第159話 四聖獣と麒麟
世間一般で言う<神>とは、世界で最大の信徒数を誇るとある一神教では当然、主神の一柱のみを指す。逆に多神教では、それぞれの上位存在が<神>である。
かなり限定的で特異な話になるが、多神教の信徒が人口の大多数を占める地域において、元はただの人間だった取るに足らぬ矮小なる存在が、ついぞ神として祭り上げられ成り上がる場合もあり得る。所謂”神成り”である。
例えば、偉大なる王の栄光を数多の民が讃え、ついに神の名を得た場合。
例えば、権威を求めるが余り、神の名を穢し自身を神の子と語った場合。
例えば、神々の威を借り、自身を神の一柱なのだと吹聴して回った場合。
東、西、南、北…四海を護りし四聖獣を束ね、その中央に座す存在…”麒麟”とは、神々の威を掠め盗り、ついに神にまで成り上がったとある世界の、とある皇帝の魂の果てである。だが、麒麟は未だ修行中の身で、未だ神には成りきれていない。この世界に喚ばれた数々の上位存在の中でも、おそらくは一番霊格が低い筈だ。
『…そんな下らぬ用事で、貴様らは我を喚んだというのか…』
だからこそ、麒麟は不満を隠す事ができなかった。そもそも精霊神自体、存在する概念すら無いこの異世界においては、自身の霊力が著しく制限されているというのに、修行中の身であるからと、そこからまた更に霊力が抑えられているのだ。上級精霊以上、精霊神未満。その様な半端な存在として。
麒麟は、この世界に降り立ってからというもの、とにかく、ずっと不満しか無かった。
『まぁ、そう言うな。どうせやるのなら、精々派手にせねば…のぅ?』
『左様。逆にここまでせなんだら、失敗する”筋道”の方が遙かに多いときた。ほんにどこまでも分の悪い賭けよ』
『ちっ、だからって我をまた呼びつけやがるたぁな。しゃーねぇ、乗りかかった船だ。こうなったら、とことんやってやらぁな』
『ふむ。<五聖獣>としては、初の仕事かの? まさかそれが縁もゆかりも無い異世界で…とは、これまた異な事よ』
気は全く進まないが、この世界の管理官の招聘に応じ、地上に降臨したのは確かに自分の意思によるものだ。そして、”同僚”の四聖獣に請われこの”異界”に赴いたのも。このまま何もせず立ち去る事は、自身の矜持にも傷が付く事になる。麒麟は大きく鼻を鳴らした。
『…で? 我は何をすれば良いのだ?』
目の前の”同僚”達の名と威を盗み、強引に自身の”存在概念”を世界にねじ込んだ負い目がある以上、麒麟は彼らに対して決して”否”とは言えない。だからこそ、不承不承でも頷く他は無いのだ。
『麒麟よ、そう不貞腐れるでない。なぁに簡単な話だ。現地の人間を、チョイと我ら一同の名で”祝福”してやるだけの事さ…』
『然り。その中には、何故か我らの血を分けし者達も混じっておるが、そこは全く気にせんでええからな?』
『左様。何故か其奴等が半神になってしまったとしても、全然な? そのせいで”天使”共が要らぬ騒ぎを起こすやも知れぬが、知らぬ存ぜぬで通せ』
『可可。それは楽しそうだっ! いいねぇ、いいねぇ。我達は”共犯”って奴だなっ!』
”同僚”達の言葉は、一々麒麟の心に在る”不安”という名の種に、大量の肥料と水を撒いていった。そう遠く無い未来に、この種は一斉に芽吹く事だろう。
(しまった。こいつらの呼び掛けに応じなければ良かった…)
”不安”…未来視の精度が低い麒麟には、ついぞ忘れかけていた懐かしき生前の感覚だった。
(ああ、何で我はこの様な未開の異世界に来てしまったのだ…?)
世界の人間がそうだと存在を認識して、初めて成り立つ神の位。世界の住人の誰も認知しない神なぞ、ただの霊魂に過ぎない。野心を持って、漸く神に成り上がった存在には、とても耐えられぬ環境であった。
だが、<神>として請われた以上は、神威を示し、世に自身の存在を知らしめねばならぬ。これは、上位存在としての義務なのだ。
(ああ、面倒臭い。何で我は<神>に成ろうとしたのだろうか?)
未だ精霊神の一柱として、麒麟の精神世界の有様は、あまりにも人間であり過ぎていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「凄い…信じられないよ。こんな、溢れ出る程の生命力が…」
帝国から戻ってきた祈を待っていたのは、自身の肉体の限界を突破し、能力者として遙かな高みに登った蒼の、成長した姿だった。
「ワタシもびっくりネ。ちょっとコツを教えただけで、彼女、氣が一気に伸びたーよ」
「蒼さまも、これで生命力の必要には足りている筈です。準備は整いました」
楊美龍と琥珀も急激な蒼の成長に、驚きを隠せない様子だった。生命力の伸びが一気に鈍化したのは、種族的な限界が近いからだと思っていたからだ。
そこに美龍が見せた秘技からヒントを得た俊明の助言により、精神で肉体側を操作し、限界を突破させたのだという。まさかここまで抜群に効果が出るとは、発案者の俊明ですら思ってもみなかった。
(いやぁ、とりあえずは言ってみるもんだなぁ…ここまで効果出ちまうと、それまで停滞していた時間が何だったんだって話ではあるんだが…)
(いやいや。為様の無い壁にぶつかった時というものは、得てしてこの程度のものでござる。ふとした拍子に、何気無くヒョイと抜けてしまう…だからこそ、人生は面白い)
(生命力を増やすのって、こんな方法もあるね…)
「へへへっ、こいで誰もアタシん事ば、足手纏いなんちゃいわんよな?」
蒼は大きく胸を反らして偉ぶってみせた。伸び悩んでいた時の卑屈さは息を潜め、以前の様に、立ち振る舞いの数々の中に確かな自信が満ちていた。
「うん。見違えたよ。やっぱり蒼ちゃんはそうでなきゃね」
「ですですっ! …で、蒼さま。どこを大きくなさったんですか? ぱっと見、おっぱいは以前と変わらないみたいですがぁ?」
「…へ? な、ななな、何のことば言いよーんやろうかぁ? 琥珀さん?」
琥珀の指摘に対し、蒼は目に見えて動揺をしていた。一見、美龍の様な無茶な胸の脂肪の増量をなしている様には見えない。では、増量したのはどこだなのろう? それに関しては、琥珀だけの疑問ではなかった。
「うーん。他に増やしたい所って、どこになるのかなぁ?」
おっぱい星人ではない祈にとって、肉付けを良くしたいと思う所は、現時点ではない。
確かに部下からは”ちんちくりん幼女”だの、”無い胸ペッタン”だの、”7年後にお逢いしたい女性”などと散々に言われ続けてはいるが、今の祈自身の肉体は、成長課程の段階にあるだけであって、それを指摘された所で何らコンプレックスを掻き立てるものではなかった…ない筈だ。恐らくその筈である。そうであろうと思いたい年頃である。だからこそ、どこかしらの増量を望む気持ちというものが、正直分からないのだ。
「いやいや、主さま。逆に減らしたって考えてみるのはどうでしょうか? お腹のたるんだお肉、気になるお年頃…美美のお友達で、痩せたい。痩せたいって、いつもそうボヤきながらガッツリ食べていた娘、いっぱいいっぱいいましたよ?」
「ああ、なるほど…最近の蒼さま、あんまり運動しておりませんでしたし? それ、充分あり得ますねー」
「え? あの術、そげんことまで出来ると? やったー! …って、違うっ! そうやなかって…」
この術を駆使すれば、もう無理な減量なぞ一切しなくて済むのだ。その朗報に蒼は一瞬破顔したが、慌てて強引に表情を改めた。ここで大きく喜んでみせたら、自分は常に減量が必要な自堕落で恥ずかしい人間であると認めるに等しいからだ。だが、ついニヤついてしまう口元だけは、どうしようも無かったが。
「ああ、やっぱり蒼ちゃんは…」
「我慢できない人間、美美いっぱい見て来たーよ。ああいう人、大体自爆して終わるね。こういうの、とある異世界の宗教用語で”自業自得”云うね。糞親父が言ってたよ」
「あ~。蒼さまなら、ありそう、ありそう…」
三者三様。という言葉がある。三人とも、それぞれに異なる。そういう意味だ。だが、蒼に対しての見解は、どうやら三人とも一致している様子である。
『蒼という娘なら、充分あり得るね』
この評価に対し、蒼はあまりの情けなさに膝から崩れ落ちる思いだった。
「皆そりゃなかばいっ! アタシが強化増量したんな翼ばい。折角背中に立派な翼があるんやもん。自分の翼で空ば自由に飛んでみたかって思うたっちゃ良かやんかっ!」
天翼人の背にある翼には、地上から空へと飛行する能力は無い。訓練次第では、高い所からの滑空はできる…その程度でしかない。過去には大空を自在に飛んでいたとする話も幾つか残ってはいるが、寓話の類いだろうと云われていた。
そう言われて改めて蒼の背に在る翼に、三人とも眼が向いた。確かに以前に比べて遙かに大きく、そして羽の密度というか、量が増している様に見えた。これなら風を捉える事ができるのかも知れない。
蒼のこの試みは、確かに背に翼持つ人種にとっては、とても恥ずかしい話なのだろう。それが翼を持たない祈達には、全然理解できない事であるのだが。
半分涙目になって唸る蒼の顔を見て、三人それぞれが、胸の奥から熱くきゅん♡と締め付けられる様な甘い戦慄を覚えてしまったのは、言うまでも無い。所謂ギャップ萌えという奴である。
「…なんか、蒼ちゃんすっごい可愛い…」
「是。美美、不覚にも蒼でキュンってしたよ」
「ですです。何故でしょう? ちょっとムカってしました。本当に、何故かはわかりませんが…」
「…あれ? なんか、皆ん目が怖い…よ? ……おい。ちょっ、ちょっとこっち来んで。来なしゃんなって…」
じりじりと距離を詰めて来る三人の挙動に、蒼は背中に走る奇妙な戦慄と、身の危険を覚え後ずさる。
もしもここで、捕まったら、きっと人としての何かが終わる。そんな確信めいた予感が、さっきから蒼の中でずっと警鐘を鳴らし続けているのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ! 怖かーっ! 眼が、眼がバリ怖かーっ!」
日々の草の鍛錬のお陰で、蒼は足の速さに自信があった。だが、この四人の中ではどうだろう? ひょっとしなくても、一番遅いかも知れない。
それでも、負けられない戦いがここにある。追いつかれてしまったらナニをされるか解らない。そんな恐怖が、蒼の足の回転をより早める。それが長く続く訳は無いのだが…
「何で逃げるんだよ、蒼ちゃーん?」
「待って。待ちなさい。美美、ちょっと貴女に興味わいたーよ」
「何故、この様に皆で追いかけるのか、琥珀は全然解りません。でも、逃げられるとあえて追いかけたくなるのは、狩人の本能として、仕方の無い事ですよねっ」
「いやあぁぁぁぁぁん! 貞操ん危機ば感じるぅぅぅぅっ!」
この追いかけっこが、一体どこまで続いたのか? そして、その結末はどうなったのか…それについては、誰も語ろうとはしなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




