達の内に逃げ込もうとしたか…とか」


完全に魔王化してしまった身体は、浄化の光によって表面から崩れる。その痛みに耐えられなかった魔王が、近くの人間の内に逃げ込む事は充分に考えられた。それは本当にただの気休めにしかならないが、それでも生きたまま肉体が光に溶けるという恐怖と痛みからは、一時的にでも逃れられるだろう。それによって、無関係の人々が浄化の光に巻き込まれる事はあり得る。


「…そうか。そうかぁ…」


何の言葉も思い浮かばずに、ただ蒼は唸るしかできなかった。


いかに<破邪聖光印>が強力な浄化の術だったとはいえ、その中に封ぜられた大魔王が全く動けなくなる訳ではない。痛みにのたうち回り、無駄な抵抗をした個体がいてもおかしくは無かったのだ。


それに巻き込まれた民が、今目の前を生気無く徘徊する生きた屍であるのだと言われても、それ否定する材料を誰も持ってはいない。


「まぁ、ですからこうして街に入っても誰にも咎められる事が無いんでしょうけれど…」


祈達が街に入る際、その周囲にあった関所は全く機能していなかった。詰めている衛兵の姿は無く、素通りできたからだ。


「今外に出ている人達はそうかも知れないけれど、これが全てではない筈ネ。正気の人達、様子見している可能性たかいよー」


得体の知れない強い光に包まれたかと思えば、急にいままで散々威張り散らしていた人間達がのたうち回り、終には消え去ったのだ。急激な事態の変化に頭が付いていく訳も無い。ほとぼりが冷めるまでは様子見の人間も多いだろう。


「生き残りがいる可能性を考えての突入だったけれど、どうやら杞憂かなぁ…」


「そうばい。こん街、気味が悪かくらいに空気ば清浄過ぎるやっけん」


祈は魔王の持つ魂の波動を完全に覚えている。いくら感覚を広げてみても、それが触れる事は無かった。武蔵からの警告も無い以上、完全に浄化ができたとみて間違い無いだろう。


「祈さま、それでは帝都に戻りますか?」


「…そだね。戻ろっか」


「ああ、それが良か。もう魚ん丸焼きば飽いたばい。アタシは白米(からめし)が食いたか…」


「美美、まだこの国のご飯食べたこと無いネ。ご馳走して欲しいよー」


「…はいはい。戻ったらねー」


戻ったらご馳走の前に、まずお風呂に入ろう。浴槽に水を張るのも、湯を沸かすのも今なら念じればすぐだ。とにかく、ゆっくりしたい。この正体不明の疲労感を除かなくては、何も手がつかない気がする。


右腕に微かな違和感を覚え、祈は眼をそちらに向ける。


そこには虚ろな瞳をした祈と同じくらいの背丈をした少女が、祈の袖を掴んだまま佇んでいた。


「…どうしたのかな?」


「………」


少女は無言。祈の霊の眼に写る少女の霊体は、無数の虚があった。


”生けし屍”その表現がまさにぴったりの、生きているのも不思議な状態にあった。


「…タスケ…テ…」


声は無かったが、少女の口は確かにそう動いた。



『私はまだ生きている』



虚ろで何も映していない筈の瞳が、祈を捉えて放さなかった。




誤字脱字があったらごめんなさい。

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