第163話 その後始末的な話11-2
「…なー? アタシ、もう魚ん塩焼きば、飽いたんやけどっ!」
毎食毎食正体不明の巨大魚一匹が目の前にドンと置かれる、そんな嫌がらせとしか思えない現状に、ついに蒼はキレた。
ただじっと浄化の光が消えるのを座して待つだけの、拷問にも似た『暇っ!』としか言い表せない、延々続く終わりの見えない無為な待機時間を過ごす。
もしそんな羽目になってしまった場合、食事に楽しみを見出す事しか人はできない筈だろう。
だのに…
毎食同じメニュー…というか、食材と調理法がそれ一択となれば、食事にさえ楽しみが見出せない。見出せる訳が無い。そうなれば、人は耐え続ける事ができるだろうか?
否だ。
断じて、否っ!
だからこそ、蒼はブチ切れたのだ。
「オイコラ、五聖獣。少しはアタシらば労りんしゃいっ! いい加減、本気で怒るぞっ!?」
塩味の魚はもう飽きた。せめて、肉を食わせろ。それが叶わぬというのなら、醤味とか、何かしらの変化をつけてくれ。塩味だけじゃ味気なさ過ぎる。蒼は、こちらを視ているであろう虚空にむけて、両の拳を振り上げ声を大にして訴えてみせた。
『…ちっ、うっせーなぁ…これでいいだろ?』
何とも気怠げ面倒臭そうな声と共に、何やら巨大なモノと小さな壷が蒼の足下に落ちた。確かこの声は青竜だったか? 後で娘である楊美龍に徹底的に苦情を入れるとしよう。
イライラついでに、蒼は足下に落ちた謎の巨大なブツを検めて見る。
「ひぁぁぁぁぁぁぁっ! 蛙って、蛙ってぇぇぇぇぇ! こげなゲテモン、食べらるー訳なかやろがーっ!?」
自然界で普通に棲息するとは到底思えないあり得ない大きさの蛙が、喉を膨らませ蒼を見上げていたのだ。下手をすれば丸呑みにされかねないその大きさに、蒼は文字通り総毛立った。
「ゴラァ、青竜っ! 人ん食えるモンばよこさんねっ! 最低限ん事やろうがっ!」
『あん? 蛙、美味ぇだろうがよ』
青竜からの、まさかまさかの予想外のマジ返答に、蒼は愕然としてしまった。
「…しもうた。そういやこいつ、中央大陸に住んどーんやった…」
中央大陸の食文化は、列島の常識が全く通用しない…らしい。
食に対する情熱は他国の追従を許さず、美味なる豪華絢爛な食彩は、遠く東の列島にすら轟く程だ。
だが、その溢れまくった異常なまでの情熱は多方向どころか、予想外の明後日の方にまでカッ飛んでいた。それこそ、四つ足ならば机ですら食の対象になるのだとも。であれば当然、蛙もその範疇なのだろう。
「…うん、ごめん。アタシがバカやった。いつも通りん魚で良かけん許して…」
眼にいっぱい涙を溜め、とうとう蒼の心がポッキリと折れた。
「もう贅沢ば言わんけん…」
何でこんなメに遭うのだろうか? 涙に濡れた蒼の頬を、巨大蛙の舌が叩いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、ほんに大丈夫なのか、の…?」
斎王位に就いてからの日課となっている瞑想行を終えて、愛茉は紅の翼をいっぱいにまで広げ、大きく背伸びをした。
一日中同じ姿勢でいる事には慣れていたつもりだったが、聖なる光の向こう側には、”地鎮の儀”の時に対峙したモノと同じ存在が多数ひしめいているのだと思うだけで、愛茉の背筋に冷たい汗と緊張が走る。
聖なる浄化の光で、いくらここが安全であると頭で解ってはいても、地鎮の儀に脳裏に焼き付いてしまった恐怖が、どうしても頭を擡げてくるのだ。
<五聖獣>による”祝福”のお陰か、愛茉の霊力は以前とは比べものにならない程に強くなった。
それでも、記憶の奥底に刻まれてしまった恐怖という名の疵を払拭するには、長く時間がかかるだろう。
「先代光流様、なにとぞ、なにとぞ此方を見守って下さい…」
能力だけで言えばすでに愛茉は光流どころか、人の頂すらも遙かに超えて、半神…神の領域にまで達しているのだ。
それこそ、大魔王と単身直接対峙しても何ら問題の無い程に。
だが、肉の器は神と成っていたとしても、やはりその中身は人のままなのだ。こうして恐怖に縛られ、そして自身の情けなさに思い悩む。
(光流様みたいに、此方も400年の刻を生きれば、ああなれるのじゃろうか?)
いくら力を込めても、闇の者に何ら傷を与えられなかった絶望感。
友となった竜の娘が矢面に立ち、その後ろでただ牽制にすらならぬ花火の様な脆弱な攻撃しかできない、深い挫折感。
それでも、光流は決してそれを表情に出す事はなかった。光流の自信に満ちた横顔を見ているだけで、身体の内から力が湧いてくる様な勇気を貰った様な、これはただの錯覚かも知れないが、そんな感覚があったのだ。
まだ見ぬ次代の斎王に、そんな勇気を与えてやれるのだろうか? そこは愛茉にも自信が全く無い。
だけれど…
「此方はまだまだじゃな。歴代最強の斎王にならねば…の?」
そうでなくては、折角貰った”祝福”の意味が無い。これからも修行の日々が続くのだ。
聖なる光を浴びながら、愛茉は斎王として覚悟と決意を新たにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
<破邪聖光印>の浄化の光が消えたのは、陣が完成してから二日半が経った夕刻頃であった。
”獣の王国”の首都と、その周辺に点在する全ての村々をも巻き込んだ魔に属するモノだけを対象とする”滅殺陣”は、こうして役目を終えた。
「ようやく浄化が終わったねー」
「思ったより早かったな。俺はあと半日はかかると予想してたんだが。やっぱり<五聖獣>全員からの”祝福”って反則過ぎだろ…」
つるりと後退著しい額をぴしゃぴしゃ掌で叩きながら、俊明は嘆息した。
だが、これだけ広範囲に及ぶ封殺の結界を張るには、今回の様に術者の生命力を、多少強引でも一気に増やした方が確かに安牌ではあった。
<破邪聖光印>の発動速度は、術者の生命力の総量に比例し、発動規模の大きさに反比例する。
そこに、五芒星を結ぶ各頂点にそれぞれ配置をした複数の術者による印の同時展開という四聖獣の”奇策”によって、その発動速度は更に増した。
陣が完成する前に対象である大魔王が外に飛び出してしまったら、当初の目論みである『奇襲』が、そこでご破算となるのだから。それこそが一番重要なポイントだったとも言えるのだ。
「しかし俊明どの、これで彼の大魔王は、完膚なきまでに滅されたので?」
「…その筈だ。この術のいやらしい所は、対象が術によって完全に消え失せたとしても、暫く効果が持続するって所だからな。我ながらエグい術を創ったもんだぜ…」
「うえ。それってつまり”死んだふりができない”って事じゃないの。あなた、本当に意地悪よね?」
「よせやい。ただ単に”死体蹴り”し続けるのに、快感を覚えただけさぁ」
異世界に召喚される前にハマっていた3D格闘ゲームで、俊明は”死体蹴り”と呼ばれる煽り行為を良くやっていたのだという。これは歴としたマナー違反だと言う人も多く居る、心無いえげつない行為の一つだ。
「…うん。だから、とっしーって友達ができなかったんだよ…」
「同感にござる」
「…あたし、ちょっとあなたとの付き合い方、考えた方が良いのかしらん?」
「あれーっ!?」
ぴしゃっ。
俊明は、掌でつるりと光った額を、もう一度音高く叩いた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




